百姓財布なき ほんま?
(百姓は財の余らぬやうに不足なきやうに)(本多正信(ほんだまさのぶ))
[ポイント]
1.本多正信が「百姓は財の余らぬやうに不足なきやうに」と書いた。
[解説]
1.本多正信(ほんだまさのぶ)(1538~1616)は、江戸時代初期の大名で家康・秀忠の忠臣。正信の著書といわれるのが将軍秀忠に対する意見書『本佐録』。書名も本多佐渡守(さどのかみ)からきている。「百姓は天下の根本(こんぽん)也。是を治めるに法有り。先(ま)づ一人一人の田地の境目を能(よ)く立て、さて一年の入用作食(にゅうようさくじき)をつもらせ、其の余を年貢に収むべし。百姓は財の余らぬ様に不足なき様に、治むること道なり」とある。
2.家康の農民観「百姓共は死なぬ様に、生きぬ様にと合点(がてん)致し、収納申付様(もうしつくよう)に」(『昇平夜話』)と混同しないようにしてください。
3.また江戸時代後期の経世家本多利明とも混同しないようにしてください。本多利明はその著『西域物語』で神尾春央(かんおはるひで)の「胡麻の油と百姓は絞れば絞る程出(いず)るものなり」という言葉を引用している。
〈2012早大・文学部:「
問2 下線a百姓からぎりぎりまで年貢をり立てたについて。本多正信が述べた言葉として正しいものを1つ選べ。
ア「君下に武士を立て、衆人の直耕せし穀産を貪り」と述べた。
イ「百姓共は死なぬ様に、生きぬ様にと合点致し、収納申付様(もうしつくよう)に」と述べた。
ウ「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」と述べた。
エ「百姓は財の余らぬやうに、不足なきやうに治むること道なり」と述べた。
オ「五十戸良(さとおさ)が声は寝屋度(ねやど)まで来(き)立ち呼ばひぬ」と述べた。」
(答:エ ※ア安藤昌益、イ徳川家康、ウ神尾春央、オ山上憶良 )〉