終焉からまだ半年ほどですが、随分たつような気がする長電2000系。
居なくなって初めてのリンゴの季節を迎えようとしています。
これからも、リンゴの季節度に思い出すことでしょう。
2000系をリンゴの季節に、絡めて撮るのが好きでした。
2008年11月8日 長野電鉄上条付近
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その存在自体が風前の灯になった「急行」。
そしてまた、この一族も現役ながらやがて引退の身。
電関人にとって、急行型電車といえばやはり475系(交流エリア生まれ育ちなもので)!
九州地区では、早々とHMを止めていましたがこの立山やゆのくには遅くまでHM付きで475系のスター的存在でした。
言わずと知れた山崎の大カーブを颯爽と通過する立山1号。
これにサハシが付いていれば言うこと無しなのですが・・・。
1978年8月7日 東海道本線 高槻~京都 501M 立山1号
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22日をもって、只見線会津坂下と会津川口の間を最後にタブレット閉塞式が終焉を迎えました。
これをもって、JRの旅客線での駅員から機関士へのタブレットキャリアの手渡しシーンは過去帳入り。
また一つシニア鉄である電関人の知る佳き鉄道風景が消えた。
写真は、福岡市営地下鉄開業によって消えた筑肥線 姪浜~博多間の筑前高宮でのタブレット交換シーン。
1978年3月 筑肥線 筑前高宮駅 DE10 72号機 2530レ
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この週末は、お彼岸。夏の疲れもあってまったくの非鉄です。
30年前の秋、クラブの同期が新車を購入した記念に信越線~北陸~東海道関ヶ原~大井川鉄道と
ぐるり巡るクルマ旅をしました。
その途中に寄った氷見線の雨晴海岸。
電関人の中で本州の撮影地でも10指に入るお気に入りの撮影地。
残念ながら曇天だったけれど客レを待つ。
晴れて視界が良ければ海越しに立山連峰が見えるこの海岸。
潮騒を突いて、6両の客車を牽くDE10のイグゾーストが次第に大きくなる。
そして眼下を通過。
沖に停泊する船の灯り以外は、低く垂れ込めた鼠色の空と白波の海に支配され夕闇せまる海岸。
去り往く客車内の灯りと、水平線の漁火に人々の営みの温もりを感じた。
1982年10月(おそらく) 氷見線 越中国分~雨晴 423レ
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その車齢から間もなく引退しようとしている651系やE351系。
栄光のボンネットデザインを踏襲した車両たちが近い将来特急列車から消滅しようとしている。
思い起こせば、このボンネットデザインが電関人を強く鉄道写真の世界に誘った大きな要因の一つ。
電関人の中では、このスタイルはこだま型というよりつばめ型として定着している。
今後二度とこのような美しいスタイルの特急型車両は現れないことだろう。
1978年11月 鹿児島本線 二日市~水城 1014M
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