新生フリートークになって2ヶ月半が経った。
経営的には決して順調とは言えない。
そもそも3年前にオープンして約1年はもっとひどかった。
企業も店も人で持つとボクは考える。
一人の女性マネージャーが頑張って軌道に乗せてくれた。
ほとんどのお客様がそのマネージャー目当てで来ていただいた。
フリートークは事実上その女性の店と言っていいほどだった。
そしてボクもそのつもりだった。
業績は尻上がりによくなっていった。
ひとえにその女性マネージャーの努力の賜物であった。
だが、2年半経ったところで突然プッツンしてしまった。
何故か真意は分からない。
ボクはその女性のことが好きだったし、敬意も払っていた。
その気持ちは今も変わらない。
(ボクの表面的態度からはそう見えないかもしれないが)
本人から辞めると言われたときは青天の霹靂だった。
なぜ?なぜ?なぜ?なぜ???????????????????
100%謎だった。
未だに分からない。
残されたのは、ボクと会員さんを中心としたお客様たちだった。
そしてフリートークそのものだ。
ボクの使命は、残された会員さんと、フリートークの社会的意義の為に
フリートークそのものを存続させることにある、と考えた。
何が何でもフリートークを無くすわけにはいかない、と。
かといって、その女性マネージャーに取って代わる人材はいない。
あまりにも彼女は多彩(才)で有能だった。
フリートークの売りと意義は、「スタッフは外国人」ということに尽きる。
悶々とする日々が続いた。
時を経ずして、フリートークのあり方に不満の声が聞こえてきた。
そしてボクを批判する声も。
ボクは耐えていた。
フリートークを潰せば肩の荷は降りるかもしれない、とも思った。
だが、ここは何が何でも潰すわけには行かない。
見栄も外聞もかなぐり捨てて、その一点に集中して批判に耐えた。
一ヶ月半が過ぎた頃、ある外国人男性がボクの前に姿を現した。
彼はアメリカ人だ。
"I want to help you" と言ってくれた。
ボクは彼に一切を任せることにした。
彼もまたボクにとって「神様からのギフト」にほかならない。
もちろん、それですぐに以前と同じ状態に戻ることはできない。
ただ、「スタッフは外国人」という最低限の看板だけは残すことができた。
そしてお客様が帰ってきた。
だが一部、懐古主義者は未だ戻っていない。
そしてごく一部だが、誹謗中傷を繰り返している。
新しいアメリカ人男性スタッフのファンも付いてきている。
もちろん一朝一夕には以前の業績には至らないことぐらいは分かっている。
雰囲気もやり方もガラリと変わった。
彼は彼流のやり方で一生懸命頑張ってくれている。
ボクはそれを尊重している。
ボクはそもそも性善説に立つ人間である。
人を信じる。
信じてあげればこそ、人は動く。
だが同時に人は過ちを犯すものだと思う。
だから、許す。
どんなに酷い仕打ちを受け、裏切られても
「罪を憎んで人を憎まず」 を貫き通す。
批判も甘んじて受ける。
だからといって、それで潰されはしない。
他人を信じ、自分を信じて生きている。
ボクも過ちを犯す。
よく犯す。
だが、いや、だから反省をし、自分をも許す。
だから潰れない、ウツにもならないですんでいる。
(ウツになる人の多くは、自分を許すことを知らない、と思う)
「去るものは追わない。
来るものは拒まない」
これはボクの美学だ。
ボクは冷たくもあり、温かさも兼ね備えている。
ボクの冷たい面だけを見る人間は、ボクを批判し離れていく。
だが、温かい面を買ってくれる人は行動を共にしてくれる。
離れていく人は何も言わずに離れていく。
残る人はむしろ饒舌で辛辣だ。
ボクは自分自身を素直な方だと思っている。
聞く耳は持っているつもりだ。
だから常に話し合いを呼びかける。
だがそれに応じようともしないで、決め付けてしまう人間もいる。
悲しいことだ。
その人たちの数は少なくても、声は大きい。
人づてに悪口雑言がボクの耳に届く。
話し合おう。
話せば分かる。
分かり合おう。
離れていては誤解や亀裂は大きくなるばかりだ。
"The door is always open for you."
ボクはいつも言っている。
フリートークを愛する人達はいっぱいいる。
ならば君の意見を聞かせてくれ。
フリートークはどうあるべきか。
どうあって欲しいか。
フリートークは常に変化している。
変化が退化でなく進化につながって欲しいと思うのはボクだけではないはずだ。
本当にフリートークを愛するならば、
ここへ来て、君の話を聞かせて欲しい。
外野で溜飲を下げるのはもうよそう。
「話し合い」 こそ平和への唯一の道なのだ。
"The door is always open for you."
経営的には決して順調とは言えない。
そもそも3年前にオープンして約1年はもっとひどかった。
企業も店も人で持つとボクは考える。
一人の女性マネージャーが頑張って軌道に乗せてくれた。
ほとんどのお客様がそのマネージャー目当てで来ていただいた。
フリートークは事実上その女性の店と言っていいほどだった。
そしてボクもそのつもりだった。
業績は尻上がりによくなっていった。
ひとえにその女性マネージャーの努力の賜物であった。
だが、2年半経ったところで突然プッツンしてしまった。
何故か真意は分からない。
ボクはその女性のことが好きだったし、敬意も払っていた。
その気持ちは今も変わらない。
(ボクの表面的態度からはそう見えないかもしれないが)
本人から辞めると言われたときは青天の霹靂だった。
なぜ?なぜ?なぜ?なぜ???????????????????
100%謎だった。
未だに分からない。
残されたのは、ボクと会員さんを中心としたお客様たちだった。
そしてフリートークそのものだ。
ボクの使命は、残された会員さんと、フリートークの社会的意義の為に
フリートークそのものを存続させることにある、と考えた。
何が何でもフリートークを無くすわけにはいかない、と。
かといって、その女性マネージャーに取って代わる人材はいない。
あまりにも彼女は多彩(才)で有能だった。
フリートークの売りと意義は、「スタッフは外国人」ということに尽きる。
悶々とする日々が続いた。
時を経ずして、フリートークのあり方に不満の声が聞こえてきた。
そしてボクを批判する声も。
ボクは耐えていた。
フリートークを潰せば肩の荷は降りるかもしれない、とも思った。
だが、ここは何が何でも潰すわけには行かない。
見栄も外聞もかなぐり捨てて、その一点に集中して批判に耐えた。
一ヶ月半が過ぎた頃、ある外国人男性がボクの前に姿を現した。
彼はアメリカ人だ。
"I want to help you" と言ってくれた。
ボクは彼に一切を任せることにした。
彼もまたボクにとって「神様からのギフト」にほかならない。
もちろん、それですぐに以前と同じ状態に戻ることはできない。
ただ、「スタッフは外国人」という最低限の看板だけは残すことができた。
そしてお客様が帰ってきた。
だが一部、懐古主義者は未だ戻っていない。
そしてごく一部だが、誹謗中傷を繰り返している。
新しいアメリカ人男性スタッフのファンも付いてきている。
もちろん一朝一夕には以前の業績には至らないことぐらいは分かっている。
雰囲気もやり方もガラリと変わった。
彼は彼流のやり方で一生懸命頑張ってくれている。
ボクはそれを尊重している。
ボクはそもそも性善説に立つ人間である。
人を信じる。
信じてあげればこそ、人は動く。
だが同時に人は過ちを犯すものだと思う。
だから、許す。
どんなに酷い仕打ちを受け、裏切られても
「罪を憎んで人を憎まず」 を貫き通す。
批判も甘んじて受ける。
だからといって、それで潰されはしない。
他人を信じ、自分を信じて生きている。
ボクも過ちを犯す。
よく犯す。
だが、いや、だから反省をし、自分をも許す。
だから潰れない、ウツにもならないですんでいる。
(ウツになる人の多くは、自分を許すことを知らない、と思う)
「去るものは追わない。
来るものは拒まない」
これはボクの美学だ。
ボクは冷たくもあり、温かさも兼ね備えている。
ボクの冷たい面だけを見る人間は、ボクを批判し離れていく。
だが、温かい面を買ってくれる人は行動を共にしてくれる。
離れていく人は何も言わずに離れていく。
残る人はむしろ饒舌で辛辣だ。
ボクは自分自身を素直な方だと思っている。
聞く耳は持っているつもりだ。
だから常に話し合いを呼びかける。
だがそれに応じようともしないで、決め付けてしまう人間もいる。
悲しいことだ。
その人たちの数は少なくても、声は大きい。
人づてに悪口雑言がボクの耳に届く。
話し合おう。
話せば分かる。
分かり合おう。
離れていては誤解や亀裂は大きくなるばかりだ。
"The door is always open for you."
ボクはいつも言っている。
フリートークを愛する人達はいっぱいいる。
ならば君の意見を聞かせてくれ。
フリートークはどうあるべきか。
どうあって欲しいか。
フリートークは常に変化している。
変化が退化でなく進化につながって欲しいと思うのはボクだけではないはずだ。
本当にフリートークを愛するならば、
ここへ来て、君の話を聞かせて欲しい。
外野で溜飲を下げるのはもうよそう。
「話し合い」 こそ平和への唯一の道なのだ。
"The door is always open for you."