種車としてはまだ現役を続ける481系統だが定期運用からは任を解かれた。
77年夏、一旦愛称が消えた「かもめ」と「みどり」が不死鳥の如く鹿児島本線に舞い戻った。
北九州、福岡と長崎、佐世保を繋ぐインターシティーエクスプレスとして。
華々しい任とは裏腹に使用車両は長年東北・奥羽・常磐といった交直流区間で何万キロを走破してきた200番代の
セコハン車輌たちで、いたるところ相当ガタが来ていた。
冬の傾いた陽光はヨンパーイチの躯体の陰を長く7番線に落とし、
発車までの暫しの間、ホーム上では別れのドラマが繰り広げられる。
幾年月の雨雪に晒されて来たかシンボルマークが弱い日差しに鈍く光り静かに出発の時を待つ。
やがて、博多7番出発進行現示。
長めのタイフォーン一声、ゆっくりと12両の躯体が小刻みに揺れながらホームを後にする。
77年冬 博多駅7番線 かもめ・みどり
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本年も宜しくお願い致します。
この時の冬は九州に在籍だったのでしょうか。
電関人さんの記事は何時も物語があり感服しています。
行動範囲も広いですね。
多少廃れても陸送の王者の風格と共に。
何度も言うけどいいねー、この頃の写真。今年は原点回帰してみては。
電関人は、福岡出身で予備校時代の80年までは福岡在住でした。
現職では、以前の給料の半分以下なので一度旅出してしまうとお財布の回復が大変です(笑)
やっぱり、ガツガツしていた福岡時代は眼光鋭く切り取ってましたが、
その猛禽類も上京以降トウキョウナイズされ、方言も抜けて牙も鋭い爪も丸くなってしまいましたかね。
そうです、銀塩機材に光を通すことで再度牙を磨きなおすとしますかね!?
どうぞ、本年も宜しくお願い致します。
東北特急終焉を多感期に迎えたので、485系や583系は私のど真ん中車両なんですよ。
でも当時、こう言うピンポイントの切り取りをしなかったので、お写真拝見してとても羨ましく思いました。
やはり、写真は感性、目線が大切ですね。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします!
長い編成の特急列車、急行列車は本当にカッコよかったですね!!
昔の方が被写体が多かった分、様々な冒険ができたんですが、
今は一列車必中ですから、なかなか遊びのカットが撮れずに
ストレスが溜まる一方です(汗)