東京の女子大を卒業し、鹿児島に帰った私が最初に赴任した高校は 農業学校で
女子だけの家庭科という職業クラスも二クラスありました。
30年前、家庭科という教科では「家庭一般」という課目しか知らなかった世間知らずの私は、
「家庭一般」のほかに 「被服1」とか「手芸」とか「被服2」とか、被服領域に限っても
多岐にわたっているということを現場の教師になって初めて知ったのです。
ちょっと記憶もあいまいになっていますが、教えなければならない実技は、
自分が大学で履修した内容よりも もっともっと被服製作中心でした。
さぁ 大変
毎日 授業やクラス運営以外の空き時間は ほとんど、専門書を片手に教材研究です。
新任という立場でもあり、勉強三昧の日々が続きました。
生徒は 3年間で 女物 男物の単衣、女物の袷長着、袷羽織まで、製作していました。
私が担当したのは、女物 男物の単衣。
90人ほどの生徒に それぞれの身長と体型に合わせて 寸法を出し、教えていきます。
一番の苦労は えり付けで、考えた挙句、2年目からは、脇縫いをする前に、
えり付けをさせるという 荒業を実践しました。
また、私の着物は母の仕立てで、衿繰り越しがつけてありましたが
高校の教科書は切り繰り越しで説明してあるし、
私が大学でならったのも 切り繰り越しによる仕立て方でした。
ヘラ付け(印つけ)は 見ごろ、衽、衿、掛け衿、袖とすべて丈と幅をしるします。
そして縫製に入っていくという手順でした。
しかし、その前に、複雑なところは 部分縫いという実習もあったような気がします。
例えば、褄下の額縁の作り方とか 袖の丸みの作り方とか えり先の始末の仕方とか…
作って 自分で着ることができない物は作らない、作らせないというのが 私のポリシーでしたから、
ほんとに どうしたらきれいな作品が出来るかを必死に研究して 実践させていました。
体型による寸法だしの違いなども含めて、ここで 単衣ものの仕立ての詳細を
自分のものにすることができました。
しかし あくまでも 学校で習って 学校で教えての段階でした。
その後、自分が習い教えている仕立て方でもない、母の仕立て方でもない、
職業和裁士という世界の仕立てがあると知ったのは それから5年ほど後のことです。