今日は午後から上野の森へ
オンラインチケットを買うと、トラブルがあったりしていけなくなった場合のキャンセルが出来ません
朝から何回かオンラインチケットのサイトをチェック
最終日前日で、しかもコロナの感染拡大が止まらないというタイミングだったので、さほど混雑はしてないみたい
という事で、現地でチケット購入することにして出かけました
ところが、窓口でチケットを購入すると、即入館してくださいと言われてしまいました
庭園に行きたいというと、特別展見てからにされてはと言われましたが、
その時間(16:00)には閉園しています
ところがオンライン予約だと、事前に博物館に入れるというのです
クレジットカードの支払い前だったので、キャンセルして、チケット売り場の前に立ったままで、オンラインで購入
QRコードを提示すると、指定時間前でも中に入れました
ふぅ😪
庭園は建物の一番奥にあります
ここにはお茶室があるのです
歴史的な茶室で、何度も移築を繰り返して、博物館庭園が終いの住処となった茶室です
その中の六窓庵は、とてもドラマティックです
ウェブサイトから引用させてもらうと
>> 慶安年間(1648~1652)に奈良の興福寺慈眼院(じげんいん)に建てられたもので、もとは興福寺大乗院内にあり現在奈良国立博物館に移された八窓庵、東大寺塔頭四聖房の隠岐録(おきろく)とともに大和の三茶室といわれました。明治8年(1875)に博物館 が購入、解体輸送中に伊豆で船が難破しましたが、幸い材は流失をまぬがれて明治10年(1877)に当館に移築されました。その後、第二次大戦中再び解体され疎開しま したが、昭和22年(1947)9月、数寄屋の名工木村清兵衛により現在の位置に再建されたものです。入母屋造、茅葺きで席は三畳台目出炉、金森宗和(1584~1656)好み。水屋、寄付、腰掛などは明治14年(1881)に古筆了仲(こひつりょうちゅう)によって設計、増築されたものです。
と、あります
第二次世界大戦中に解体されて、疎開していたなんて‼️
この建物を残すためにどれだけの人が知恵を出して、困難を乗り越えてきたことが
数々の先人の努力があって、目にすることのできる建物
小さな躙口
腰掛け待合
四方仏の手水鉢
>>にじり口にある手水鉢(ちょうずばち)は四方仏水盤といわれる形式のもので、延長3年(925)関白 藤原忠平が建立した法性寺(山城国)の石塔のひとつでした。その後、銀閣寺を経て所有者が幾人か変わり、明治18年(1885)に当館の所有になりました。
こちらもドラマチック
他には、小堀遠州が茶入れを賜り、その茶入れのお披露目のために作られたという茶室の転合庵
>>小堀遠州(こぼりえんしゅう 1579~1647)が桂宮から茶入「於大名(おだいみょう)」を賜った折、その披露のために京都伏見の六地蔵に建てた茶室です。1878年、京都・大原の寂光院に伝わっていた転合庵を、渡辺清(福岡県令、福島県知事、男爵)が譲り受け、東京麻布区霞町に移築。その後、三原繁吉(日本郵船の重役。浮世絵コレクター)へと所蔵者が変わっています。三原は茶入「於大名」も入手し、茶室転合庵とゆかりの茶入「於大名」がここで再び巡り合うこととなりました。その後、塩原又策(三共株式会社 今の第一三共の創業者)を経て、妻の塩原千代から昭和38年(1963)に茶入とともに当館に寄贈されました。
と、他にも移築された建物や陶器の大灯籠やら五重の塔やら、見どころがたくさん
私は平成館に入る前に、かなりのエネルギーをこの庭園で消耗品してしまいました😰
しかも、尋常でないカラスの数
うるさく鳴いて、近くを飛び回り、糞害に遭いそうでハラハラ
寛永寺のすぐそばだし、お江戸の頃の上野の森を連想してしまいます
博物館内のお茶室は貸し出しもしています
なかなか素敵な体験が出来そうですが、色々気をつかうことも多くて大変そう
この後 予約時間となり、平成館に入りました