9月に入り、蕨駅界隈でも中距離電車にE233が行き交う姿を見るようになりました。
これで、蕨駅界隈では通勤型のE233と近郊型のE233(表現が古いですかね・・・)が並ぶ姿が実現するわけです。
通勤車と中電が同じ顔とはさながら湘南顔の70系と80系を思い出してしまいます。
ちょっとこじつけがましい入りになってしまいましたが、湘南電車といえばやはり80系電車の乗り心地の良さを思い出します。
それと同時に、内装が木製で何とも温かみがある車内がより一層乗り心地に反映されていたようです。
また、これらに混ざって存在したサロ改造のクハ85の存在も山陽本線で湘南電車を選んで乗る楽しみの一つでした。
1976年撮影 山陽本線下関駅 80系各駅停車
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確かに、旧国人気の蔭で地味でしたので少ししか
撮れていません。
もう少し大事に撮っていればよかったと思いますね。
ほんの数年の付き合いでしたが、そのバリエーションは
豊富でしたから結構楽しめました。
確かに、ロットによる台車などの仕様が様々で
かなりその乗り心地に差があったことを覚えています。
二枚窓のこのスタイルのパイオニアですから
やはり偉大な存在ですね。
私も、一番慣れ親しんだ西鉄の大看板特急など
いちばん身近だったものが、写真として残せていません(悔)
台車もTR43を履いているのですね。
手前側のクハ86は三枚窓!?
コイツは廃車後、どこかの駅で留置してあるのを見ただけです。
サロ改造のクハ85、サハ85はよく高校時代、山の帰りで中央東線の帰りの列車でお世話になりました。
乗り心地良かったですね。
画面左の2枚窓クハ86は所謂2次形の初期のロットですが、車内塗りつぶしの、まるで在来一般型客車の近代化改造車的風情を持ったクルマですね。広ヒロ(中ヒロ)、広セキには3枚窓の1次形も含めてそういうクハが結構いましたが不思議とモハ・サハの施工例は無く、モハでは唯一80007を実見したのみです。
ただ子供心にも車種の違いは認識していて乗るならまずはサロ格下げのクハ・サハ85、次いで全金300番台、その次が1956(昭和31)年度増備のモハ200番台、クハ・サハ100番台でした。
電車と客車両方の風情を楽しめるお得な車輛でしたが、当地の活躍は1964/昭和39~1978/昭和58年の14年程でした。今115系がその倍の年数働いている事に感無量です。
幼稚園の頃、アルバムの表紙に自分で描いた絵が、この湘南電車でした。
小学校の頃は、横浜の叔父さんの家へ遊びに行くときにも何度も乗った懐かしい電車です。
でも、一度も写真には撮りませんでした。(/_;)
あずき色の電車しか来ない交流区間の人間には、
下関出会える当時の80系、153系の湘南色は、
都会のエスプリを感じたものです。
80系は中電ではなく長距離用として作られたようですね。
クハ85やサハ45等のサロ改やスハフ32等のような
狭幅ニコ窓はボックスシートのピッチがたっぷりで、
ちょっとゴージャス感が味わえましたね。
個人的にはキロ改のキハ26400番代も好きでした。
私も、電車や気動車の先頭車同士の繋ぎ目が好きで、
結構いろんな写真があります。
電関人が情緒的写真を撮りだす頃には80系も居なくなって、
たっぷり撮れなかったのが少し残念です。
これまた不滅の国鉄色。ニス塗の内装がまた泣かせます。
岡山界隈は80系がゴロゴロしており、羨ましかった記憶があります。
あのサロ改造のクハ、独特の座席デザインでしたね。