これってやはり化石? 私のライフスタイル!

ひともすなるブログなるものを、われもしてみむとてするなり

上野 国立博物館の庭園・・・平成館に入る前に散策

2020-11-28 | お出かけ



今日は午後から上野の森へ

オンラインチケットを買うと、トラブルがあったりしていけなくなった場合のキャンセルが出来ません

朝から何回かオンラインチケットのサイトをチェック

最終日前日で、しかもコロナの感染拡大が止まらないというタイミングだったので、さほど混雑はしてないみたい

という事で、現地でチケット購入することにして出かけました

ところが、窓口でチケットを購入すると、即入館してくださいと言われてしまいました

庭園に行きたいというと、特別展見てからにされてはと言われましたが、

その時間(16:00)には閉園しています

ところがオンライン予約だと、事前に博物館に入れるというのです

クレジットカードの支払い前だったので、キャンセルして、チケット売り場の前に立ったままで、オンラインで購入

QRコードを提示すると、指定時間前でも中に入れました

ふぅ😪

庭園は建物の一番奥にあります

ここにはお茶室があるのです

歴史的な茶室で、何度も移築を繰り返して、博物館庭園が終いの住処となった茶室です

その中の六窓庵は、とてもドラマティックです

ウェブサイトから引用させてもらうと

>> 慶安年間(1648~1652)に奈良の興福寺慈眼院(じげんいん)に建てられたもので、もとは興福寺大乗院内にあり現在奈良国立博物館に移された八窓庵、東大寺塔頭四聖房の隠岐録(おきろく)とともに大和の三茶室といわれました。明治8年(1875)に博物館 が購入、解体輸送中に伊豆で船が難破しましたが、幸い材は流失をまぬがれて明治10年(1877)に当館に移築されました。その後、第二次大戦中再び解体され疎開しま したが、昭和22年(1947)9月、数寄屋の名工木村清兵衛により現在の位置に再建されたものです。入母屋造、茅葺きで席は三畳台目出炉、金森宗和(1584~1656)好み。水屋、寄付、腰掛などは明治14年(1881)に古筆了仲(こひつりょうちゅう)によって設計、増築されたものです。

と、あります

第二次世界大戦中に解体されて、疎開していたなんて‼️

この建物を残すためにどれだけの人が知恵を出して、困難を乗り越えてきたことが

数々の先人の努力があって、目にすることのできる建物




小さな躙口




腰掛け待合




四方仏の手水鉢

>>にじり口にある手水鉢(ちょうずばち)は四方仏水盤といわれる形式のもので、延長3年(925)関白 藤原忠平が建立した法性寺(山城国)の石塔のひとつでした。その後、銀閣寺を経て所有者が幾人か変わり、明治18年(1885)に当館の所有になりました。

こちらもドラマチック

他には、小堀遠州が茶入れを賜り、その茶入れのお披露目のために作られたという茶室の転合庵




>>小堀遠州(こぼりえんしゅう 1579~1647)が桂宮から茶入「於大名(おだいみょう)」を賜った折、その披露のために京都伏見の六地蔵に建てた茶室です。1878年、京都・大原の寂光院に伝わっていた転合庵を、渡辺清(福岡県令、福島県知事、男爵)が譲り受け、東京麻布区霞町に移築。その後、三原繁吉(日本郵船の重役。浮世絵コレクター)へと所蔵者が変わっています。三原は茶入「於大名」も入手し、茶室転合庵とゆかりの茶入「於大名」がここで再び巡り合うこととなりました。その後、塩原又策(三共株式会社 今の第一三共の創業者)を経て、妻の塩原千代から昭和38年(1963)に茶入とともに当館に寄贈されました。

と、他にも移築された建物や陶器の大灯籠やら五重の塔やら、見どころがたくさん

私は平成館に入る前に、かなりのエネルギーをこの庭園で消耗品してしまいました😰

しかも、尋常でないカラスの数

うるさく鳴いて、近くを飛び回り、糞害に遭いそうでハラハラ

寛永寺のすぐそばだし、お江戸の頃の上野の森を連想してしまいます

博物館内のお茶室は貸し出しもしています

なかなか素敵な体験が出来そうですが、色々気をつかうことも多くて大変そう

この後 予約時間となり、平成館に入りました







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御嶽、川合玉堂美術館へ・・・友人とデート

2020-11-28 | お出かけ




27日金曜日は、奥多摩の御嶽駅を目指しました

目的地は玉堂美術館

家を出てから、途中2回乗り換え、2時間近くかけて、遠かった

お付き合いしてくれるのは、前回9月に一緒に日比谷で映画「パヴァロッティ」を観て、ランチを共にしたHさん

御嶽駅で降りたのは、3回目かな

1回目は20代の時で、大倉山に住んでいた妹のところへ遊びに行き、二人で御嶽山にハイキングしました

あの時も遠いと思ったけど、やはり東京湾近くに住んでいて、奥多摩は遠かったです

私は2回の乗り換えで済みましたが、友人はなんとちょこちょこ5回乗り換え😵

拝島駅から私の車両に乗り込んできて合流

御岳駅を降りて、川を渡り、渓谷へ降りて行きます

玉堂美術館は、駅の対岸の目の前に川が流れているところにありました

玉堂は、日本画の巨匠、香淳皇后の絵のご指導もした画家

入館時にもらえるパンフレットに、「清澄にして気品のある独自の作風」と画風の紹介がありますが、とても端的な説明

今回の展示品は、この季節に見合ったものが選んであったようですが、静謐を湛えた奥多摩の晩秋を切り取ったような水墨画の数々には、飲み込ままれてしまいそうな魅力がありました

美術館の奥には復元された画室が






そして庭園も、玉堂の絵になんともマッチした石庭







日めくり暦を 思い出に買い求めました



毎日めくると、今日は何日だ?というボケ防止にもなりそう(笑)
31枚の玉堂の絵があります

美術館を出て、隣のいもうとやへ




掃き寄せられたイチョウの葉で、路面は金色でこの道を歩くのもご馳走😊

いもうとやも展望のいいカフェがあり、渓流や対岸の景色を見ながら お茶一服で休憩

和栗のモンブランとお抹茶を選びました




美味しい一服とおしゃべりを楽しんだ後、一駅手前の澤井まで多摩川沿いを歩くことにしました

途中マットレスを背負った若い人が川岸に降りて行きます

こんな寒い日に、川岸でキャンプ?

でも歩いているうちに見えてきたのは、ロッククライミングを練習する人たち


キャンプではなかった😅




目指すは澤乃井櫛かんざし美術館

その手前に、小さなお寺があり、通り抜けるようにして歩きます




なんと、大日本寒山寺というお寺は、中国寒山寺から寄贈された仏像が安置されているとか

そして、櫛かんざし美術館へ





この美術館には、江戸から昭和に至る4000点のコレクションがあるそうです

櫛やかんざしの鼈甲や象牙に蒔絵を施した工芸品の数々も素晴らしかったけど、沢山の矢立のコレクションを見たのは初めて

筆と硯を小さくまとめた矢立に、どれもこれも素晴らしい彫刻や蒔絵が施さらています

日本の文房具の種類の豊富さや品質の高さは、世界の人々にも魅力があるそうですが、その原点を矢立に見たのは気がしました

この後、紅葉橋を渡り、駅のある対岸へ

時間は3時前

ずいぶん遅くなりましたが、ランチタイムはお蕎麦






多摩川を眼下に見ながら、湯葉蕎麦と大豆で出来たお肉の甘煮を追加して

奥多摩の楽しみ方は色々あるようで、ラフティングを楽しむ人も



奥多摩滞在時間は、4時間足らずでしたが、たっぷりと堪能できました

澤井駅から電車に乗り奥多摩をあとにしました

今回の上京では、一人でも行こうと思っていた玉堂美術館

付き合ってくれたHさんは、私が上京すると必ず時間を作って会ってくれます

映画を観たり、美術館に行ったり、日暮里繊維街へ出かけたり

やりたい事が沢山あり、好奇心旺盛で、沢山の引き出しを持っている豊かな感性の持ち主です





















コメント (4)
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