「記録すること」というのが写真の本来的機能である。写っている人々の服装を見ると、おおよその時代が分かる。何十万という距離を、人とその生活や人生をともに運んできた客車の扉の向こうになんだか懐かしい時代を感じる。鹿児島本線と長崎本線が分かれるクロスポイント。それに久大本線の始発駅でもある鳥栖駅には、何とも言えない良い雰囲気が漂い良く撮影に出かけた。1978年5月 鳥栖駅にて※左側のにほんブログ村ボタンをポチっとよろしくお願いします。
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向こうホームの「お嬢さん」でしょうか、服装に時代を感じます。
こういった記録は、後々貴重になりますね。
ないのが雑客たるところ。
ファッションに限らず「時代」が写っている
写真は楽しいですね。
ご存じのとおり、この頃鹿児島本線の各停客車列車は、
ながさき号を除き鳥栖発着でした。
旧客列車が各停であるとその旅情が強く感じられて、
吸い寄せられるように鳥栖通いをしたものです。
やはりこれは良いですよね!
動態保存の旧客もSGが使用されるようになりました。
あの懐かしいスチームが上がる光景は見れますかね!?
その向こうにも旧客が停まっているというのも、客車全盛を彷彿させてくれます。
鳥栖、その昔は機関区もあったりして鉄道の街でした。
鳥栖とか早岐とか、機関区が有名で名前だけは知っているのですが、一度も訪問出来ずでした。
それにしても、結構目立つ服装の女性が上手いこと扉の向こうに入ったものだと感心です。
大きなヤード、機関区、客車区を擁して
まさに鉄道の町を形成していました。
中高通して、一番通った駅です。
鹿児島本線から長崎本線の分岐点でもあり、
筑豊本線、久大本線と4系統の本線仕業を預かる
機関区だったので、給炭設備もかなり大きなものでした。
昭和60年代まで残っていたと思います。
完全切妻車体でキャンバス張り。換算表記からオ級、TR-23のコロ軸受け改造(TR-23D?)、洗面所窓のHゴム支持化から察しますにこの客車はオハ47若しくはそれの緩急車改造オハフ46の近代化改装車のようですね。
デッキ越しに見えるのはオハ35戦後型のうち、鋼板屋根でキノコ妻(デッキに絞りのある折妻車。大井川鉄道に残るオハ35857がこのスタイル)ですね。もう少し増備が進むとスハ42の様に折妻ながらデッキの絞りのない形状に変わります。
今時の車輛に比べこれら在来一般型客車は不思議な落ち着きと安らぎがあり軌道条件の良い線区なら意外と高速運転しても案外揺れなかったものでした。こんな列車でまたのんびり旅行したいものです。
(学生時代しばしば「ながさき」号を利用したものです。但し専ら門司~香椎管ですが…)
ほんの少ししか写っていない車両からそこまで
判ってしまうとは、凄いですね。感服いたしました。
詳しく分類はできないのですが、私も客車の
形態違いは結構好きで特にオハ35系統は結構写真を
撮っています。