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ベック式!難単語暗記法ブログ

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第1章・オリエントと地中海世界 ★★ エジプト文明 

2020-01-14 | 入試問題+ゴロ合わせ
2006 高崎経済大

【問】以下の文章を読み,空欄に当てはまる適当な語句を答えよ。同じ記号には,同じ語句が入るものとする。

 エジプトのナイル川流域には,( ア )と呼ばれる多数の村落ができていたが,メネス王によってそれらは統合され,下エジプトの( イ )を都とした統一国家が形成された。この頃から,古代エジプトの王はファラオと呼ばれており,エジプトの主神である太陽神( ウ )の息子として神格化され,専制的な神権政治を行っていた。古代エジプト史においては,約30の王朝が交替していたが,今日では,一般的にエジプトが栄えた時期を古王国,中王国,新王国の3つに分類している。

 古王国時代は,下エジプトの( イ )を中心に栄えていたが,この時代はピラミッド建設の最盛期であったと言われている。最大級の( エ )王とカブラー王,( オ )王の三大ピラミッドがギザに建造されたのは,この頃であった。その後,第6王朝の王権が弱体化し,一時,国内は混乱した。しかし,第11王朝によって国内が統一されて再ひか繁栄することになった中王国時代には,上エジプトのテーべに都が移され,テーべの守護神である( カ )神が最高神となり,後に( ウ )と融合し,( キ )が国家神として誕生した。

 中王国時代末期には,シリア方面から遊牧民族の( ク )が( ケ )と戦車で武装して侵入し,エジプトを支配することになった。( ク )による支配は約100年間続いたが,やがて第18王朝の王たちによって( ク )が追い出されるかたちで,新王国時代が幕を開けた。その後,エジプトは,シリア,パレスチナ方面に進出して領土を拡大し,ファラオであった( コ )の時にエジプトの領土は最大になった。前14世紀,アメンホテプ4世は,従来の神々の崇拝を禁じて( サ )神のみを信仰することを強制する改革を実行し,都をテーべから( シ )に移すとともに,自らの名前も( ス )に改めた。この改革の影響によって,伝統にとらわれない写実的な( セ )が生み出されることになった。しかし,このファラオが亡くなると,ツタンカーメンによって都は再びテーべに戻され,( カ )信仰が復活した。

 第19王朝のラムセス2世は,シリアに進出し,カディシュで( ソ )と激しく戦ったが,後に平和条約を結んだ。その後,度重なる異民族の支配によって,古代エジプトは衰退していった。
 当時使用されていた象形文字は, 1799年,フランスの( タ )がエジプト遠征中に発見した( チ )を手がかりにして解読されるようになった。そこには,神聖文字の( ツ ),民衆文字のデモティック,ギリシア文字の三書体で同じ内容が併記されていたが, 1822年,フランスの( テ )によってそれらは解読され,次々に神殿の壁や石棺,パピルスに書かれた内容が分かるようになった。
 古代エジプト人は,霊魂の不滅と死後の世界を信じており,魂が帰ってくる場所として死体を( ト )にし,死者の書と共に埋葬していた。

解 答 

ノモス メンフィス ラー クフ メンカウラー
アモン アモン=ラー ヒクソス トトメス3世
アトン テル=エル=アマルナ イクナートン アマルナ芸術 ヒッタイト
ナポレオン ロゼッタ=ストーン ヒエログリフ シャンポリオン ミイラ

※別解:セ:アマルナ美術

ア.

ノモス古希νόμος, pl.: νόμοι古代ギリシア語ラテン翻字nomos)とは、古代エジプト行政的かつ社会的な地域単位であり、現代のに相当するものである[1]。古代エジプト語ではセパト(spȝt[2])と呼ばれた。本記事では、エジプト語に触れる場合除きノモスの語を使用する。時代による変遷を経て、最終的に上エジプトに22、下エジプトに20のノモスが確定した[3][4]。ノモスは行政単位であると共に信仰、土木、水利等を管理する地域共同体であり、古代エジプトの人々の生活空間としての役割を果たしていた。

イ.米中心に食べ。

 古王国 メンフィス

ナハメテーテル 綿花あれ。

ナイル川 ハルツーム メロエ(クシュ王国の首都)テーベ(現在のルクソール) テル=エル=アマルナ メンフィス カイロ アレクサンドリア

エ.クフ(Khufu)、またはクヌム・クフ(Khnum-Khufu)は古代エジプトファラオ古王国前半エジプト第4王朝を統治した。クフは第4王朝の第2代王であり、前王のスネフェルから王位を継承した。一般的に世界七不思議の一つ、ギーザの大ピラミッドを建造させた人物であるとされている。しかし、彼の治世の記録はあまり多く残されてはいない[5][10]

ク.

前2181クフ王、ギザにピラミッドを建てる。

二位は嫌だよ 気障クフ夫。
2181年  第4王朝 ギザ クフ王 


前1674年頃〈エジプト〉セム系遊牧民ヒクソスが侵入、ナイル川下流デルタを占領。

一路戦車で 轢く餌食。

前1674年 戦車 セム系 ヒクソス エジプト 

オリエント世界の変化 前16世紀~前12世紀

 オリエント 前16~12世紀

 ヒッタイト  B カッシート  C ミタンニ   D エジプト新王国   E エラム   F アッシリア 
 ボアズキョイ   2 バビロン   3 テーベ   4 テル=エル=アマルナ   5 スサ 
 アッシュール 7 カデシュの戦い 

 

解説:

前1274年〈ラメス2世、カデシュでヒッタイトと戦う〉★

 

 ▲カデシュの戦いでのラメス2世

●エジプト(新王国時代)

The Battle of Kadesh took place between the forces of the Egyptian Empire under Ramesses II and the Hittite Empire under Muwatalli II at the city of Kadesh. The conflicts were finally concluded by an official peace treaty.

古代エジプト19王朝の王(在位前1304年頃~前1237年頃)ラメス2世はシリア方面に出兵してヒッタイトと戦い(カデシュの戦い)、文献に残る最古の和議を結んだ。

以後、デルタ地帯に諸都市を営み、カルナックに百柱殿を造り、また多くの神殿を建てた。

 

カデシュの戦い

畏怖カデシュ ラメヒット。 

1274年 カデシュの戦い ラメス2世 ヒッタイト

 

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第1章・オリエントと地中海世界 ★★★ 0101-01 オリエント史 

2020-01-14 | 入試問題+ゴロ合わせ

 2004 早稲田大学教育

【問】メソポタミア古代に関する設問(1)~(10)について,a~dの選択肢の中から最も適切な解答を一つ選び,マークしなさい。また,設問①,②の解答を記入しなさい。
(1)メソポタミアの環境に関して述べた次の各文のうち,正しい説明はどれか。
a.
メソポタミアとは川の間の地方を意味し,南側を流れるティグリス川と北側を流れるユーフラテス川とにはさまれた地域とその周辺をさす。
b.
ティグリス川とユーフラテス川はアナトリア高原東部から流れ出ており,メソポタミアでは毎年4,5月に増水し,大洪水をもたらすこともあった。
c.
「肥沃な三日月地帯」とは,潅漑の必要がなく,自生していた麦を簡単に栽培化しえたアナトリア,メソポタミア,イランの農耕文明成立地帯をさす。
d.
メソポタミアは周囲を砂漠と山脈でまもられ,外敵の侵入を受けにくかった。
(2)
シュメール人の建てた都市国家に当てはまらないものはどれか。

a.ウル     b.ウルク   c.スサ    d.ラガシュ

(3)
前3千年紀後半にメソポタミアを統一したのは何人か。

a.アッカド   b.アムル   c.アラム   d.カツシート

(4)
ハンムラビ王が編纂した法典(ハンムラビ法典)に関して述べた次の各文のうち,誤った説明はどれか。
a.
「目には目を,歯には歯を」の章句で知られるように,刑法では復讐法の原理に立っている。
b.
貴族,平民,奴隷など身分間で刑罰が異なっている。
c.
犯罪が故意に行われたか,過失によるかで量刑に差を設けている。
d.
ハンムラビ法典は,メソポタミア最古の法典である。
(5)
ヒツタイトに関する次の各文のうち,誤った説明はどれか。
a.
前17世紀半ばに,小アジアに建国された。
b.
前2千年紀半ばにバビロンを急襲し,古バビロニアを滅ぼした。
c.
前1000年頃史上初めて,鉄製の剣と戦車を用いた。
d.
ヒツタイト人は,インド=ヨーロッパ系の民族である。
(6)
前15世紀にアッシリアを一時服属させた国はどれか。

a.ウラルトゥ    b.カナーン     c.ヒクソス   d.ミタンニ

(7)
前8世紀末以降のアッシリアの首都はどこか。

a.アッシュール   b.クテシフォン   c.ニネヴェ   d.ボアズキョイ

(8)
アッシリアに関して述べた次の各文のうち,正しい説明はどれか。
a.
前7世紀前半にエジプトを征服した。
b.
王は専制君主であり,イシュタル神を名乗り,神政一致の統治を行った。
c.
全土は州に分けられ,各地に州長官と監察官が中央から派遣され,中央集権が行われた。
d.
「王の道」が建設され,駅伝制が整えられた。
(9)
アッシリア崩壊後,メソポタミアを支配下に置いた国はどれか。

a.カルデア   b.パルティア   c.メディア   d.リデイア

(10)
メソポタミアの文化・経済に関して述べた次の各文のうち,誤った説明はどれか。
a.
メソポタミアで使用された暦は、月の満ち欠けに基づく太陰暦で,後に太陽暦的要素が加わった。
b.
メソポタミアではほぼ一貫して楔形文字が使用され,主に石板に刻まれた。
c.
メソポタミアでは60進法が使われたが,そのもとには円周の分割があったとされる。
d.
メソポタミアでは前7世紀後半から貨幣使用がはじまった。
設問①
 親友エンキドゥとの冒険をテーマとする英雄叙事詩の主人公はだれか。
設問②
 首都に大図書館を建てたアッシリア王はだれか。
 

解 答 

10
b※
設問1 ギルガメシュ 設問2 アッシュール=バニパル

※別解: 4: d 

解 説: 

(1)
a、ティグリス川が北側、ユーフラテス川が南側を流れる。c、潅漑農業が発達した。d、外敵の侵入は常にあった。
(2)
cのスサはペルシア帝国の政治上の首都。
(3)
前3千年紀の前半がシュメールの都市国家。後半の前24世紀にアッカドが征服した。

BC2371年  アッカド人のサルゴン1世、メソポタミアを初めて統一。

罪ないメソッド 圧巻さ。

BC2371年 メソポタミア統一 アッカド サルゴン1世  

(4)
現在ではメソポタミア最古の法典はシュメール人の残したシュメール法典とされている。   
(5)
ヒッタイトは建国した前17世紀にすでに鉄器を使用していた。

前1650年頃 ヒッタイト王国成る。

披露これ鉄 ヒッタイト。

前1650年 鉄器 ヒッタイト王国

(6)
アッシリアははじめミタンニに服属していた。なおaのウラルトゥとは、前9~前6世紀、小アジアの北西部にあってアッシリアと対抗した国。

ミタンニ

前15世紀、メソポタミア北部に王国を建設した民族。系統は不明。

 前16世紀からメソポタミアの北方の山岳地帯を支配したミタンニ人が建てた国で、ミタンニ人はインド=ヨーロッパ語族であるがその国を構成していた多くは、もともとコーカサス地方にいたフルリ人(フリ人ともいう)といわれているが、その民族系統は不明である。
 前15世紀にはシリア・イラク地方に進出してきたエジプト新王国と対抗、他方で小アジアのヒッタイトとも抗争した。前14世紀にはヒッタイトに敗れて衰退する。メソポタミア北部でははじめはアッシリア人を服属させていたが、そのアッシリア人がヒッタイト人から鉄器を学び、次第に有力となる中でミタンニは前13世紀ごろ滅亡した。 
(7)
初めはティグリス上流のアッシュールに都を置いた。メソポタミアを統一した前8世紀末からは中流域のニネヴェに遷都した。アッシュール=バニパル王はこの都に図書館などを建設した。
(8)
bのイシュタル神はシュメール以来のメソポタミアの普遍的な神。アッシリアはアッシュール神を最高神とした。

前671年 アッシリア、エジプトを征服してオリエントを統一。

労無い圧勝 オリエント。

671年 アッシリア オリエント統一 エジプト

(9)
4国分立時代の新バビロニアはカルデアともいう。パルティア・メディアはイラン、リディアは小アジア。
(10)
この設問には問題がある。楔形文字は粘土板に記されたのでbが誤りであるのは明確だが、dのメソポタミアにおける貨幣の使用開始年代を前7世紀と断定することはできず、すでに前4000年紀の末に銀を貨幣として使用したとする見解もある。旺文社の全国大学入試問題正解は両方を正解とし大学側は受験生の不利にならないように処置したと回答しているという。

 

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