日本海に続いて、急行きたぐにと名門2列車の定期運転が終焉を迎えます。
記憶を辿ると、ゴーマルサン(昭和50年3月)改正の年の夏大阪駅で急行きたぐにと出会ったのが最初。
40年代にはすでにハザを12系化した新旧客車混編成でした。この列車名を心に深く刻んだのは、
昭和47年の北陸トンネル内でのオシ17からの出火による列車火災事故。翌年には12系化されたようです。
北陸本線回りだった頃の急行きたぐにがEF58149号機に牽かれて大阪終着。
ちょうどカーブで12系が隠れてオール旧客編成に見えます。
夏の多客期で、スロが2両。需要があったんですね!!
そして、歳月が流れ高校入学の年の夏電関人は501レの車上の人となっていました。
直江津過ぎたあたりで、すっかり朝になるけれどまだまだ先は長いきたぐにの旅。
交流区間で窓からカメラを出してED75の対向貨物を激写!
何回かチャレンジした中でこの一枚が成功しました。
今やこの線区にED75は無く、思い出深い1枚です。(羽越線?内)
さらに時代は下り学生時代にクラブの先輩たちと北東北の私鉄巡りをした際の1枚。
記憶が正しければ、この日は弘南鉄道大鰐線の撮影をしていて石川の辺りで俯瞰できる場所を
探していた際に、ちょうど奥羽本線を502レ急行きたぐにが大阪へ向けて通過して行きました。
(罐の次位にオユ10が繋がっているので502レと断定)
そして一昨年の夏、電車になった急行きたぐにを名撮影地でカメラに収めました。
信越本線の名勝地青海川~鯨波を通過する501M急行きたぐに。
確か501レ・502レという列車番号は元は日本海が使っていた列車番号です。
日本海からきたぐにへと引き継がれた名門列車501レ・502レは来春その長い歴史に終止符を打ちます。
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75とのすれ違いのシーンはスピード感があって良いですね。
雪景色もなかなかです。
撮られたのはED75牽引ですか?!
ぜひアップしてください。
スロ62が2両付いているシーン、これは夏季の多客シーズンですね。
その代わり、ハネ・ロネの5両を12系に置き換えていた記憶があります。
確かにこの時のネガに、ロネ、ハネが写っている
コマが見当たりません。本来なら大好きな車両だけに、
繋いでいたらカメラを向けていたはずです!
バタバタしてたら、ご無沙汰してしまいました
これってちょうどご一緒したカットでしょうか?
またどこかでお会いしたいものですね
それでは
お久しぶりです!
これは、あの時より1年前の09年夏にトワイラを
狙いに行った際の写真です。
ここを定期に通過する夜行も無くなってしまいますね。
佐倉様のブログから貴サイトに参りました。
多客期とはいえロザ2両とは豪勢ですね。そう言えば以前鉄道ジャーナル誌の列車追跡でもきたぐにのロザは結構利用率が高い様子が描かれていました。もっとも、新進気鋭の12系と元は大正生まれの木造客車を鋼体化改造したオハ61から更に改造されたスロ62、前者は密着自連で空気ばね、後者は並連でコイルばね、果たして乗り心地はどちらが上だったでしょうか?(^^);
さて、雪景色の中ED75にエスコートされる「きたぐに」、502レとのことですが、確か同列車は新潟駅を境に列車編成が逆転していましたから、カマ次位にオユが来るのは501レになります(これは特急白鳥も同様です。信越本線~羽越本線を新潟経由で運転する場合白新線を通る関係で編成の向きが変わります)。
尚日本海やトワイライトエクスプレスは新潟県内は深夜の通過となるので新潟には立ち寄らず新津からそのまま羽越本線に入るので編成の向きは逆転しません。
いきなり重箱の隅を突いて恐縮至極に存じますm(_ _)m
そう言われたら、新潟駅のことをすっかり忘れていました。
ご指摘の通り、一度編成が逆転しているので、
501レですね。ありがとうございます。