THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

歌手のもんたよしのりさん、死去…

2023-11-23 22:25:15 | free form space
ある程度の年齢ならば…と思いつつも、今年は相次ぐベテラン歌手の訃報に半ば呆然としています…。

もんたよしのりさんも、そんな中の1人だった。
だってTVの歌番組生中継で、元気いっぱいに大ヒット曲を変わらぬソウルフルなハスキーパワーヴォイスで熱唱した姿を観てから1か月も経っていなかったから。

誰もが知っている、あの「ダンシングオールナイト」でいきなりブレイクしたけど、実は苦労人。
それ以前にソロデビューをするも、泣かず飛ばすで、一度は諦めて実家に帰っていたのですね。
その時の曲が、オムニバスアルバムに入っていました。
まだ、もんた頼命名義。
曲調は、アコースティックソウル的な味わい。
バックはトランザム!
中々に渋い幻のソロデビューアルバムは、数年前めでたくCD化になっています。^_^

売れっ子のもんた&ブラザーズへ、私は、歌番組関連の裏方仕事でよく関わりました。
中でも、1番印象に残っているのは、第10回東京音楽祭!
武道館から、TV放映もされました。
豪華な世界中の出演者の中に、もんた&ブラザーズも参加。
司会者、ゲスト歌手、審査員と凄い顔触れ。
私の先輩達も、さすがに色めきだっていましたよ。
もう、その辺りは割愛!
スティービーワンダーは、やはり別格に感動した。
で、結局はノーランズの「セクシーミュージック」が、グランプリに輝いた!
彼女達は、何故だかやたらにもんたさんに対してライバル意識むき出しでした(⌒-⌒; )
その、もんた&ブラザーズは、見事にスティービーワンダー賞を受賞!
その後のパーティーで、上機嫌なスティービーワンダーがいきなり演奏をはじめて、マーティブレイシーさんがドラムを担当したそうです。
あの頃は、もんたさんにとって最も多忙だったのでは…!
仲良しの西城秀樹さんへ、ギャランドウを提供。
そして、同じ事務所の大橋純子さんとのデュエット曲と、ヒットを連発していましたね!
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howard jones

2023-11-23 20:44:17 | free form space
ハワードジョーンズ
もろに80年代だね!
デジタルシンセのサウンドを聞いてると、一気にあのMTV時代にタイムスリップ!
当時は音楽が商業化されてお金中心に振り回されている、なあんて嘆かれてたもんね!
ヒット狙い、売れ線中心のシンプルでタイトでキャッチーでポップな似たものストレートソングと。
それが時の流れと共に、80年回顧ブームとか言って騒ぐ。
今の若者たちの間では、新鮮でかっこいいんだとか。
時代は常に廻る…。

遂この間、元気いっぱいベストヒットUSAに出演していた!

ちなみにこのシングルジャケットは折り畳みポスターとなってます!
ハワードジョーンズって、来日して「笑っていいとも」に出てなかったっけ?😃



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柳ジョージ&レイニーウッド

2023-11-23 19:43:23 | free form space
大人のジャパニーズロックとして数々のヒット曲を輩出した伝説のバンド「柳ジョージ&レイニーウッド」
このバンドほど夜、酒、タバコが似合うバンドはいないでしょ。
下積み時代の長かった柳ジョージさんは、あの成毛滋さんやツノダ☆ヒロさんと活動を共にしていた頃もありましたが、レイニーウッドで大ブレイク。
当時日本のロックシーンとしては珍しいリズム&ブルースを大胆に取り入れて、玄人筋からも絶賛されました。
私が個人的にお気に入りなのは、「祭りばやしが聞こえる」のシングルバージョン。レイニーウッドが演奏してはいませんが、柳ジョージさんのあの渋いハスキーボイスで、魂を振り絞って歌う様に痺れつつ何度も聴きまくりました。
どうしてこんなにソウルフルな味が出せるんだろ?
羨ましい。
柳ジョージさんの髪型、ファッション、歌い方、ストラトキャスター、そしてブルースフィーリングの曲調から、絶対に日本のエリッククラプトンを意識しているんだろうなあと感じてもいました。
でもボーカルの表現力は断然、柳ジョージさんに軍配が上がると思いますよ。
めちゃエモーショナルで上手い。
私が東京在住して初めての仕事が、レイニーウッドのリハーサルスタジオにフェンダーツインリバーブアンプを持って行くことでした。
初日で、まだ慣れない都会の生活…。
私が仕事の合間にスタジオロビーの窓から眩しくそびえ立つ摩天楼を1人ぼうっと見つめていると、いつのまにか休憩に入った柳ジョージさんが1人で真横に立っていて外の同じ景色を眺めながら小声で歌っていたのです‼️
しかも自分の曲ではなく、なんと演歌をめいっぱいにコブシきかせ、私にだけ聞こえるようにね!(曲名は失念)
それがまた、なまらかっこいいくらい自然にハマっている。
見事な柳ジョージ節。
実力派のプロって桁違い。
あっけにとられていた私と柳ジョージさんは、一瞬目が合いましたが即お互い自分の持ち場に戻りました。
結局その年の1981年に柳ジョージ&レイニーウッドは解散。
私は渋谷公会堂でのライブを観ました。
メンバー全員が真っ白の衣装を着こんで安定したサウンドを次々と披露。
柳ジョージさんが身をよじりながらストラトでギターソロを弾きまくる姿を見て「凄い!」と圧倒されました。
柳ジョージさんは当時グリーンのポルシェに乗ってスタジオに通っていましたが、その車はレイニーウッドのメンバーに譲ったそうです。
その後、柳ジョージさんはソロに、レイニーウッドはザ・ウッドとして再出発しました。
そして柳ジョージは亡くなり、ザ・ウッドも解散してしまいました。
ジョージさん晩年の奥様は、青春ドラマにキュートでセクシーな役回りが多かった美しい女優さんでした!
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五輪真弓

2023-11-23 19:14:35 | free form space
中学生の頃、授業中、音楽雑誌ばかり読んていたもんだから先生に当てられたら毎回狼狽えた…!
でも横の席の才女Sちゃんがサッと答えを書いたメモを渡してくれて、しょっちゅう救われてたんだね(^◇^;)。
ありがとう。

その彼女がある日、一枚のシングルレコードを学校に持って来た。
それが五輪真弓デビュー曲の「少女」
ユーミン、中島みゆきら女性シンガーソングライターとはまた一線を画す独自の世界観を構築した人。
「日本のキャロルキング」と鳴り物入りでの登場。
これ、決して大袈裟ではない。
彼女はデビューに際して、いきなりアメリカレコーディングを敢行。
そこで何と彼女のデモ音源を聴いて感銘を受けたキャロルキングが自ら参加を希望したのだそうです。
その頃のキャロルキングと言えば「タペストリー」大ヒットでまさに世界的にも時の人!
しかもまだ10代の五輪真弓さんはスタジオで堂々とキャロルキングに注目をつけたのだとか!

数年後に矢野顕子さんがリトルフィートをバックにレコーディングしたりしたけど、五輪真弓さんは海外レコーディングの先駆者だ。

80年前後から毎年3月3日に「ひな祭りコンサート」というイベントが開催されてた。
俺も1981年の中野サンプラザにて裏方雑用勤務で行った。
ラジオでも生中継してたらしいよ。
その時の司会者がファッショナブルにドレスアップした五輪真弓さん。
もちろん彼女も代表曲を歌ったけど、他の参加者も日本女性シンガーソングライターばかり。
全員は記憶していないけど、イルカ、久保田早紀、太田裕美、沢田聖子などなど錚々たる面々だった。
で、サザンから原坊も自身のソロを歌った。
ひな祭りだから、男性ミュージシャンの参加は基本的に駄目。
だからなのか原坊のバックバンドを務めていた全員がゴリラかなんかのマスクを被って淡々と演奏していた。
ただ、コーラスのパートになると例のハスキーボイスが響いてくる。
めちゃくちゃに個性的で目立つ。
演奏後、五輪真弓さんも「何処かで聞いた事のあるコーラスでしたね^_^」といじって爆笑だった。
まだお二人が結婚前の話。

しかし、五輪真弓さん、初期のライブアルバムは、バックミュージシャン達も、曲目も凄い!



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GARO

2023-11-23 18:49:57 | free form space
日本のCS&NことGARO。
爽やかなコーラスと繊細なるアコースティックギターサウンドが評判を呼び、今では伝説のフォークトリオ。
残念なことに、もう2人は故人です…
当時フォークミュージシャンはテレビには出演せずに、レコードとコンサートに力を入れるというのが当たり前のような風潮のなか、ガロは積極的に歌番組に登場していましたね。
楽曲もですが、他のフォークシンガーらと比較しても、ルックスや髪型、ファッションがイカしていて、愛称もマーク、ボーカル、トミーと呼ばれファンは男女問わず常に注目していました。
四畳半フォークとは一線を画す!

意外な話ではありますが、プロデューサーのミッキーカーティス繋がりからか、あのキャロルとも濃密なる親交があったようです
(キャロルのデビューコンサートではボーカルがアナウンスを担当していましたね)。

ヒット曲も数多く、今でも歌い継がれています。
改めて素晴らしい曲がたくさんあったなあとしみじみ思いますよ。
曲が流れてくると同世代の皆さんも甘くほろ苦い青春時代が蘇ってくる事でしょう。

ガロは音楽的方向性が歌謡曲に傾いていくに従い、メンバー間に対立が勃発。
惜しまれつつも、解散してしまいます…。

ボーカルは今でもソロ活動をマイペースで行なっていて、時折テレビで元気な姿を見かけますね。
ガロの解散の要因の一つにトミーのロック思考がありました。
実際にトミーはママドゥというハードロックバンドを結成して、あのレインボー来日公演の前座を務めます。
私の当時のバンドギタリストはそれを目撃しています。
私は東京楽器フェアでトミーが入場者に混じって、一人で見学しているのを見かけたことがありました。
すれ違いさまに「あ?!トミーだ!」と気づいた私の表情をトミーも察知したのか、一瞬互いの視線が固まりました。
多分私は自分で認識していなかったかもしれませんが、相当に凝視していたのでしょうね。
またトミーは日高富明&ファイアーを結成します。
ちょっと前までテレビで再放送していた勝新のライフワークドラマ「座頭市」の音楽もファイアーで担当しています。
時代劇に斬新なるロックバンドのBGMは革新的。
勝新ならではのセレクション。
ところがその後に起こったトミーの惨劇。私もテレビのワイドショーを見ながらショックでした。
信じられなかった。
久しぶりに画面に映ったマーク、ボーカルも悲痛な表情でかつての仲間に対して、コメントを述べていました。

代表曲「学生街の喫茶店」は当初B面に収録されていたのですよ。ところがラジオ番組でリクエストが殺到して、あれよあれよという間に大ヒットしたという経緯があります。
「姫鏡台」を新曲発表としてテレビに出演した際(マチャアキのあの歌番組)、シタールをガロが持っていて演奏前にそれを説明していたのをよく覚えています。
(日本人が本格的にシタールを演奏に導入したのはこれが初らしい)
まだまだあの楽器は珍しかったですからねー^_^!



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