敢えてこの表現でアップすることにします。
電関人が、この表現で慣れ親しんできたキハ28、58、65。
原色急行色としては、3月で終焉を迎えることになってしまいました。
学生時代に、どんなローカル線にも急行として全国津々浦々駆け巡っていた車両。
乗って、撮って散々お世話になりました。
中でも想い出として脳裏に克明に刻まれている鹿児島本線を堂々12両(島鉄乗入車を
入れると13両)で颯爽と走りぬける、急行出島・弓張号の姿です。1976年9月撮影
また、山陰地方でも特急列車を補完して数多くの急行列車として設定されていました。
こちらも旧山陰本線保津峡付近を行く急行丹後。 1980年春撮影
またひとつ、電関人の青春期に走っていた名車両が居なくなります。
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ラストラン、大糸線の非電化区間に入線、なんてことはないですよね。
幹線で長い編成で走る急行気動車もさることながら、
2~3両で、ローカル線を行く姿も好きでした。
また、多層建てで3列車くっついたり離れたり
というのも気動車急行の得意技でしたね。