国鉄型気動車特急の終焉ということで昨日から暫くこの特集ネタです。
電関人が何よりもこよなく愛した特急列車が気動車特急かもめ号です。
小学校4年生で父譲りのカメラを提げて最初に鹿児島本線脇に立ったのも
一番影響をされたのがこの列車だったのです。
以来昭和50年の新幹線博多開業まで一番多くカメラを向けたのもこの列車でした。
最後の最後、昭和50年3月9日涙雨の中、かもめ最終列車は関門トンネルを超えることなく、
下関止まりでした。
そして編成もキシ80抜きの6連+6連で翌日から運転の新特急おき号用に編成替えされ、
この後小郡へ向けて回送されて行きました。
撮影;1975年3月9日 山陽本線下関駅 1Dかもめ OLYMPUS PEN F ZUIKO38㎜ SⅡ
電関人が何よりもこよなく愛した特急列車が気動車特急かもめ号です。
小学校4年生で父譲りのカメラを提げて最初に鹿児島本線脇に立ったのも
一番影響をされたのがこの列車だったのです。
以来昭和50年の新幹線博多開業まで一番多くカメラを向けたのもこの列車でした。
最後の最後、昭和50年3月9日涙雨の中、かもめ最終列車は関門トンネルを超えることなく、
下関止まりでした。
そして編成もキシ80抜きの6連+6連で翌日から運転の新特急おき号用に編成替えされ、
この後小郡へ向けて回送されて行きました。
撮影;1975年3月9日 山陽本線下関駅 1Dかもめ OLYMPUS PEN F ZUIKO38㎜ SⅡ