【東京新聞 社説】
代表質問 「改革」と叫ぶだけでは
2015年2月17日
「改革」と叫ぶだけでは国民の暮らしはよくはなるまい。国会で議論を尽くして真に必要な改革を見極め、関係者を説得して断行する。数の力で押し切る傲慢(ごうまん)さではなく、その粘り強さこそ必要だ。
改革を競い合うかのようだ。安倍晋三首相の施政方針演説に対する代表質問で、野党党首は口々に「改革」断行を主張した。代表質問の一番手は民主党の岡田克也代表。先月の代表選勝利で再び就任して以来、初の登壇である。
岡田氏は「生活者」や「働く者」の立場など党の立ち位置や互いに支え合う「共生社会」を目指すと述べ、「民主党は既得権と戦う未来志向の改革政党でなければならない」と強調した。
維新の党の江田憲司代表も大胆な規制改革を断行し、民間の能力を最大限に発揮させるなどの「新陳代謝」を「利権圧力団体に一切依存しない、全くしがらみのない立場から断行する」と述べた。
二人の野党党首が「改革」を声高に叫んだのも、首相が先の演説で「改革」を三十六回も繰り返したことと無縁ではなかろう。
改革自体は否定しない。既得権益を守ったり、民間の活力をそぐ規制を撤廃すべきは当然だ。問題は中身であり、妥当性である。
首相は施政方針演説で、経済再生、復興、社会保障改革、教育再生、地方創生、女性活躍、外交・安全保障の立て直しを「戦後以来の大改革」と呼び、国民に「力強く踏みだそう」と訴えた。
しかし、江田氏の指摘のように「戦後の改革」は戦争放棄、国民主権の確立、教育の民主化、農地解放、財閥解体など「国のかたちを根底から変える改革」を指す。
首相が目指す改革はとても「戦後以来の大改革」とは呼べない。第一次内閣で強い批判を浴びて旗を降ろした「戦後レジームからの脱却」に向けた再挑戦の意図があるのなら見過ごせない。
首相主導の経済政策は恩恵が広く行き渡らず、格差を拡大していると指摘され、集団的自衛権の行使容認など外交・安保の立て直しは憲法逸脱の危険性がある。
そうした問題点は国会で徹底議論すべきだ。野党はどこが問題なのかを具体的に指摘し、対案を示すことが望ましい。
与党側も実績づくりのために功を急ぎ、数の力で押し通すべきではない。首相に必要なことは、野党側の指摘を「この国会に求められていることは、単なる批判の応酬ではない」などと突っぱねず、批判と向き合う真摯(しんし)さである。
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私見
野党議員の質問にきちんと応えず、はぐらかし詭弁を弄して自分の言語に酔って空理空論を繰り返し続ける。
この総理は、理解能力が乏しいのか、まともな人間性に欠陥があるのか。やはりその両方を両輪として突っ走っている。
国民を不幸の破滅の沼にひきずりこむ。
それが自公安倍政権の正体なのだ。
こんな総理になにをも望まず、国民は自らを擁護するための生活債権の国民運動に立脚すべきだ。
諸外国に情けない内閣、戦後最低最悪の内閣。戦後そのものをなかったごとくにしてしまおうと魂胆をめぐらす内閣。
い内閣、い内閣、ばぁぁぁ・・・こんな内閣のために、どれだけまっとうな全国各地の民衆がふがいない想いに貶められているか。
代表質問 「改革」と叫ぶだけでは
2015年2月17日
「改革」と叫ぶだけでは国民の暮らしはよくはなるまい。国会で議論を尽くして真に必要な改革を見極め、関係者を説得して断行する。数の力で押し切る傲慢(ごうまん)さではなく、その粘り強さこそ必要だ。
改革を競い合うかのようだ。安倍晋三首相の施政方針演説に対する代表質問で、野党党首は口々に「改革」断行を主張した。代表質問の一番手は民主党の岡田克也代表。先月の代表選勝利で再び就任して以来、初の登壇である。
岡田氏は「生活者」や「働く者」の立場など党の立ち位置や互いに支え合う「共生社会」を目指すと述べ、「民主党は既得権と戦う未来志向の改革政党でなければならない」と強調した。
維新の党の江田憲司代表も大胆な規制改革を断行し、民間の能力を最大限に発揮させるなどの「新陳代謝」を「利権圧力団体に一切依存しない、全くしがらみのない立場から断行する」と述べた。
二人の野党党首が「改革」を声高に叫んだのも、首相が先の演説で「改革」を三十六回も繰り返したことと無縁ではなかろう。
改革自体は否定しない。既得権益を守ったり、民間の活力をそぐ規制を撤廃すべきは当然だ。問題は中身であり、妥当性である。
首相は施政方針演説で、経済再生、復興、社会保障改革、教育再生、地方創生、女性活躍、外交・安全保障の立て直しを「戦後以来の大改革」と呼び、国民に「力強く踏みだそう」と訴えた。
しかし、江田氏の指摘のように「戦後の改革」は戦争放棄、国民主権の確立、教育の民主化、農地解放、財閥解体など「国のかたちを根底から変える改革」を指す。
首相が目指す改革はとても「戦後以来の大改革」とは呼べない。第一次内閣で強い批判を浴びて旗を降ろした「戦後レジームからの脱却」に向けた再挑戦の意図があるのなら見過ごせない。
首相主導の経済政策は恩恵が広く行き渡らず、格差を拡大していると指摘され、集団的自衛権の行使容認など外交・安保の立て直しは憲法逸脱の危険性がある。
そうした問題点は国会で徹底議論すべきだ。野党はどこが問題なのかを具体的に指摘し、対案を示すことが望ましい。
与党側も実績づくりのために功を急ぎ、数の力で押し通すべきではない。首相に必要なことは、野党側の指摘を「この国会に求められていることは、単なる批判の応酬ではない」などと突っぱねず、批判と向き合う真摯(しんし)さである。
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私見
野党議員の質問にきちんと応えず、はぐらかし詭弁を弄して自分の言語に酔って空理空論を繰り返し続ける。
この総理は、理解能力が乏しいのか、まともな人間性に欠陥があるのか。やはりその両方を両輪として突っ走っている。
国民を不幸の破滅の沼にひきずりこむ。
それが自公安倍政権の正体なのだ。
こんな総理になにをも望まず、国民は自らを擁護するための生活債権の国民運動に立脚すべきだ。
諸外国に情けない内閣、戦後最低最悪の内閣。戦後そのものをなかったごとくにしてしまおうと魂胆をめぐらす内閣。
い内閣、い内閣、ばぁぁぁ・・・こんな内閣のために、どれだけまっとうな全国各地の民衆がふがいない想いに貶められているか。