懐かしの撮影地訪問のついでに、
現上田電鉄(旧上田交通)の車庫が有る下之郷を訪ねました。
上田交通時代、車庫は上田原にありました。
81年に上田原を訪ねた時は、かつて全盛期に真田傍陽線、丸子線、青木線、
西丸子線などの線区がありそこを走ったであろうさまざまな車両がダルマになったりして
置いてありました。
ダブルルーフの車両(旧信濃鉄道車両?)や長野電鉄からの移籍車もいました。
さらにこの頃には東急から旧性能車両の3450系なども入線して賑やかだった上田原。
さて下之郷は、旧西丸子線分岐駅で今も当時のホームが残っていました。
後に立てたと思われる上屋に旧社名の上田丸子電鉄の文字と社章が付いています。
一方車庫の方を見ると、以前の上田原に比べると随分小さい規模になっています。
車庫の裏手には、綺麗に整備された旧東急5200系がいました。5/2からの一般公開
されたようです。
昔の上田原ほどの怪しさはないものの、上交の歴史を感じる下之郷駅でした。
2011年4月30日 上田電鉄下之郷駅にて
今回の信州撮影旅行でも最もハードだった1日の4月30日。
姨捨から山を下り上田平へ上田電鉄(旧上田交通)を訪ねます。
走っている車両を撮るというよりも、昨年夏に同鉄道を訪れて見つからなかった場所、
1981年に訪れた別所温泉を俯瞰する撮影地にもう一度行きたかったからです。
残念ながら現在の丸窓電車であるまるまどりーむ号は運転していませんでしたが、
長野の鐡友のお陰で30年振りにその場所に立つことができました。
撮影地のすぐ下にあったポプラの木の本数こそ減っていたものの、
その眺めはほとんど変わらず感激でした。
1981年当時の写真を再掲させていただきます。
電車の右横の田圃の中の家は上の写真の画面下中央に変わらずに有ります。
2011年4月30日 上田電鉄別所温泉にて
4/30午前中のしな鉄169系湘南色撮影後、
昼過ぎに坂城タキ返空が姨捨越えをするので、車を姨捨に向けて走らせます。
カマは篠ノ井でEF641000番代重連からEH200にバトンタッチします。
このEH200に牽引されたタキ返空が特急しなのとの交換のため、
姨捨駅にてスイッチバックを行います。
篠ノ井方から上って来た列車は、先ず引き上げ線へと進入していきます。
次に、推進運転で構内のクロスポイントを渡り駅側の待避線へと転線していきます。
機関士は後方を確認しながら慎重にノッチ操作を行います。
冬も終わり、連休中ということも手伝ってタキは12両と短めですが十分の迫力です。
蛇のように体を捩じらせながら待避線へ下がっていきます。
下がり終えて暫く、踏切が鳴り出して長野行きのしなのが足早に通過していきます。
場内信号が変わり、貨物列車が冠着トンネル方面へ向けて出発です。
かつては日本全国の峠越えの鉄道に多く見られたスイッチバックですが、
貨物列車が今も通過するスイッチバックはここ篠ノ井線だけになっています。
2011年4月30日 篠ノ井線姨捨駅にて