幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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プロ野球「戦力外」から這い上がった男の心魂 このメンタリティは一般社会にも深く通じる ”今を大切に”

2015-12-30 10:15:44 | 生き方/考え方
http://www.msn.com/ja-jp/news/sports/%e3%83%97%e3%83%ad%e9%87%8e%e7%90%83%ef%bd%a2%e6%88%a6%e5%8a%9b%e5%a4%96%ef%bd%a3%e3%81%8b%e3%82%89%e9%80%99%e3%81%84%e4%b8%8a%e3%81%8c%e3%81%a3%e3%81%9f%e7%94%b7%e3%81%ae%e5%bf%83%e9%ad%82-%e3%81%93%e3%81%ae%e3%83%a1%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%aa%e3%83%86%e3%82%a3%e3%81%af%e4%b8%80%e8%88%ac%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%81%ab%e3%82%82%e6%b7%b1%e3%81%8f%e9%80%9a%e3%81%98%e3%82%8b/ar-BBo1Py2?ocid=spartanntp#page=2
八木智哉選手は今年、中日に移籍して活躍した(撮影:大澤 誠)© 東洋経済オンライン 八木智哉選手は今年、中日に移籍して活躍した(撮影:大澤 誠)
 今年も多くの選手がプロ野球界を去った。「戦力外通告」のわずか一言で、一瞬にして職を失う。そんな選手たちの野球人生最後の時をドキュメンタリーで描いてきたTBSテレビ「プロ野球戦力外通告~クビを宣告された男たち」が、今夜(12月30日)10時から通算12回目の放送を迎える。

 今年は本編に収まりきらなかったサイドストーリーを2回(「プロ野球を2度クビになった男がつかんだ宝」「プロ野球『トライアウト』一発逆転勝負の本質」)にわたって東洋経済オンラインで配信してきたが、本編放送直前の特別企画として2014年のトライアウトから見事、復活を遂げた男のストーリーをお届けしよう。

 このテストの結果で、その後の人生が決まるという試験会場の控え室。大勢の受験生と一緒にいると想像して欲しい。あなたなら次のどのタイプになるだろうか?

 「ものすごく集中してるけど、うつむいてナーバスになってる人。とりあえず受けてみて受かればいいなと楽天的に考えている人。俺はこれに懸けてどうにかして受かりたいんだって雰囲気の人。だいたい3つくらいのパターンに分かれていましたね」

 自ら置かれていた緊迫した状況を、そう冷静に振り返る男がいる。中日ドラゴンズの八木智哉投手、32歳。ちょうど1年前、彼はプロ野球人生を懸けて、一発勝負のトライアウトのマウンドに立とうとしていた。オリックスから非情の戦力外通告を受け、まさに野球人生の「どん底」にいた八木。そのトライアウトのロッカールームで、上記3タイプの選手を目の当たりにして、彼はある行動に出た。

 「なんだか、ロッカーから出たくなったんですよ。あの場に居られなかった。外野に行ってギリギリまで体を動かしたり、ブルペンの雰囲気を見に行ったり。音楽聴きながら自分のリズムを作っていましたね。抑えるか打たれるかで、生き残れるか生き残れないかの空間じゃないですか。勝負をするわけだから、ロッカーで他の選手とは喋りたくなかったんです」

 八木が回顧するロッカーの様子。プロ野球合同トライアウトの熾烈な舞台裏は、そんなピリピリとした空気感に包まれていたのだった。

 今から10年前。八木は野球人生で最もスポットライトを浴びていた。大学選手権の最多奪三振記録という実績を引っ提げ、アマチュア・ナンバーワン左腕の呼び声とともに、2005年に希望入団枠で、北海道日本ハムファイターズに入団。契約金は1億円、年俸1500万円と最高評価を受けてプロ野球選手になった。

 八木は1年目でチーム最多の12勝といきなり大活躍を果たす。20歳でブレイクしたダルビッシュ有とともに、投手陣のタブルエースとして、北海道に日本ハムが44 年ぶりに日本一となる立役者として貢献した。年俸は一気に5000万円へアップ。ところが2年目、いきなりプロ野球人生が暗転する。左肩を傷めて戦線離脱を余儀なくされたのだ。

 「肩をケガしてから、何もかも思うようにいかなくなってしまって。今日投げたフォームで明日投げられないとか、本当に1日1日で全部が変わってしまって。もう野球をやるのも苦しかった…」

 2009年に9勝を挙げて復調の兆しを見せたが、自信が追い求めるフォームからはほど遠く、その後のシーズンはずっと五里霧中にいた。プロ8年目の2013年、シーズン開幕前にオリックスにトレードされたが、新天地でも2年間で1軍登板わずか6試合とまったく結果を残せず。そして、ついにその時は訪れた。かつて球界を代表する左腕になると嘱望された男が、プロ9年目でクビを告げられた。31歳での戦力外通告だった。

 スポーツジャーナリズムの世界にいると、職業柄、戦力外通告を受けた選手の取材をする機会も多い。その中で、どん底から這い上がって再び表舞台に立てるごく一部の男たちには、ある共通するメンタリティがあると感じる。八木にインタビューすると、彼にもその気質が明らかにあった。それは次の言葉に強く滲み出ていた。

 「ここで終わる、っていう感覚は自分の中でまったくなかったです。クビになってトライアウト受けるまでに、マイナス思考になって悩んでも、答えは出ないしらちが明かない。その時間がもったいないので考える必要もないなかって。今まで通り準備をしっかりやって、結果をしっかり残すことしか頭になかったですね」

 端的に言うなればポジティブシンキング。だが、そこには冷静な自己分析もあった。オリックスで過ごした2年間、チーム事情もあって一軍での登板は少なかったものの、二軍では新たな自分の投球スタイルをつかみつつあることに手応えがあった。そしてこうも感じていた。

 「僕は左投手なので、右投手に比べれば、まだ他球団に必要とされる確率が十分ありますから」

 そこには虚勢を張る様子はまったく見られない。自分を客観視し、やるべきことをやり、余計な思考は排除する。“人事を尽くして天命を待つ”、まさにこのフレーズがピッタリの八木の姿勢があった。

 そんな八木だからこそ、戦力外になった自らの状況すら受け入れる余裕があったのかもしれない。毎年、年末の風物詩となっているTBS系列の番組『プロ野球戦力外通告』。2014年の主人公として八木は出演を打診された。だがオファーを受けたのは、なんとクビ宣告を受けたわずか2日後のこと。それでも彼は出演を快諾した。普通の選手ならナーバスになり、取材や撮影に対して躊躇してしまうかもしれないが、彼は独特なポリシーを持っていた。

 「僕は絶対に(番組に)出るって決めてたんですよ。クビはいつか誰にでも来るじゃないですか。そうなった時に、僕はこの番組に100%出るからって。で、クビになって球団スタッフから電話があった時『出ますよ、それ』って即答でした(笑)」

 驚くべきは、野球人生のどん底を描くこの番組への出演を心に決めていたのは、なんと野球人生で最高の時だった9年ほど前のことだ。プロ1年目で新人王を受賞したオフに『プロ野球戦力外通告』の番組を見て、いつか出演したいと願ってすらいたという。

 「いろんな選手が出演するじゃないですか。結果出したのにケガでダメになった人もいれば、鳴り物入りでプロに入ったのに結果も出せずクビになった人もいて、いろんなドラマがある。僕はプロ1年目で結果を出すことができたので、自分の中で多分ドラマを作れるなって思った」

 そこには、したたかな計算もあった。当時から交際していた知佳さんと、プロ1年目のオフに結婚。八木が戦力外を受けた2014年には、7歳の長男を筆頭に、6歳の次男、4歳の三男、2歳の四男、そして生まれたばかりの長女という、5人の子どもの存在もあった。守るべき大切な家族。その全員に向けて残すべきメッセージがある、そう八木は思っていたのだ。

 「テレビに出たらそれがモノとして残るじゃないですか。残るってことは、子どもたちが成長したときに見せられる。人生、良い時もあれば悪い時もある。映像とナレーションと音楽で盛り上げてもらって、子どもたちが大きくなった時にプラスにとらえてくれると思ったんですよ。いつか僕の現役が終わって、一番下の娘が理解できる年齢になってその映像を流した時に、一緒に笑えるじゃないですか。そして自分がそれを改めて見た時に、あの時これだけ頑張っていた、これからも頑張らなきゃ、って奮起するためにも全部プラスになると思って。出演することでマイナスなことは何一つなかったですね」

 八木はドキュメンタリー番組の帯同について、みずからを奮い立たせる材料としてポジティブにとらえ、そして冒頭のトライアウトに臨んだ。うつむいてナーバスになっている人。受かればいいと楽天的に考えている人。これに懸けてどうにかして受かりたいという雰囲気の人。3パターンに分かれ緊迫していたロッカールームの状況に「いろんな“気”が混じっているから、あんまりそこに居たくなかった」と、八木はいつもと変わらない普通の状況でマウンドに立つことを選択し、ロッカールームから一人外に出て無心でピッチングへの備えをした。

 そして崖っぷちで登った、一世一代のトライアウト。待ったなしの真剣勝負で、一人目の打者となったのは前の打席で本塁打を放った元西武の星秀和。大勢のスカウトの前で、得意のスライダーで見逃し三振を奪ってみせた。その瞬間、明らかに球場の空気が変わった。

 そして後続にも隙を見せず、終わってみれば4人の打者にヒットを1本も許さない完璧なピッチング。その一挙手一投足を追っていたカメラの映像を振り返り、八木は自らの活躍をこう反芻してみせた。

 「打たれたらおしまいじゃないですか。プロで使えなくなった選手が集まってのテストで打たれたら、もっと使えないってことになるわけです。その極度のプレッシャーの中での一発勝負が、かつて日本シリーズで投げた感覚とすごく似てるなって思った。本当に楽しかったんですよ。久しぶりに真剣勝負が出来たっていう感覚があったので。で、終わってインタビューしてもらった映像を後から見ても、自分がスゲェいい顔だなって思った。ああ、やり切ったんだなって」

 そこまで納得のいく投球をした八木に、オファーを待つ不安はもう微塵もなかった。翌朝、登録のない番号から携帯に電話がかかる。「来たよ!来たよ! 知らない番号から(笑)」。中日ドラゴンズからの連絡だった。電話口で獲得の意志を示した球団スタッフは、年俸など具体的な好条件まで提示してくれた。そんな誠意あるオファーに、八木が即答しない理由は何一つなかった。

 中日に入団して1年目の今季、八木の成績は既報の通りである。開幕ローテ入りを果たすと、広島戦だけで4勝を挙げるキラーぶり。800万円増の年俸2000万円で来季へ向けてサインも済ませた。「金額より来年もプロでやれるというのが第一なんです。まだまだ中途半端な成績。来年に向けて変化球の精度を重点的に磨きたい」と、わずか1年前にはクビを宣告された男が笑顔で前を向く。プロ野球選手にとっては、毎年が正念場だ。そんな八木が考える、土壇場から這い上がった秘訣とは何か。

 「プロで10年間過ごすと、いろんな人がクビになっていったのを見て来ました。実際に僕も実際にクビになりましたし。それって、いつか来ることじゃないですか。その時に大事なのは、クビになるまでに自分がどれだけ頑張って来たかっていうことだと思うんです。これだけやってきた、っていう選手はみんないい顔をしているんですよ。トライアウトを受けてダメでも、何とか仕事探して頑張るわ、みたいな吹っ切れた感じ。ですけど、クビになるまでに全力でやってなかった選手は、トライアウトを受ける前から不安そうだし、終わった後にも不安そうだというか。だからもう顔色も全然違いますし。中途半端な人ほど、いろんな愚痴を言うというか。ポジティブというのか分かりませんが、僕はやることをやったら、あとは人生なるようにしかならないと思っているので」

 このメンタリティは、プロ野球の世界だけでなく一般社会で戦う、学生や社会人にも深く通じることではないか、そう八木に問いかけるとこんな興味深い答えをしてくれた。

 「やっぱりネガティブは最大の敵だと思いますね。僕もそんなにメンタルが強いわけじゃないですけど、どれだけ自分の脳をだませるかというか。自分の脳を上手にだませば、いいイメージにいくと思うし。ピンチの時にヤバイ、どうしようって方向にいったら余計マイナスになって打たれてしまうし。結果がどうあれ、どれだけポジティブにいられるか。明るく元気でいれば、周りの空気まで変えられると思いますね」

 2014年の八木同様に、2015年もまた多くの選手が戦力外通告を受けてトライアウトに挑んだ。投手33名、野手14名。その中で現役続行の切符を手にしたのは、わずかに3名のみ。そんな熾烈な状況を描く『プロ野球戦力外通告』に対して、八木はこんなことを思っている。

 「戦力外と背中合わせ、そんな不安定な立場のプロ野球選手からするとあの番組は、自分はクビにならないように頑張ろうって思わせてくれるんです。あれを見てみんな、また来年1年間必死に結果を出そうって」

 そしてポジティブな八木らしく、最後にこう付け加えた。

 「もちろん今年も番組は見ますよ。それが終わったら、昨年の自分が出た録画をまた見ると思います。僕のやつは本当にドラマチックですからね(笑)」(敬称略、文:津川 晋一)

感想
自分に誇りを持って取り組んでいたら、自分を卑下することなく、堂々としていることなのでしょうね。
どうしても結果を残している人と自分を比較してしまいます。そして自分から行動を狭めてしまいます。

誇りを持つためには、自分は出来ることはやって来たとの思いを持てることなのだと思います。
今、この瞬間を大切にしてできることをやることなのだと思います。
過去の失敗などの体験を今に活かして、今やっていく。
それは未来を明るくすることにもつながるのでしょう。

ロゴセラピー(「夜と霧」の著者ヴィクトール・フランクルが始めた療法)では、
「あたかも君が二度目の人生を送り、まさに君がしようとしているように、一度目はなにもかも間違ったことをしたように生きよ」
と言っています。
これは、今、瞬間瞬間に大きな責任を持っている。今どうするかの選択する自由がある。二度目の人生であれば一度目の間違いをしないように生きるでしょう。
そう思って今を生きることだとフランクルは言っています。
生きる指針は、自分と言う内側に関心を向けるよりも、”誰かのために何かのために”と外に関心を向けることが自分の幸せにもつながると言っています。