大学一期先輩で鉄研にて知り合い今も交流がある風太郎さんへのオマージュとして
風太郎さんのブログ記事に北海道で迎えた現役蒸機のお別れに関するネタ
電関人の大親友は九州から遠路遥々最後のD51や9600へお別れに出かけたが
電関人のお別れスタイルは違う方法でだった
それはTVの画面を通してである
NHKが最後のC57にフォーカスした特番を放送
その番組から画面越しに涙ながらのお別れをしたのだった
自宅のSONY トリニトロンのブラウン管を前に三脚にオリンパスPEN Fを横アングルにセッティング
走査線の数に合わせ、SSを調整した上でレリーズ
涙でファインダーを曇らせながら数枚撮った
C57135号機の最後の本線雄姿だが
実は某大先生の話では 本当はD51の運用で
このC57135は変運用だったとか・・・
撮影監督までは記憶にないが
それなりのプロ鉄が監修していたに違いない
周知のとおり
この罐は大宮にある施設の転車台に鎮座している
NHK C57135号機さよなら特別番組より サクラ100年ネガカラーフィルムで撮影しフラットベッドでスキャン
☆本日のラストスローガンは相応しくないので割愛
空白の約5年くらいを遅延回復のようなグダグダな内容でブログを吐き出しています。
でも、分かっていただけると思いますが実は電関人は現役SL世代の大先輩方に無謀にも真っ向から喧嘩を吹っかけているのです。
あんた達が享受した時代を蒸機の現役に間に合わなかった自分が凌駕とまではいわないまでも電機で太刀打ちしてやると。
心から敬愛する廣田尚教先生にインスパイアされること幾星霜。
ブログタイトルは気違いじみた電機の鉄人を目指してやるのだという思いを込めてアンエンスージアストオブELなのですよ!
北海道の知人でこの時高校生、部活か何かでいつもの通学列車に乗っていたら、沿線のカメラは毎度のことながら客車内までテレビカメラが入り込んでおり、何事かと思ったら「これが最後のSL客車列車」だと。へえと思ったそうです。この歴史的な一本、実は普段通りの生活を運んでもいたのですね。
12月14日と言えば赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日、NHKの大河ドラマ「元禄太平記」もちょうどその晩が討ち入りのクライマックス。お日柄が良過ぎて、だったとか。
何だったのかの議論はともかくとして、「一番長い日」はこうして終わったのですね。正直、私にとってこの日は記憶にないなあ。