群馬県知事選における「憲法をくらしに生かす県政の会」と日本共産党の意義
櫻井智志
群馬県は、戦後福田親子・中曽根康弘・小渕恵三と四人の首相を出した。それほどに政治的風土が保守圧勝の土地柄である。高校まで高崎市に生まれ住み、そのあとは神奈川県に住む私は、川崎市の伊藤三郎革新統一市政を見ていて、群馬と他県との違いを感じた。
しかし、群馬県には進取と反骨の気骨がある。日本共産党川崎市市議団は団長の市古映美さんらが地域作りに高崎市役所を訪れ、横浜・川崎でやっと導入されようとしている中学学校給食をはじめ、行政の住民本位の綿密さに、感心した報告をしている。
いま自公安倍政権が国会選挙のたびに小選挙区制といういかさまの玉手箱から違憲判決がでても、なんら根本的是正をおこなわず、国会3分の2前後の議席を占有している。安倍総理の傲慢きわまりない詭弁と極右の政策は、アメリカのオバマ大統領さえ手の及ばない軍産複合体によるネオコンの政治的圧力が進める政治路線に保障されているという絶対のうぬぼれの賜と言えよう。
けれどアメリカ政治そのものが、戦後に考えられなかった情勢によって、中曽根康弘・小泉純一郎・安倍晋三を後ろ盾としてきた政治力にも微妙なかげりが見えてきた。地域としては、群馬県には山林地主支配とまゆ紡績産業によって保守的風土を形成してきたから、歴代の公選知事は保守勢力のオンパレードである。
第9回の県知事選の結果である。
1976年(昭和51年)7月25日(投票率:71.66%)
当落 得票数 候補者 党派(推薦) 知事歴
○ 484,459 清水一郎 自由民主党 新
× 373,443 山田譲 無所属 新
× 6,322 高田巌 無所属 新
この時に全野党共闘で山田候補が自民党清水一郎氏に善戦した。当時は革新自治体の林立の時代だった。
それでも群馬県の保守性は微妙な変化はあるが、かわらない。だから、県知事選でも、保守群馬の伝統を守る県民は地域性による現職支持をもつだろう。
ところが、東京の永田町では安倍自公政権のあまりの酷さに、それが福島原発への棄民化政策や沖縄の米軍従属政策に国民全体の憤りが、権力に従属する国民性に限界を超えさせた。まさに1960年安保闘争なみの国民の立ち上がりがみられる。群馬県民で保守知事を支持してきた県民でも、:原発・年金・雇用・福祉切り捨てと続く内政破綻にくわえ、カイロ演説の国際的失墜、軍事態勢への際限なき同盟志向・軍事的出兵をもたらす戦争法案。ここまで際限のない極右反動的迷走に、国民は自民党のかつての権力者たちでさえ、安倍政権を強く批判しそれが燎原の火となっている。
今回の群馬県知事選では、国政崩壊の波を県民に伝えることだ。県内だけでは、自公政権の失政隠しの策略にまきこまれ、低投票率で現職圧勝で終わる。そうではなく、県政の根幹となる国政そのものがどれほど危機的な様相を呈しているかを県民に知らせることだ。
その点で、過疎地への念入り遊説には有効性があるので持続するとともに、インターネットであちこちでツイッターによる県民と全国とそれは外国にも伝わっている。ツイッターやブログなど県民が声をあげ、関東近県との連帯から全国規模への発信を持続していくことだ。