幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん 「サワコの朝 香川京子さん」 ”やることに無駄はない”

2015-12-12 08:16:08 | 生き方/考え方
大女優なのに、日本のお母さんとして。今は女優はせずに語り部でやっている。
1931年生まれ、84歳、1949年デビュー。「ひめゆりの塔」に出演。
黒澤監督、小津監督、溝口監督など、原節子さんと共演。
日本映画の黄金期に輝いた監督とのエピソードを。

映画祭で、日本映画の魅力を伝える”語り部“。現場を語る人がいなくなった。
コーラスが好きだった。思い出に残る一曲目は、高校時代に歌ったコーラス「レクイエム涙の日」
いずれは声楽?今でも入りたい。笑
高校を出て、普通に就職するはずだった。銀座の和光の後ろにあった服部時計店を受けてそこに勤めることになっていた。1月に東京新聞に新東宝ニューフェース募集の記事が出た。OLの仕事も良いけど、これをやってみようと思った。叔父が映画をやっていて相談したが反対された。それでも受けたら受かった。。意思が強く意地を通す方だった。、新東宝に入った。その宣伝課長が叔父だっだ。「受かったら仕方がない、しっかりやるように」と言われた。

3年後にフリーに転向した。デビューして3年目に、田中絹代さんのお母さん役の映画に出た。この時の役が自分い合っていると思った。それでこれからは自分が出る作品は自分で選びたいと思った。その1年後に5社協定が始まった。映画会社以外の映画には出られなくなった。映画会社を離れフリーになる不安はなかった。怖いもの知らずだった。少しずつ仕事をさせてもらった。「ひめゆりの塔」が私にとって大きかった。その後、小津監督から「東京物語」に声をかけてもらった。原節子さんはすっごく明るい方で、笑顔がすてきな太陽みたいな方。偉大な先輩からは芝居については何もおっしゃられなかった。当時は監督の指示でやっていた。しかし、脇から先輩の演技を見させてもらった。現場ではとても優しく接してくださった。撮影が始まると役にはまり込んでいた。生き方やお仕事の仕方などで教えられた。

「赤ひげ」の時は狂った役割。その時の病んでしまったお金持ちのお嬢さん役。かんざしで刺して殺す役。加山雄三を殺す役。かんざしを持った時にキラと輝かないといけないと。首のところに持っていくので、間違って刺してはいけないと思い、怖かった。名だたる二枚目俳優と共演した。三船敏郎さんは豪快な役柄だったけど繊細な方だった。綺麗好きな人。三船プロの玄関を掃除しているおじさんが誰かと思ったら、三船さんだった。

男優西島さんは、香川京子さんのファンで、「香川京子さんは神話上の人物。黒澤監督、小津監督、溝口監督のお墓の前で演技するとき、溝口監督のお墓の前で演技するのがとても怖くなって前日お酒を飲んで、マネージャー経由で香川京子さんに「撮影現場に来ていただけませんか」と伝えた。そうしたら香川京子さん本人から直接電話を貰った。「できたらいくけれど落ち着いてやればよいのよ」と言っていただき、素晴らしいシーンが撮れた。「西島さんはきちんとしていて品がある。そういってもらえると嬉しい」。

役柄一つひとつはそれをやらなければとの思いだけでやって来た。やったことに無駄はないと思う。娘役から始まって、最後はおばあさん役になる。座っているだけでも過去があって今がある。扮装だけではだめ。

31歳で結婚した。新聞記者の人と。仕事をちゃんとして、普通の家庭を。主人は家事を手伝ってくれなかった。時間との闘い。すごく忙しかった。家事の合間に仕事をしていた。

今は語り部として、皆さん喜んでいただける。歌うと気分がよい。今も個人でレッスンを受けている。岸洋子さんの「夜明けのうた」。すてきな歌。日本の抒情曲をきちんと歌いたい。お孫さんがいる。すごく忙しそう。もう高校生。演じるという仕事に対して、まだ自分の新しい面を出せるのではないかと思う。そういう作品に出会えたら演じたい。