
場所は衽(おくみ)で、裾まわしと胴裏の継ぎの部分。
小紋の仕立て直しですので、衽は褄下を逆にとりました。
(普通は裁ち目が褄下になり、耳側が身頃側になるのですが、逆にしました。)

この着物は 私が結婚する時、母の友人にお祝いにといただいたものです。
が、家で何度か 着てみたものの 一度も外に着ていくことのなかったもの。
理由はいつくかありますが、
一番の理由はこの手の着物を着ていく場所が若いころはなかったということ。
(小紋でも 大変おおきな柄です)
もう一つは、私の体に合わせて仕立ててなかったということ。
しかし、この歳になり、随分派手な柄と色なのに、無性に着たくなりました。
そこで、せっかくだからと、昨年、ほどき、洗い張りに出しました。
暮れに 仕立てにかかり、実際に縫いだしたのは、2月の後半からです。
途中、野暮用が続き、針をもつ機会がなかなかとれずに遅遅として進まない状態ですが、
今日 衿の綴じまでこぎつけました。
こうして洗い張りした着物を どうにか 仕立て直しできるようになったことを
感謝しながら、針を持っています。
それには いろんな人の助けと教えがあったからですが、
そんなお世話になった人を書いてみたいと思っています。
私の母は 大変器用な人で、和裁も洋裁も なんでもこなしていました。
頼まれて人様のものも仕立てていましたので、今で言うようなアトリエを構えてまではいませんでしが、
プロに近い技術で仕立てをしていたと思います。
私も小さい頃から 布遊びが大好きで
家にある端切れを勝手に引っ張りだしては、袋物を縫ったりはしていました。
そして 進学先は 自分の最初の希望とは違いましたが、
女子大の家政学部被服学科なるところに絞り、すべてその学科で受験しました。
35年前のことです。
祖母と母の強い勧めがありました。 やりたかったことは 意匠学
洋服を縫ったり 和服を縫ったりすることは技術レベルをあげるために大学でやることではないという考えでしたし、
特にやりたいことではなかったのです。
しかし、意匠学の講義は 私が願っていた内容とはかなり違うものでした。
もちろん 自分で発展させていくという方法もあったのかも知れませんが、二十歳ぐらいの私には そんな貪欲さも知恵もなく。
そして意匠学に一番近かったのが やはり 作るということでした。