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寛永期の文化(建築)

2016-10-28 | 『新世界史頻出年代暗記』



権化ニコッと 好き鬘。


霊廟(れいびよう)建築・現造(ごんげんづくり))(日光東照宮)(離宮・数寄屋造(すきやづくり))

[解説]
1.寛永期の建築では、霊廟建築が流行し、神社建築には権現造が広く用いられた。たとえば家康をまつる日光東照宮は、霊廟建築であり、その構造は権現造である。これらの建築には、桃山文化の影響を受けた豪華な装飾彫刻がほどこされた。

2.権現造は、本殿と拝殿の二つの社殿を、石の間(石敷きではない)という一段低い部屋がつないでいる。上空から見ると「H」を横に倒した形に見える。この様な構造の社殿をいう。


3.また書院造に草庵風の茶室をとり入れた数寄屋造(すきやづくり)が工夫され、京都の桂離宮の書院はその代表である。


4.黄檗宗の禅寺(長崎の崇福寺(そうふくじ)や宇治の万福寺(まんぷくじ)など)には、中国の建築様式が伝えられた。

〈2016早大・商

問J  この文と史料に関して、徳川将軍家の宗教に関する説明で正しいものはどれか。

 1.日光の家康霊廟は、数寄屋造の代表的な建築物である。

 2.日光の家康霊廟は、朝廷から供物を捧げる使者が送られたのは、幕末に限られた。
 3.幕府は江戸時代の人びとに、徳川将軍が崇拝する東照宮や伊勢神宮に参詣することを義務づけ た。 
 4.日光の家康霊廟は、幕末に尊王論が高まってくると打ちこわしの対象になった。
 5.徳川将軍家は家康を神として崇拝するとともに、徳川将軍家の菩提寺への参詣も行った。

(答:5 ※1×権現造、2×朝廷から日光東照宮へ1646(正保3)年から例幣使と言う使者が派遣された)〉

〈2012首都大・前期

問5.下線部1.17世紀前半期には新たな文化的傾向が見られるようになったを示すこの時期の建築物として、徳川家康をまつるため徳川家光が現在あるような形に改めたAと、後陽成天皇の弟八条宮智仁親王の別邸であったBがある。これら二つの建築物に見られる文化的特徴について、A・Bそれぞれの名称と、これ以前の文化との関係、及び当該期の社会状況との関係を含め、130字以内で答えなさい。

(〔解答例〕権現造を用いたAの日光東照宮のように、桃山文化の豪華絢爛さを継承した霊廟建築が流行する一方、Bの桂離宮のように、書院造に草庵風の茶室を取り入れ簡素で気品ある数寄屋造が生まれるなど、対照的な性格を備え、幕藩体制の安定化に見合う新しい武家文化として発展した。(127字)〉

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