日本における現代の「テロ」と戦時中の「アカ」
櫻井智志
【原論】
あの事件以来、誰もが「テロに屈しない」と叫ぶようになった。しかし、最近の政治の動きを見るにつけ、とりわけ政治家やメディアが「テロに屈しない」と昭和すればするほど、世の中全体はテロリズムに制圧されていくという逆説が存在するように思える。
共産党の志位委員長の代表質問に対して、「テロ政党」というヤジが飛んだ。気にいらない政党をテロリスト呼ばわりするような者に、国会に議席を持つ資格はない。日本の国会議員の劣化を物語る出来事である。安倍首相はテロ事件への対応について厳しい追及を受けそうになると、テロに屈しないと言って、それ以上の議論は拒否している。
いずれの例も、テロという言葉は、自分の政治的な優位を得るための道具となっている。そして、テロという言葉が一度使われたら、メディアも深い検証を放棄し、政治の世界では議論が止まる。
テロに屈しないと言うときの主語は何か。個々の政治家はもちろんだが、日本の民主主義と自由こそ、テロに屈しない主語である。権力を持つ政治家がテロという言葉を恣意的に使って、自由な議論と活発な議会政治を封じ込めるなら、それこそが日本の民主主義がテロに屈したことを意味する。テロとの闘いには、言論・表現の自由を実践する勇気が必要である。
以上 山口二郎『テロに屈しない』全文
*山口二郎 北海道大学教授を定年退官した現在は法政大学教授。
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【私見】
もはや安倍内閣の「テロ」「テロリズム」という言葉を、十二分に吟味してから対応する必要がある。国会の質問中に、「テロ政党」と日本共産党志位和夫委員長に「言語テロ」を放ったのは、自由民主党のれっきとした国会議員である、下っ端の議員が自分で判断して放言するだろうか。
国会審議中に、大臣座席から全く無関係なヤジを民主党に投げつけた幼稚で稚拙な言葉を投げつけたのも、自由民主党の総裁にして、内閣総理大臣安倍晋三であった。
「テロ」という言葉が無限増殖して、自分と異なる政治的見解に「テロ」呼ばわりする。想い出さないか。戦前から共産党員のみならず自由主義者や反軍国主義者に投げつけられた言葉が「アカ」だった。アカ呼ばわりされた側はなんら反論の余地も許されなかった。それは「国賊」という昭和維新を呼号して決起して、犬養毅総理など次々に、五一五事件や二二六事件でクーデターを起こそうとして失敗に終わった青年将校たちが共通して相手にレッテル貼りして殺傷行為を正当化したシンボル・ワードだった。
櫻井智志
【原論】
あの事件以来、誰もが「テロに屈しない」と叫ぶようになった。しかし、最近の政治の動きを見るにつけ、とりわけ政治家やメディアが「テロに屈しない」と昭和すればするほど、世の中全体はテロリズムに制圧されていくという逆説が存在するように思える。
共産党の志位委員長の代表質問に対して、「テロ政党」というヤジが飛んだ。気にいらない政党をテロリスト呼ばわりするような者に、国会に議席を持つ資格はない。日本の国会議員の劣化を物語る出来事である。安倍首相はテロ事件への対応について厳しい追及を受けそうになると、テロに屈しないと言って、それ以上の議論は拒否している。
いずれの例も、テロという言葉は、自分の政治的な優位を得るための道具となっている。そして、テロという言葉が一度使われたら、メディアも深い検証を放棄し、政治の世界では議論が止まる。
テロに屈しないと言うときの主語は何か。個々の政治家はもちろんだが、日本の民主主義と自由こそ、テロに屈しない主語である。権力を持つ政治家がテロという言葉を恣意的に使って、自由な議論と活発な議会政治を封じ込めるなら、それこそが日本の民主主義がテロに屈したことを意味する。テロとの闘いには、言論・表現の自由を実践する勇気が必要である。
以上 山口二郎『テロに屈しない』全文
*山口二郎 北海道大学教授を定年退官した現在は法政大学教授。
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【私見】
もはや安倍内閣の「テロ」「テロリズム」という言葉を、十二分に吟味してから対応する必要がある。国会の質問中に、「テロ政党」と日本共産党志位和夫委員長に「言語テロ」を放ったのは、自由民主党のれっきとした国会議員である、下っ端の議員が自分で判断して放言するだろうか。
国会審議中に、大臣座席から全く無関係なヤジを民主党に投げつけた幼稚で稚拙な言葉を投げつけたのも、自由民主党の総裁にして、内閣総理大臣安倍晋三であった。
「テロ」という言葉が無限増殖して、自分と異なる政治的見解に「テロ」呼ばわりする。想い出さないか。戦前から共産党員のみならず自由主義者や反軍国主義者に投げつけられた言葉が「アカ」だった。アカ呼ばわりされた側はなんら反論の余地も許されなかった。それは「国賊」という昭和維新を呼号して決起して、犬養毅総理など次々に、五一五事件や二二六事件でクーデターを起こそうとして失敗に終わった青年将校たちが共通して相手にレッテル貼りして殺傷行為を正当化したシンボル・ワードだった。