#鎮魂歌 #news23
写真:池明観・元翰林大学碩座教授は2003年、「世界」に掲載された『韓国からの通信』の著者「T・K生」が自分であることを明らかにした/聯合ニュース
❶高校生まで北(朝鮮民主主義人民共和国)が民衆の側で南(大韓民国)は米軍の傀儡政権と思い込んでいた。だが大学生の頃に、韓国で学生たちが1960年前後に学生青年がたちあがり李承晩大統領を辞職させた動きや1960年代の金芝河が獄中に囚われ獄中の衝撃を記した文を読み驚いた。
❷人民革命党事件ででっち上げ逮捕された青年が死刑判決を言い渡される。その青年は、「#光栄です」と応えた。井出愚樹氏が翻訳した金芝河の詩集。金芝河が書いた詩に曲がついた歌「灼けつく渇きで」(作・編曲安達元彦)を笠木透や横井久美子のライブで知った。以後韓国に惹かれた。
❸ベトナム戦争が激化し世界がベトナム反戦運動で揺れた。同時期韓国では、金大中が朴正煕大統領と大統領選を競った。そんな最中に金大中事件が起きた。ずっとその顛末を雑誌『世界』に毎月「T.K生からの通信」が掲載され続けた。韓国の池明観教授である。
❹2022/02/13 21:27『韓国現代史と「T・K生」が果たした重要な意義』http://todaydream197.blog.fc2.com/blog-entry-35.html
青年の頃からの韓国国民への敬意と現時点の気持ちをまとめた文章だ。
以上❶~❹の気持ちで明日投票の韓国大統領選挙を見守りたい。どちらが当選しても韓国大統領選挙は成熟している。
付記
『韓国現代史と「T・K生」が果たした重要な意義』http://todaydream197.blog.fc2.com/blog-entry-35.html
韓国現代史と「T・K生」が果たした重要な意義
櫻井 智志
最近、韓国映画『1987・ある闘いの真実』を観た。フィクションを交えながら、事実をふまえたドキュメンタリー映画である。1987年6月9日、延世大学経営学科2年の学生がデモ中に戦警が発砲した催涙弾の直撃で意識不明となり病院でひとつき後に死亡した。
以前にも1980年に、光州市役所にたてこもった市民や学生を戒厳軍が総攻撃を行い全滅させた。映画『光州5.18』がつくられた。九州にいたロックシンガー白竜は大手が拒否したので、自主レーベルのアルバムに秀作「光州シテイ」を発表した。
朴正煕大統領が金載圭中央情報部長に暗殺された1979年10月26日。市民が次々に立ちあがると共に軍部が弾圧し、軍部の全斗煥保安司令官が大統領となったのは光州事態後3か月もたたない1980年8月27日だった。
このように韓国史にふれるきっかけは、貴誌1362号の善元幸夫氏の論稿『軍事独裁政権の弾圧を告発した「T・K生」池明観氏を悼む』を拝読したことである。
「T・K生」が月刊誌『世界』に「韓国からの通信」を連載した1973年から1988年までの韓国の激動。光州事態(韓国では光州事件とは呼ばないと教わった)が起きた1980年よりも前にも、1960年の不正選挙糾弾の学生を中心とする四月革命、1961年の5.16軍事クーデター、それ以降軍人だった朴正煕が大統領として君臨し続け、1979年に前述した政権中枢部内で暗殺されるまで続く。
特に「T.K生」が民青学連事件、金大中拉致事件など国内で凄まじい弾圧の日々であった。地道に歴史の証言者として書き続けた池明観氏の決意と覚悟をひめた努力は、韓国と日本の民主主義運動を励まし、古代韓半島が日本に文化と社会統合システムを伝授して以来の歴史的命脈の伝統とも言えよう。
~了~
写真:池明観・元翰林大学碩座教授は2003年、「世界」に掲載された『韓国からの通信』の著者「T・K生」が自分であることを明らかにした/聯合ニュース
❶高校生まで北(朝鮮民主主義人民共和国)が民衆の側で南(大韓民国)は米軍の傀儡政権と思い込んでいた。だが大学生の頃に、韓国で学生たちが1960年前後に学生青年がたちあがり李承晩大統領を辞職させた動きや1960年代の金芝河が獄中に囚われ獄中の衝撃を記した文を読み驚いた。
❷人民革命党事件ででっち上げ逮捕された青年が死刑判決を言い渡される。その青年は、「#光栄です」と応えた。井出愚樹氏が翻訳した金芝河の詩集。金芝河が書いた詩に曲がついた歌「灼けつく渇きで」(作・編曲安達元彦)を笠木透や横井久美子のライブで知った。以後韓国に惹かれた。
❸ベトナム戦争が激化し世界がベトナム反戦運動で揺れた。同時期韓国では、金大中が朴正煕大統領と大統領選を競った。そんな最中に金大中事件が起きた。ずっとその顛末を雑誌『世界』に毎月「T.K生からの通信」が掲載され続けた。韓国の池明観教授である。
❹2022/02/13 21:27『韓国現代史と「T・K生」が果たした重要な意義』http://todaydream197.blog.fc2.com/blog-entry-35.html
青年の頃からの韓国国民への敬意と現時点の気持ちをまとめた文章だ。
以上❶~❹の気持ちで明日投票の韓国大統領選挙を見守りたい。どちらが当選しても韓国大統領選挙は成熟している。
付記
『韓国現代史と「T・K生」が果たした重要な意義』http://todaydream197.blog.fc2.com/blog-entry-35.html
韓国現代史と「T・K生」が果たした重要な意義
櫻井 智志
最近、韓国映画『1987・ある闘いの真実』を観た。フィクションを交えながら、事実をふまえたドキュメンタリー映画である。1987年6月9日、延世大学経営学科2年の学生がデモ中に戦警が発砲した催涙弾の直撃で意識不明となり病院でひとつき後に死亡した。
以前にも1980年に、光州市役所にたてこもった市民や学生を戒厳軍が総攻撃を行い全滅させた。映画『光州5.18』がつくられた。九州にいたロックシンガー白竜は大手が拒否したので、自主レーベルのアルバムに秀作「光州シテイ」を発表した。
朴正煕大統領が金載圭中央情報部長に暗殺された1979年10月26日。市民が次々に立ちあがると共に軍部が弾圧し、軍部の全斗煥保安司令官が大統領となったのは光州事態後3か月もたたない1980年8月27日だった。
このように韓国史にふれるきっかけは、貴誌1362号の善元幸夫氏の論稿『軍事独裁政権の弾圧を告発した「T・K生」池明観氏を悼む』を拝読したことである。
「T・K生」が月刊誌『世界』に「韓国からの通信」を連載した1973年から1988年までの韓国の激動。光州事態(韓国では光州事件とは呼ばないと教わった)が起きた1980年よりも前にも、1960年の不正選挙糾弾の学生を中心とする四月革命、1961年の5.16軍事クーデター、それ以降軍人だった朴正煕が大統領として君臨し続け、1979年に前述した政権中枢部内で暗殺されるまで続く。
特に「T.K生」が民青学連事件、金大中拉致事件など国内で凄まじい弾圧の日々であった。地道に歴史の証言者として書き続けた池明観氏の決意と覚悟をひめた努力は、韓国と日本の民主主義運動を励まし、古代韓半島が日本に文化と社会統合システムを伝授して以来の歴史的命脈の伝統とも言えよう。
~了~