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Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

伊吹山は京極氏の里 上平寺跡へ登ろうⅡ

2011-11-14 21:52:48 | 山歩き

Tozandou2
ジオンさんが不満げ

おかしい こんな薄暗い道じゃぁ無かった・・・・と

もっと日が燦々と差して気持ちの良い登山道だったというのだ。

彼女はいつもとてもタフで長い道を歩くので 途中の道を覚えていないに違いない。

Toandou3私としては こんな道もあったりして 足に優しいのでまずまず

Tozandou3う~~ん 少々暗いか・・・・?

何処を歩いているのか ???の気分

Matukazesou
まだあった

マツカゼソウ

Okatatunamisouべろ~んと舌を出したみたいな花だからダチョウ倶楽部だ~ とか訳の分からない名前を付けていたけれど オカタツナミソウと判明

この花も沢山会ったね

Tozandou7
だんだん明るくなってきました。 これで安心です。

Nemagari空が見えるようになって来ました。 何となく広場のようになって来ました。 寝曲がりの木がいっぱい。

この地は冬になると割合雪が多いのだ。 一昔前には 雪が降ると関ヶ原から向こうに行くのにはちょっと気を遣った。


良い気持ちだね~

こんな森は好きです。

それにしても まだかしら?

Dorui土塁が見えてきました。上平寺城にやってきたようですが 何処に?

Karabori_3
空堀でしょうか?

上平寺城は 1505年頃に京極高清が築いたものらしい。堀切や 堅堀が放射状に張り巡らされている

尾根道を縦列でしか攻めることが出来ないので かなり堅固な城だと言うことだったけれど・・・・信長との戦いのために浅井長政の援助を受けて構築したそうだけれど 役に立たなかったのだろうか?

Tamurasou

Hana_3

Jyouhijiato土塁の斜面を登っていくと上平寺跡に出る。

草むらで 歩き回るにはちょっと・・・と言う状態だったけれど

ここで立っておやつをいただく。

戦争のために作られたお城だからだろうか? 思ったよりこじんまりした主閣のようだった。

さて これから 弥高寺百坊跡に向う。 標高差はあと60メートルほどなんだけれどねぇ

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伊吹山は京極氏の里 上平寺跡へ登ろうⅠ

2011-11-14 17:21:59 | 山歩き

今日(10月12日)もジオンさんのお世話になります。

今日の参加者は ジオンさん ボギーさん ハイジさん Yさん 私

私のために計画してくれたようなものだと 有り難い気持ちでいっぱいだけれど 何しろ4連ちゃんのあとの山歩き。 少々不安もあります。 「トラバース道だから大丈夫だよ」って言うんだけれど。

Map

悉地院の駐車場へ車をデポさせてもらい 伊吹神社の方へ戻る。 

この地図に乗っている肌色の地域 京極氏の館跡 庭園跡などを歩いて その後伊吹神社から左の方にトラバースして上平寺(標高669メートル)まで登る。

その後 更に左にある弥高寺百坊跡までトラバース 

その後林道を通って悉地院まで降りようというコース。そういえば悉地院は弥高寺の法灯を未だに伝えている唯一のお寺なんだよね。

さ 行こう

不安よりは胸の高鳴りが大きい

Ibukijinjya伊吹神社の鳥居をくぐってのんびり歩く。すぐに京極氏の館跡などが続く。

きょろきょろ

館が無くなってどのくらいになるのか 開けたはずの土地には所々新しい木が育っている。

Kirigajyoudu_2
弾正屋敷跡 蔵屋敷跡 京極氏館跡など看板は出ているんだけれど・・・・

Jizou城は669メートルのところにあるけれど 普段の生活はここで・・・・

山城の役割はなんだったんだろう? 本当に戦争の為だけに?

立派な掘り割りを放射状に付けた桐ヶ城の存在を不思議に思う。

Teienato_2館跡の置くに庭園跡がある。 石が転がっているだけのように見えるけれど よく見ると池の周りに石が組まれ この時代のお寺などに良くあるような亀石などが配され さぞかし立派な庭だったんだろう と思われる。

毎年 ここで蝋燭を何本も立てて 京極氏の栄華を忍ぶ会が行われているらしい。 昼なお暗い鬱蒼とした森だけれど ライトアップは ちょっと風情があるかもしれない。

Sandou2
伊吹神社 社殿に行く道は長い階段。 京極氏の館のすぐ上に当たる。

Haka
京極氏の一族の墓です。

正確には 京極高清の墓があったのですが丸亀藩主高豊が 京極氏の墓を整理して今では山東町の源徳院にウツされたようです。

今は 京極氏ゆかりの姫たちの墓になっているようです。 寂しいね

さて いよいよ山登りです。 左に回って尾根を登って行くことになるようです。

上平寺城は 別名桐ヶ城と言うようです。 まだ徒歩で50分と 書かれています。 ふ~ん 1時間かぁ。 ま ジオンさんの楽だよ  は私の覚悟しとけと同意語ですが

Haguma2

Akicyouji

Toranoo

クルマバハグマ アキチョウジ サラシナショウマ 花は全然期待していなかったので ちょっと嬉しい。 退屈しないで登れます。

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伊吹山は京極氏の里 はじめに

2011-11-14 14:20:22 | 山歩き

昔 伊吹山の中腹に太平寺というお寺があって そこに小さながあったと言う記事を見たことがあります。 その集落は 伊吹山の8合目までそばを植えていたと・・・

厳しい自然にみんなで山を下りようと決め 集落は伊吹鉱産に売ったのだと・・・ 昭和30年代のことだったと聞いて その場所が何処にあるのかとても気になっていました。 調べようにも 愛知県民としてはなかなかその資料を得る方法を思いつきませんでした。

Ibukiyama2

人に会う度にそのことを訪ねていてどうやらその場所も分かってきました。 そして 伊吹山そのものが日本武尊の時代から歴史の舞台に上がっていて そこに沢山の人々の営みがあったことを知り胸が熱くなりました。

そんな私の気持ちを知って山中間のジオンさんが 弥高尾根の登山を計画してくれました。すごいです。伊吹山丸ごと感じることが出来ます。 そして弥高寺は私が探していた太平寺とも縁が深かったのです。

平安時代に天下の七高山に数えられた伊吹山 巨石信仰等に見られるように山に対する原始的な信仰であがめられていた伊吹山はやがて起きる密教と結びつき修行の場として伊吹山寺の場所となります。

伊吹山寺は やがて弥高寺 太平寺 長尾寺 観音寺に別れ 山岳信仰はこの四ヶ寺と伊夫岐神社 三之宮神社を中心に展開するのです。

これはものすごい規模です。 今回回る弥高寺は標高714メートル ずいぶん高いです。 ここに本坊があったようですが 弥高百坊と言われる沢山の僧坊があったと思うと心が高鳴ります。伊吹山は空まで続く僧坊で埋め尽くされ 人々は辛み大根(昔から作っていたらしい)やそばを作っていた。

その後 京極氏の台頭に寄って 僧坊は城として代用されます。ちょっと前まで大河ドラマで京極氏が脚光を浴びていたので 少し書いておきます。

京極氏は宇多天皇の流れをくむ名門です。 近江源氏佐々木氏として有名です。 前に滋賀県の衣笠山に登ったときに佐々木氏(六角氏)の観音寺城跡を見たことを思い出しました。

鎌倉時代に佐々木氏が京極氏 六角氏 大原氏 高島氏に別れます。 南北朝時代にはバサラ大名で有名な京極道誉の活躍で室町時代に幕府の四識家として中央政権で重要な役割を果たすようになります。

最近歴史ブームに乗っ取ったゲームにバサラ大名が登場しますが 銅像を見てあまりに様子がおかしいので ちょっと笑ってしまいました。 むかーしの大河ドラマでは陣内孝則さんがやっていたような気がします。

その後戦国時代に入り跡目争い 有力家臣の一族争いなどで 京極氏の名前が歴史から消えていきます。 浅井三兄弟の初と結婚した京極高次は 実は初の従姉妹です。 小谷城で生まれた高次と弟の高知が京極家を再興するようになります。

勝ち馬に乗るのが高次のやり方だと・・・・

京極龍子が秀吉の寵愛を受けていたこと 大津籠城戦などをおもうと勝ち馬に乗ると言う家訓は本当かもねと思ってみたり そんな生き方を美しくないと思ったり 家族 家臣を養うために必要な選択だったんだと思ったり

その後初とともにキリスト教の洗礼を受けたことなどを考えると いつもぎりぎりの選択を迫られていた人生だったのかもしれない。

とりとめもないことを書きました。 一つ一つを大事に書くときりがないので これで辞めます。 これから登る弥高寺への思いを少しでも分かってもらえたら・・・・と

コメント (2)
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