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袴田事件再審決定 今どうするか、この失敗を生かさないと次の犠牲者が私達かも

2014-03-29 00:25:06 | ブログ

1966年味噌製造会社の専務一家4人が殺され放火された事件。袴田巌さんはボクサーでその会社の従業員でした。

20日間240時間にわたる、夏の暑さのところで行われた常軌を逸した取り調べが行われたそうです。少しでも休ませて欲しいとの思いから自白させられました。裁判では一貫して無罪を訴えましたが、無理やり自白させられてもそれを取り消すのが難しかったようです。

1)犯行時着ていた衣類5点のDNA分析が一致しない。

2)1年後味噌樽の底から後から見つかった衣類5点に疑義がある。

犯行時の衣類がパジャマからその5点に警察側が主張を切り替えた。しかし、実際味噌樽に漬けて見ると衣類は味噌に染まってまったく血液付着などが区別つかない状態であったのに、証拠品は味噌に浸かっていない状態。ズボンは履けなかったのに、裁判所は当時は履けたと。

熊本典道さん(1968年静岡地裁で一審で死刑の判決文を書いた裁判官)

無罪の心証を持ちながら先輩判事に押し切られた。合議制だったので仕方がなかったのですが、どうしても後悔の念から半年後裁判官を辞職し、弁護士になり袴田巌さんの支援に回ったそうです。熊本さんはご自分の良心を大切にされ勇気を持って行動されたのだと思います。こういう方がいる組織はまだ救いがあります。

当時取り調べをした刑事が、「証拠が乏しい事件で自白しかなかった。再審が決まったことなので。ただ、今でも犯人だと思っている」と顔を隠してインタビューに応えていました。本当にそう思うのでしたら、顔を出して堂々と発言して欲しいと思いました。

数年前にTVの特集で袴田事件を放映していて、最初のDNA分析をした検査員が、弁護側がそのDNA分析がおかしいと指摘しても、「DNA分析は正しい」と言い切っていたのを思い出しました。当時のDNA分析の限界は科学者ならわかっていることなのに組織の考えで、最初のDNA分析は不備があったと言えなかったのでしょうか。組織に反してまで言う良心、勇気がなかったた。言うと閑職に追い立てられる、あるは辞めさせられると恐れる気持ちがあったのでしょうか。

静岡地裁の裁判長が踏み込んで判断されました。

1)捜査機関によって捏造された疑い

2)耐え難いほどの精神両面に苦役を与えた。これ以上拘束するこはできない。

47年7か月の刑務所。死刑が確定してから34年間、いつ刑が執行されるかの毎日の不安を想像するだけで身震いがします。よく生きていてくださったと思います。亡くなっているとうやむやにされていました。

48年前の日本でまだ、このような取り調べが行われいたことが恐ろしく不安です。

先日、ネットから強迫したということで、まったく関係ない人が何人か自白させられていました。後日、実はその人のパソコンを使って遠隔操作していたことがわかり警察が謝罪しました。犯人でない人を無理やり犯人にしているのは今も続いている事実のようです。

袴田事件がもっと恐ろしいことは、捏造をしていたと疑わざるを得ない点です。捏造は犯罪です。捏造をした人は罪に問われないのでしょうか?48年の人生を奪い取ったこと、死の不安に陥れた34年間。捏造に関わった人が、もし自分だったら、自分の家族だったら、大切な人が捏造で犯人にされたらどう思われるのでしょうか。仕方がないと思われるのでしょうか。きっと怒り心頭に達すると思います。それをやったことになります。

ナチの強制収容所で職員として人をガス室に送り込む作業をした人がいました。その責任者は戦後ずっと居場所を探され裁判にかけられました。日本において捏造を指示した責任者の追及はなされないのでしょうか。刑事としては時効が過ぎています。せめて民事できちんと真実を明確にすることが、これからの冤罪を防ぐ一歩なのだと思います。

心理学の実験で、回答者が間違うと電気ショックを与える教師役の任務を与える実験がありました。人はどこまで命令に従うかの実験でした。教師役以外は全てさくらです。電気ショックは回答者に与えられませんが、回答者は与えられたように演技します。電気ショックの大きさに比例して演技を変えました。多くの教師役は回答者が悲鳴を上げても指示に従って電気ショックを与え続けたそうです。この実験はドイツ人だからナチスの強制収容所で上の指示に従って人をガス室に送りこむことを証明するために計画されました。ドイツで行う前に米国で行ったら、米国人も上の指示に従うことがわかり、ドイツで実験することは中止されました。

熊本典道さんのように、過ちを自覚され行動を変える。良心に従った行動をする勇気を人は取れないのでしょうか。それが取れる社会、企業、団体にならないと、いつまでもこのような冤罪や会社の不正はなくならないのではないかと思います。

先ず一歩、自分がそのことができるようにしたいと思います。