最近新しくスキャン作業をしておらず、在庫ネタ放出状態が続きます(汗)。
大糸線の旧型国電時代からで、お気に入りの編成の写真です。
玉に瑕は、生憎の曇天で美しい山々がぼんやりとしか見えないことです。
その分編成に集中してください(笑)。
旧型国電とひと口にいっても、その個体差は千差万別というほどバリエーションがあり、
それが旧型車両の醍醐味でしょうか!?
電関人としては、Hゴム改造があまり好きではなく木枠や金属枠のままで
前面窓が揃っているのを好みました。
その点では、この編成の先頭のクモハ51(おそらく)は良い顔をしています。
本当は、前パン(運転席の真上にパンタがある)のがさらに好ましいのですがそれはよしとして、
2両目にはしっかりと両運転台のクモハ40が入っていてこれもGOOD。
パンタグラフが接近していてこの不規則さがさらに良し!
そして3両目には2ドアで窓がずらりと並んだ大糸線名物のサハ45(ロからの格下げ車)。
なんだかオールスターといった編成です。
この大糸線と飯田線は、車両のバリエーションも豊富で旧型国電のパラダイスそのものでした。
1981年3月 大糸線 安曇沓掛付近
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中央線生まれの中央線育ちではありますが、記憶は定かでありません。
東京寄りの先頭車には増結された両運転台のクモハ40やクモハ51・55をよく見かけました。
塗装は小豆色なのはご存知と思います。
大糸線の色は淡く見えますが何色だったのかな。
飯田線大糸線とまだまだ残っていたはずなのに
何故でしょうかね。残念。
大糸線にもかなりのクセモノが配属されていて、撮る側としては楽しかったですね。
ここ安曇沓掛、小さい変化はあるものの、往時のままの風景を留めているのは嬉しいです。
今は現代版クハ55!?、E127系を撮って遊んでます。
大糸線の旧国、良いですね。
私は、旧国の魅力を理解したのが、飯田線末期になってからだったので、あと2年早く気付いていればと悔やんだものです。
大糸線末期はまだ中学生だったので、いずれにしても頻繁に通うことは叶わなかったかもしれませんが。
53007、53008のファンとしては、43810を見ておきたかったと思い続けています。
大糸旧国も末期静ママ車も一両も残らなかったことが余計に郷愁を誘いますね。
32Countさんも書いてくれていますが、スカイブルーでした。最初は「・・・」と思いましたが、
実際に見ると大糸線沿線の景観にハマっていると感じました。
当時、まだまだいろんなものが残っていたのに、
私も同じものを何回も撮りに行く習性で、随分と
撮り逃がしたものが多いです(笑)。
E127系が居るうちに、このお立ち台アングルで
ばっちり山バックをモノにしておきたいです!
私の場合は、郷里の私鉄である西鉄に旧型国電似の車両が居て、
わりとすんなりファンになった方でしたね。
クモハ52に間に合わなかったのが残念ですが、
やはり、半流型や小窓がズラリと並ぶ2扉車は
憧れの的でした。
当時はフィルムカメラでしたので撮影枚数に限りがあって残念な限りです。
懐かしい写真を拝見できてうれしいです!
先頭はクモハ60ではないかと邪推します
大糸線のクモハ51は関西からの転入が多く運転席がHゴム化されている車が多かったです
それとドアとドアの間の窓が5枚なのでこの時期ですとクモハ60のはずです
さらにジャンパー受けがあるので奇数番号車両ですから099・107・113のどれかかと思われますが、107は幌枠つきだったはずで巣ので残りは099・113のどちらかです
099は末期にPS23を装備していたことがありますがパン他の乗せ変えは結構ありますので決め手になるか・・・この面の真ん中のドアがプレスドアかそうでないかがわかれば判別できるのですが099はプレスドアじゃなくのっぺりしたドア113がプレスドアでした
さすがのご明察恐れ入ります。旧国はあまり得意分野でなく、
ご指摘部分確認後修正しておきますね。
またのご乗車(ご観覧)よろしくお願いします。