今週は、月曜からハードスケジュール。また明日から日曜まで出かけるので思うように更新ができません(汗)。
ネコパブリッシング刊で食堂車の本も出ましたし、先日鐡友のRDP3さんも上野駅の食堂の話などをされてましたので、
食堂つながりで・・・
正確に食堂車を連結して営業しているのは、今やカシオペアと北斗星、それにトワイライトエクスプレスの3列車だけ。
鉄道旅の醍醐味の一つが風前の灯です。かつてはほとんどの優等列車には食堂車が連結されていました。
電関人の一番の食堂車の想い出は、高校入学試験に合格した中3の春休みに友人と出かけた旅行の途中で
岡山から米子まで乗車した181系ディーゼル特急やくもの食堂車で高梁川沿いに走る景色を楽しみながら
ハンバーグ定食を食べました。上り勾配を加速しながら並走する車道の自動車を追い抜いていく力強いやくもの走りに
酔いしれながら食べた食事の味は格別でした。
アップの写真は、残念ながらそのやくもの写真ではないのですが、夕方4時過ぎに長旅の準備も万全に竹下区を
出て始発駅の博多へ向かう20系あさかぜの食堂車ナシ20です。
すでにそれぞれのテーブルには、ディナーのメニューがセットされていて約1,000kmの旅に出る乗客のお腹を
満たすべく、ウエイトレスさんが準備を進める姿が垣間見れます。
1976年6月 鹿児島本線竹下にて
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ディーゼル特急の食堂車は随分昔に北海道で何度かお世話になりました。
直近で乗ったのはもう何年も前ですが、札幌からの帰り道、北斗星の食堂車でした。
たまたま北上線を迂回だったので、DE10重連に牽かれながらの朝食はまた格別でした。(笑)
食堂車…昔はあれだけ本数が多かった「ひばり」にも「雷鳥」にも当たり前のように連結されていましたね。
実は、私も中学卒業から高校入学までの春休みにキハ181「やくも」に乗りに一人で行っていて「キサシの車中でハンバーグ定食」を食べました。
あまりの偶然に思わずコメントさせていただきましたが、時代はおそらく少し下っていて伯備線電化工事も完了目前、キハ181「やくも」最後の春でした。「やくも」の食堂車も電車化とともに消えてしまいましたね。
私も、一番最近の食堂車利用は数年前の函館旅行帰りの
北斗星のオシ24でした。
佐倉さんの場合は北上線回りでしたか!?
とてもオツですね!!
こりゃまた凄い偶然ですね!!
乗車時期は違えども、高校入学直前の春休で、
メニューも同じとは・・・。とてもご縁を感じますね!!
将来在来線で、のんびりと汽車旅ができる全国鉄道旅行専用に
客車を新製してもらって、その列車には鉄道旅を
満喫してもらうために、様々なタイプの
食堂車を3、4両つなげて究極の編成を看板列車にしているという夢を持っているのですが・・・。
一番古い記憶は1966(昭和41)年、まだ未就学児童だった頃のキシ80(おそらく「かもめ」)、その後サシ181(しおじ)、サシ481(つばめ、雷鳥)、オシ14・オシ24(東京ブルトレ)、サシ489(白山)は体験できました(そして新幹線36型及び100系X・V編成)。
惜しむらくは2001(平成13)年、やっともらえた連休を利用し夜行往復の渡道を計画、帰路に北斗星のスシ24を利用予定でしたが思わぬ事故遅延で接続が狂い、往路盛岡で涙の無賃送還!グランシャリオは乗れずじまいです(号泣)。
私も、全然記憶が無いのですが3歳頃山形の父方の実家に行くのに、
博多~東京が20系みずほ、東京~山形が82系つばさで
それぞれ食堂車の利用をしていたようです。
キシ80の方は薄らと記憶めいたものがあります。
あとは、かもめとまつかぜのキシ80でなんだか
キシ率が高いです!
新幹線の食堂車は、そのうちにと思っているうちに、
無くなってしまった気がします。
100系のグランドひかりなどは写真が一枚も有りません。