国鉄急行型気動車惜別ネタでもう一つ。
急行型気動車の形式では、何気にキハ65が一番好きでした。
力持ちでユニットサッシに折戸にエアサス。
地味な急行型車両の中でもちょっと目立つ存在なのが好きでした。
竹下区には良く入れてもらって、写真を撮りましたがその中に異色な存在がいました。
何故か寒冷地向けの501番が鹿カコ所属になっていたのです。
当時国鉄時代には意味不明の配置は良くある話でしたがわざわざ寒冷地車を南国に
配置するのはちょっと意味が無さ過ぎるような気がしてなりませんでした。
1976年5月の撮影時には、長い間中間車として使われていたらしくひどい煤汚れでした。
ところが約2カ月後に博多駅に撮影に行く際に竹下区を覗くと、
なんと例のキハ65501が整備されて美しい姿で802レの最後尾に連結されているのを
偶然にも見つけました。
やはり、寒冷地型なので米子へ配転されるようでした。
これで501も本来の使われ方になったわけです。
急行型気動車の形式では、何気にキハ65が一番好きでした。
力持ちでユニットサッシに折戸にエアサス。
地味な急行型車両の中でもちょっと目立つ存在なのが好きでした。
竹下区には良く入れてもらって、写真を撮りましたがその中に異色な存在がいました。
何故か寒冷地向けの501番が鹿カコ所属になっていたのです。
当時国鉄時代には意味不明の配置は良くある話でしたがわざわざ寒冷地車を南国に
配置するのはちょっと意味が無さ過ぎるような気がしてなりませんでした。
1976年5月の撮影時には、長い間中間車として使われていたらしくひどい煤汚れでした。
ところが約2カ月後に博多駅に撮影に行く際に竹下区を覗くと、
なんと例のキハ65501が整備されて美しい姿で802レの最後尾に連結されているのを
偶然にも見つけました。
やはり、寒冷地型なので米子へ配転されるようでした。
これで501も本来の使われ方になったわけです。
aikorotaです。私も九州へお邪魔した若かりしころ気動車急行に乗ると必ずキハ65に乗りました。
あの折り戸とユニットサッシ、運転席のパノラマウィンドが好きでした。今にして思えば結構エンジンの振動が強烈で、今ならキハ28に乗ったかも……
鹿カコに寒冷地のキハ65とは、ほんと驚きです。
エアサス&シートピッチが広いという事で、私も好んで乗りました。
おそらく狂電関人さんより少し下の世代になると思いますが、いつも楽しく拝見させていただいております。
急行気動車のなかではキハ65が好きというところに思わず共感し投稿させていただきました。
今のように28/58が貴重なものではなくありきたりだったころは、退屈なキハ28/58の編成の中にキハ65が混ざっていた場合は好んで乗ってたことを懐かしく思い出しました。
最近の横浜付近の貨物中心ですが、弊blogのURLを置いておきますのでお暇なときにはどうぞ。
お久しぶりです。
やはりみんな考えることが一緒みたいで・・・。
私も選んで65によく乗車しました。
四国では65が先頭になっていることが有りますが、九州では殆どが中間車扱いでした。
まいどです。
いつ頃九州に渡ったのか今度ネチネチと
調べてみますね。(笑)
話変わりますが、山陰本線で65と同じ屋根の
タイプだったキロ28(張り上げ屋根でない)を
確か写真撮っていたはずですが見当たりません。
山陰本線の片方の起点在住のRDP3さんなら
撮っていますか??
閲覧ありがとうございます。
キハ65似のキハ581100番代などのパノラミック
ウィンドの車も好きでこいつが先頭で来ると
嬉しかったものです。
貴ブログも覗かせてさせていただきますね!
今後も宜しくお願いします。