狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

特急 鷗の幻影 ナハ11

2013年08月17日 16時53分05秒 | 国鉄・JR 九州

ナハ11の2を1976年5月に鳥栖で見つけた。

色こそ一般の青になっているが、きっと番号から客車特急 鷗の第一編成か第二編成に組み込まれていた車両。

と思った瞬間、見たことがない茶色のゴハチに牽かれた特急鷗が頭の中で走り去った。



10系の美しい茶色の編成の本物を見てみたかった電関人。

鳥栖で鷗号の幻影を見た。


1976年5月6日 鹿児島本線鳥栖駅構内 ナハ11 2
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4 コメント

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急行での乗車経験は、 (狂電関人)
2013-08-18 21:06:32
RDP3さま

電関人の急行乗車経験はたぶんナハ10ですがさんべ3号で、
冬の霙の日で、隙間風が入り寒い思い出しかありません。
それ以来鈍行でもこのクルマは避けて乗りました(苦笑)
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ナハ11 (RDP3)
2013-08-17 23:04:11
というと、桜島・高千穂や日南(京都~都城)を思い出します。福知山にもいましたし、だいせんのハザもこの車でした。

あのホイルベースの短いジョイント音は独特でしたね。
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そうでした。 (狂電関人)
2013-08-17 21:01:50
青列車さま

どうもつばめやはととごっちゃになって、おまけに青大将の
インパクトが強すぎて、スハ44からナロ10とオシ17まででしたね。
しかも鷗といえば茶色だったことすら忘れておりました。
うーん私としたことが暑さでぼけちまったか。
ちなみに、このナハ11 2は門トスだったと思います。
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Unknown (青列車)
2013-08-17 19:37:44
元々は門タケがスハ44時代の「かもめ」編成の転向作業の大変さ=香椎線と勝田線を宇美の短絡線を使って2時間弱かかった由=に根をあげ、同車の回転クロス化を提案し、改造期間のみ代車として当時最新鋭のナハ11を導入を受け容れたとのことですが、結局スハ44系統は東海道の臨時「さくら」そして東北筋の「はつかり」に使われとうとう「かもめ」には戻ってきませんでした。
軽量客車で青大将カラーになったものは「つばめ」・「はと」用のオシ17・ナロ10がありますが、ナハ・ナハフそしてロネハネでは寡聞にして存じません。
「かもめ」に青大将が入ったとしたら…1960/昭和35年6月の「つばめ・はと」の151系化後から、1961/昭和36年10月の「かもめ」のキハ82系化までの間、編成内の特ロに、青大将OBのナロ10やオシ17が混ざった可能性があり得る程度です。
お写真のナハ112は所属は何処でしょうね?隣のオハ47には門鉄局を示す表記が読めますので門トス、門サキ、門ハイ、門タケ、門モシ辺りでしょうか?「かもめ」OBでず~っと門タケで時には長距離夜行急行に組成され夜通し頑張っていたのでしょうか?
左側に見えるオハフ33は戦前型ながら一丁前(笑)にアルミサッシですね。青塗近代化改造車でしょうか?
左端にちょこんと顔を出すED73も懐かしいです。ED72と並んでこの「鳩胸」電機は当時の九州の鉄道の顔でしたね。
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