電関人の知らないあの時代にタイムトリップしてみる。
百間町の機関庫を覘くとDC92がアイドリングしながら佇んでいた。
話によると漁船用のエンジンだとか。
運転ではギアの繋ぎが難しく慎重なクラッチワークが肝要だ。
機関庫の外には、2フィーターを支えるか細いレールが堆く積まれるのと、
この雪深い地区には重要なスノウプラウが置かれて、やがて訪れる冬の準備にもぬかりが無い。
機関庫周辺をうろついていたら、ボーッっと汽笛一声百間町止まりの列車がコッペルに牽かれて到着した。
と言う風に自分が生まれた1961年を想定して写真を組み立ててみた。
頸城鉄道が未だ健在だった頃を少しでも感じてくれたなら幸いである。
2017年10月 百間町
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コイツは元C型蒸気だったのを下回りを利用してDLに仕立てたゲテモノだったはず。
限られた物資を大切にして最大限利用した時代の息遣いも聞こえて来るかと。
客車も含めここまで保存状態がいいのは凄い。
某篤志家が保存していたはずですが、変に自治体が保存して朽ち果てるより良かったかも。
やっぱりそこに愛がなければ。
流石は風太郎さん、まさにそんな三軸ロッドをカシャンカシャンいわせて動いてましたよ!
コッペルこそ有火状態にできないまでも、DC92とホジの力強い走りに
感動して帰ってきました。。。