EF510500番代をどう解釈するかは難しいところではありますが、
純粋にP型として開発設計されたということでは、このEF65Pより後に急客専用機は製造されていない。
先日の田端公開に合わせて貸し出しがあり、その返却回送を撮影できました。
もう一度、燦然と輝くHMをかざし寝台車を引く姿を見たいもの。
2013年6月1日 東北本線 赤羽~浦和 EF65501号機 単9823レ
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EF510500番代をどう解釈するかは難しいところではありますが、
純粋にP型として開発設計されたということでは、このEF65Pより後に急客専用機は製造されていない。
先日の田端公開に合わせて貸し出しがあり、その返却回送を撮影できました。
もう一度、燦然と輝くHMをかざし寝台車を引く姿を見たいもの。
2013年6月1日 東北本線 赤羽~浦和 EF65501号機 単9823レ
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1978年夏の関東撮影旅行の際に一番うれしかったできごと。
ゴハチの塒としては長岡と共に北辺部に存在した宇都宮区に存在した北辺の最若番機10号機の元気な姿に逢えたこと。
65号機と共に電暖改造を受けないままその人生を全うした。
このため、夏などの暖房を使用しない時期に限って客レの先頭に立ちまさに78年8月12日の121レの運用に就いた。
長い客レは罐の停車位置がおおよそホームから前にはみ出しており、順光側から撮れなかったのが心残りではある。
我々が乗車した121レ罐次位には、当時の名物スハフ32がついていてその車内から栄光の罐番部分をパチリ。
50.3改正により山陽路でブルトレ牽引等に従事した広島の僚機と共に10両が宇都宮に転属した。
シル・ヘッダーに並ぶリベットとズラリ並ぶ小窓の古豪スハフ32からするとEF58は若輩者といったところ。
EG改造の証であるパイロットランプが無いすっきりした乗務員扉回り。
氏家での長い退避停車時間を利用して10号機の各部の撮影を楽しんだ。
そして、電関人が今も気に入っている1枚。
一部のゴナナファンからはEF57を淘汰するために遠路広島からやってきた嫌われものだったけど、
狂電関人の名前の源にもなっているEF58が優等列車牽引など最後の栄華を極めた東北本線で404レ津軽2号との邂逅シーン。
残念ながらこの後殆ど稼働することなく、翌1979年12月に廃車解体された。
EF58 FOREVER!
1978年8月12日 東北本線 氏家駅 EF5810号機 121レ
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