東方声援出現期。
[ポイント]
1.出現期の古墳は、西日本では前方後円墳が多かったのに対し、東日本では前方後方墳が多い。
[解説]
1.古墳が営まれた3世紀後半から7世紀を古墳時代とよび、これを古墳がもっとも大型化する中期を中心に、前期(3世紀後半~4世紀)・中期(4世紀末~5世紀)・後期(6~7世紀)に区分している。古墳時代後期のうち、前方後円墳がつくられなくなる7世紀を終末期とよぶこともある。古墳時代の終末期は、政治史のうえでは飛鳥時代にあたる。
2.出現期(古墳時代前期の前半をいう)の古墳のなかで最大の規模を持つものは奈良県の箸墓古墳である。
3.箸墓古墳は墳丘長280メートルの前方後円墳で、やはり出現期のものである岡山県浦間茶臼山古墳(前方後円墳、墳丘長140メートル)や福岡県石塚山古墳(前方後円墳、墳丘長約120メートル)をはるかにしのぐ規模を持つ。
2014明大・文
下線部(ア)古墳について述べた文として正しいものを、次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。
1 6世紀末から7世紀初めには、古墳の造営は終了する。(×6世紀後半が群集墳(円墳まれに方墳)の最盛期で7世紀にも造営されている)
2 6世紀末から7世紀初めには、前方後円墳の造営は終了する。(〇)
3 前方後円墳の造営は、奈良盆地では7世紀終わりまで続く。(×7世紀には前方後円墳がつくられなくなる)
4 前方後円墳の造営にかわって、前方後方墳が造営された。」(×同時に出現しており前後するということはない)
2013早大・文
下線部d初期の古墳群は奈良県南東部の一地域に関連しておりについて。適切な前方後円墳を1つ選び、マーク解答欄紙の該当する記号をマークしなさい。
(ア箸墓古墳 イ大仙陵古墳 ウ江田船山古墳 エ行田市稲荷山古墳 オ造山古墳)
(答:ア)
2012立教大・全学部
これ(古墳時代)に関する説明として正しくないのはどれか。
a.群馬県渋川市黒井峯遺跡は古墳時代の集落遺跡である(〇)
b.5世紀には登り窯で焼かれた土師器が作られるようになる(×登り窯で焼かれたのは須恵器)
c.前期の古墳においては宗教的な副装品が見られるが、中期になると武器類が多くなる(〇)
d.奈良県桜井市にある纏向遺跡は古噴出現期の大遺跡である(〇纏向遺跡の中にある最大古墳が箸墓古墳)〉