エースいないぞ 金石文。
(江田船山(えたふなやま)古墳(こふん)鉄剣(てっけん)銘(めい)・隅田八幡神社(すだはちまんじんじゃ)人物画像(じんぶつがぞう)鏡銘(きょうめい)・稲荷山(いなりやま)古墳鉄剣銘・石上神社七支刀銘(いそのかみじんじやしちしとうめい))(金石文(きんせきぶん))
[ポイント]
1.最古の漢字使用例は江田船山古墳鉄剣銘・隅田八幡神社人物画像鏡銘・稲荷山古墳鉄剣銘・石上神社七支刀銘の4金石文銘。
[解説]
1.隅田八幡神社人物画像鏡銘の癸未(きび)年を443年とすると、「意柴沙加(おしさか)」は漢字(中国の文字)による国語表記の初めとなる。
2.稲荷山古墳鉄剣銘と江田船山古墳鉄剣銘にある「獲加多支鹵(わかたける)」大王(おおきみ)は雄略天皇と思われる。
3.稲荷山古墳鉄剣銘は『宋書倭国伝』の記述に対応し、5世紀末にヤマト政権の支配が関東(埼玉)にまでおよんでいたことを裏付ける。
4.江田船山古墳鉄剣銘も、同様にヤマト政権の支配が九州(熊本)におよんでいたことを裏付ける。
5.石上神宮七支刀これだけは百済から贈られたもの。一本の鋼から7つの枝部を鍛造(叩き出)した見事な工芸品。金象嵌(ぞうがん)の年号「泰和四年」は東晋の太和四(369)年とする説が有力。ほかに、南宋の泰始四(468)年、北魏の太和四(480)年などの説がある。
〈2014慶大・文
次に文章の空欄(M~O)に適当な語句、それぞれ語群の中から選び、1~9の数字を、また語群の中に適当な語句がない場合は0を、解答欄に記入しなさい。
稲荷山古墳出土鉄剣や隅田八幡神社人物画像鏡の銘文には、多くの固有名詞が記されており、前者の( M )、後者の( N )は、倭王権に関係する宮の名称と考えられる。それぞれ年代の表記もあり、隅田八幡神社人物画像鏡に記された「癸未年」は、西暦( O )年とする説が有力である。
1.難波高津宮 2.意柴沙加宮 3.長柄豊碕宮 4.斯鬼宮 5.小墾田宮
6.438 7.462 8.471 9.478」
(答:M4,N2、O0→正しくは443年)〉
〈2014同志社大・全(文系)
奈良県天理市に鎮座する石上神宮は、神武天皇が東遷したときに使用した剣を祀ったのが創始と伝えている。仏教伝来まもなくの頃、仏教排斥を主張して、しばしば蘇我氏と衝突したというa【1.大伴氏 2.小野氏 3.物部氏】が祀ったことから同氏の氏神ともされた。神宝の( ア )は鉄製で、身の左右に3本づつ枝が出ており、百済王が倭王のために作ったなどという趣旨の61字の銘文があり、4世紀後半頃の大陸との交渉を示す重要な史料である。
京都府八幡市に鎮座する石清水八幡宮は、c【7.8世紀 8.9世紀 9.12世紀】半ば頃に、九州の( カ )八幡宮の祭神を勧請したもので、応神天皇・神功皇后ほかを祀る。八幡神は、源氏の氏神となったほか、広く信仰が普及して全国に八幡宮が分布するようになった。後に鎌倉幕府の守護神ともなった鶴岡八幡宮もその一つである。和歌山県橋本市に鎮座する( キ )八幡神社所蔵の人物画像鏡は「癸未年八月」「意柴沙加」など計48文字の銘文があることで有名である。
(答:a3、c8、ア七支刀、カ宇佐、キ隅田)〉