朝ドラ「あさが来た」で女優も。主人公を支える女中うめ役で。高く評価された。
1973年生まれ。お笑い芸人で16年。水谷千恵子はコンサート会場が満席に。
人間観察が基本。経験を芸の肥やしににする不屈の芸人魂。
朝ドラが終わった後は、愛媛の地元は変わっていた。うめさんと言われた。
実は断ろうかと思った。物理的に厳しいかと思っていた。前までだと断っていた。仕事のスケジュールがあり受けるのは難しいかとも思ったが、今はいろんなことが芸の肥やしになるかと思っていた。ミュージカルも経験したことがある。朝ドラの視聴率がよいので、知ってもらう良い機会。何故自分が選ばれたのかを打ち上げの時に尋ねたら、脚本家のだんなさんが言ってくれたらしい。大げさにやるのは止めよう。控えめに演じたのがうめ役に合ったのかもしれない。プライベートは“男を立てる”女。お小遣い制なんかは、旦那が稼いでくれたお金をお小遣いは本来違う。本当は可愛らしい女とは皆は知らない。
1曲目はドラマ「不良少女とよばれて」主題歌MIEさんお「NEVER」を地元の歌合戦で歌ったら、ボランティアをやっている人から少年院の慰問に一緒に行かないかと誘われた。
小学校6年にして少年院で歌った。人生Never Give upと叫んだ。そうすると皆がオーと叫んだ。小学生に言われるのは何だが。
愛媛大会のカラオケで優勝した。サブロウシロウさんが司会だった。そこで目にとめて貰いたくて、物まねが上手いと言ったら、やってと言われやった。家の中で姉とミニコンとを一緒にやっていた。笑いの原点は“姉とのコント”を二人でやっていた。「うちのコートは加賀友禅や。それにリーバーシブルだ」。「ごりょうさんどこへ行きはるの?」。と難しい言葉を並べていた。
芸人を目指す前は様々な仕事をこなしていた。28歳で吉本興業に入った。
様々な職業を経験した。4年大学を卒業して愛媛の道後温泉に仲居として入った。仲居の配膳係をしたかったがなかなできなかった。愛媛の人気リポートだった。仲居をしながらやった。そこでも物まねしたらリポーターに誘われ、それが忙しくなり仲居を止めた。“情報”より“笑い”をやりたかったがその笑いの部分はカットされた。やはり笑いをしたいと思って吉本興業に入ろうと思った。
街並みで見かけた人を観察した。とても失礼だと思ったけど、ずーと見ていた。最近は面白い人が寄ってくる。ワンカップを持ったおじちゃんが着て、友近ちゃん、これからの日本は俺が支える。と言ってワンカップを飲んでいるが、全てこぼしている。いろいろなネタの宝庫がある。
水谷千恵子先生はどうして生まれたのか?絶大な人気を誇っている。5年前に演歌のキャラでお笑いをした。その前に演歌の歌番組の司会をやっていた。演歌の人は笑いが好き。今や本格演歌歌手としてやっている。実際の大物の演歌歌手に来てもらって、自分が大物の演歌歌手として演じてやることで了解して貰ってやっている。だから大物演歌歌手も全員“ちゃん”付けで呼んでいる。自分の大物演歌歌手のプロファイルは、生まれは福井県。家は豆腐屋。北陸のひばりと呼ばれている。芸歴50年との設定。
2曲目は水谷千恵子の時のゲストに出て貰った時の歌。聴くと涙がこぼれる曲。「木蘭の涙」
自分の葬儀の時に流して欲しいと思っている。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35032
こぶくろ 「木蘭の涙」
逢いたくて逢いたくて この胸のささやきが
あなたを探している あなたを呼んでいる
いつまでもいつまでも 側にいると言ってた
あなたは嘘つきだね 心は置き去りに
いとしさの花篭 抱えては微笑んだ
あなたを見つめてた 遠い春の日々
やさしさを紡いで 織り上げた恋の羽根
緑の風が吹く 丘によりそって
やがて時はゆき過ぎ 幾度目かの春の日
あなたは眠る様に 空へと旅立った
いつまでもいつまでも 側にいると言ってた
あなたは嘘つきだね わたしを置き去りに
木蘭のつぼみが 開くのを見るたびに
あふれだす涙は 夢のあとさきに
あなたが来たがってた この丘にひとりきり
さよならと言いかけて 何度も振り返る
逢いたくて逢いたくて この胸のささやきが
あなたを探している あなたを呼んでいる
いつまでもいつまでも 側にいると言ってた
あなたは嘘つきだね わたしを置き去りに
恋は?ストレス発散は恋だと雑誌に書いてあったが?面白い人を探して付き合うので喧嘩にならない。他の人を好きにならない男性がよいが、そのために家の中で喜ばすエンターテインメントをする。
感想;
回り道は無駄でないことが、友近さんの経歴を聞いていて思いました。
無駄なことはない。無駄に見えることも人生の宝物になっていることが伝わってきました。
人と比較しない。自分の体験があるから自分らしさが出るのだと思いました。
1973年生まれ。お笑い芸人で16年。水谷千恵子はコンサート会場が満席に。
人間観察が基本。経験を芸の肥やしににする不屈の芸人魂。
朝ドラが終わった後は、愛媛の地元は変わっていた。うめさんと言われた。
実は断ろうかと思った。物理的に厳しいかと思っていた。前までだと断っていた。仕事のスケジュールがあり受けるのは難しいかとも思ったが、今はいろんなことが芸の肥やしになるかと思っていた。ミュージカルも経験したことがある。朝ドラの視聴率がよいので、知ってもらう良い機会。何故自分が選ばれたのかを打ち上げの時に尋ねたら、脚本家のだんなさんが言ってくれたらしい。大げさにやるのは止めよう。控えめに演じたのがうめ役に合ったのかもしれない。プライベートは“男を立てる”女。お小遣い制なんかは、旦那が稼いでくれたお金をお小遣いは本来違う。本当は可愛らしい女とは皆は知らない。
1曲目はドラマ「不良少女とよばれて」主題歌MIEさんお「NEVER」を地元の歌合戦で歌ったら、ボランティアをやっている人から少年院の慰問に一緒に行かないかと誘われた。
小学校6年にして少年院で歌った。人生Never Give upと叫んだ。そうすると皆がオーと叫んだ。小学生に言われるのは何だが。
愛媛大会のカラオケで優勝した。サブロウシロウさんが司会だった。そこで目にとめて貰いたくて、物まねが上手いと言ったら、やってと言われやった。家の中で姉とミニコンとを一緒にやっていた。笑いの原点は“姉とのコント”を二人でやっていた。「うちのコートは加賀友禅や。それにリーバーシブルだ」。「ごりょうさんどこへ行きはるの?」。と難しい言葉を並べていた。
芸人を目指す前は様々な仕事をこなしていた。28歳で吉本興業に入った。
様々な職業を経験した。4年大学を卒業して愛媛の道後温泉に仲居として入った。仲居の配膳係をしたかったがなかなできなかった。愛媛の人気リポートだった。仲居をしながらやった。そこでも物まねしたらリポーターに誘われ、それが忙しくなり仲居を止めた。“情報”より“笑い”をやりたかったがその笑いの部分はカットされた。やはり笑いをしたいと思って吉本興業に入ろうと思った。
街並みで見かけた人を観察した。とても失礼だと思ったけど、ずーと見ていた。最近は面白い人が寄ってくる。ワンカップを持ったおじちゃんが着て、友近ちゃん、これからの日本は俺が支える。と言ってワンカップを飲んでいるが、全てこぼしている。いろいろなネタの宝庫がある。
水谷千恵子先生はどうして生まれたのか?絶大な人気を誇っている。5年前に演歌のキャラでお笑いをした。その前に演歌の歌番組の司会をやっていた。演歌の人は笑いが好き。今や本格演歌歌手としてやっている。実際の大物の演歌歌手に来てもらって、自分が大物の演歌歌手として演じてやることで了解して貰ってやっている。だから大物演歌歌手も全員“ちゃん”付けで呼んでいる。自分の大物演歌歌手のプロファイルは、生まれは福井県。家は豆腐屋。北陸のひばりと呼ばれている。芸歴50年との設定。
2曲目は水谷千恵子の時のゲストに出て貰った時の歌。聴くと涙がこぼれる曲。「木蘭の涙」
自分の葬儀の時に流して欲しいと思っている。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35032
こぶくろ 「木蘭の涙」
逢いたくて逢いたくて この胸のささやきが
あなたを探している あなたを呼んでいる
いつまでもいつまでも 側にいると言ってた
あなたは嘘つきだね 心は置き去りに
いとしさの花篭 抱えては微笑んだ
あなたを見つめてた 遠い春の日々
やさしさを紡いで 織り上げた恋の羽根
緑の風が吹く 丘によりそって
やがて時はゆき過ぎ 幾度目かの春の日
あなたは眠る様に 空へと旅立った
いつまでもいつまでも 側にいると言ってた
あなたは嘘つきだね わたしを置き去りに
木蘭のつぼみが 開くのを見るたびに
あふれだす涙は 夢のあとさきに
あなたが来たがってた この丘にひとりきり
さよならと言いかけて 何度も振り返る
逢いたくて逢いたくて この胸のささやきが
あなたを探している あなたを呼んでいる
いつまでもいつまでも 側にいると言ってた
あなたは嘘つきだね わたしを置き去りに
恋は?ストレス発散は恋だと雑誌に書いてあったが?面白い人を探して付き合うので喧嘩にならない。他の人を好きにならない男性がよいが、そのために家の中で喜ばすエンターテインメントをする。
感想;
回り道は無駄でないことが、友近さんの経歴を聞いていて思いました。
無駄なことはない。無駄に見えることも人生の宝物になっていることが伝わってきました。
人と比較しない。自分の体験があるから自分らしさが出るのだと思いました。