1日空けてまたまた急行気動車の話で恐縮です。
3回前の『国鉄急行型気動車』編の際に記述した島鉄こと島原鉄道は、
この急行 出島・弓張号に併結されて鹿児島本線の小倉(博多)まで
乗入営業をしていました。
鹿児島本線で12両の国鉄急行車両を従える形で先頭に立つ島鉄2602 1977.2撮影
普段は、出島号と弓張号に挟まれる格好ですが、
週末だけは、加津佐寄りの先頭に付いてくるのでこれが楽しみでした。
座席には白いシートカバー、そして何よりも驚かされるのは写真で確認しづらいですが、
エアサス台車を履いていることです。台車の形状はキハ80系特急型のそれと
類似していました。
塗装は国鉄急行気動車色に準じているが前面の髭がチャームポイント!
夏は冷房車の2600系でしたが、
国鉄のキハ55がベースですが左右に分かれた前哨灯と中央のタイフォンがかわいい5506。1978.12博多
冬には、非冷房の5500系も顔を出していました。
地方私鉄の懐かしい思い出です。
この頃は国鉄型をベースにそれぞれの私鉄で独自の工夫を凝らした車両が国鉄に乗入れていました。
中央本線ではキハ58ベースで<アルプス>に併結された富士急行の気動車やキハ10?ベースで西鹿児島に乗入れた鹿児島交通の気動車などが記憶に残るところです。
私鉄車両の国鉄乗り入れは、鉄道が旅客輸送の要だった時代の象徴かもしれませんね。
コメントありがとうございます。
私としては、名鉄の7000系でしたか高山本線に
乗り入れていた名鉄のディーゼル車を撮って
みたかったです。
ディスクブレーキではなかったので、80系が当初履いたDT27と同形と思われます。博多から諫早まで先頭に被りついて前面展望を楽しんだのも過去の思い出です。
ありがとうございます。
島鉄のこの車、とても好きな私鉄車の一つです。
キハ2600のTB52という台車形式は帝国のTだったのかと勝手に推測しています。当時はメーカープレートを確認するような冷静さもなく・・・。
私も当時まだ10代でしたからそんな詳細は目もくれていませんでした。
唯々、国鉄乗り入れ車としてエアサスにシートカバーという
国鉄以上に優等列車風情を醸し出していて、特に週末の先頭出しには
惚れ惚れと見送ったものでした!
ダブりコメは後ほど削除いたしますね。
探してました、この写真。
子供の時の記憶になかにあった小さな穴が埋まったように思います。
僕が見たのは、急行弓張号だったんですね。
それを目にしたのは、博多駅のホームでした、僕は博多から二つ先の箱崎まで行くためホームで門司港行の普通列車を待っていた時でした。
気動車急行がホームに入って、乗客の乗降も終わり発車した時のことです、最後尾に一両見慣れないデザインの車両がくっついていました、中では着物姿のおばあさんが一緒についてきた孫の女の子にミカンを剥いてあげてるところでした。
僕はその見慣れないデザインの車両が島原鉄道の車両だとわかるまでかなりの間がかかりました、わかったときには、あの女の子は島原からおばあさんと一緒に大阪まで行くんだなと思いとてもうれしい気持ちになりました。(僕は当時この急行は大阪行きと思い込んでました)最後尾に一両というのも感慨深いものでした、貴重な写真を公開していただきありがとうございました。