・嫉妬心を最小限にとどめる三つの方法
1) 嫉妬心の苦しみは根拠のない想像や妄想で起こることを知って、そういう想像をできるだけしないようにしよう。
2) 嫉妬心はあなたの顔を醜く歪めることを考え、嫉妬の時こそ醜くならぬようにしよう。
3) 嫉妬心はコンプレックスからきていることを承知しておくこと。したがって夫や恋人が最終的には自分に戻るという自信があれば、意外と嫉妬は深い傷はつけません。
・知られたら死にたくなる秘密
・正宗白鳥
「どんな人間にもそれを他人に知られるくらいなら死んだほうがマシだという心の秘密があるものだ」
・一つの顔だけ、一つのチャンネルだけを持って生きているのではあるまい。私のように三つも四つも顔を所有している人間もいる。遠藤周作/狐狸庵/作家/劇団「樹座」座長等
・道徳的に「罪」というものを犯しても、その心の奥には「現在の人生が私にとって本当の人生でない」という不満と不平がある。
・私は人間には救いと罪とが背中あわせになっていることを宗教文学から学んだが、しかしこの本を書いている途中で、ある機会から罪とはまった次元を異にした「激情」が我々の心の奥底にあることを読者の一人によって教えられた。
・フランスのマルセル・ブルートス(作家)
「安定は情熱を殺し、不安は情熱を高める」
・作品「沈黙」は文壇的には評判はよかったが、私もその一人であるカトリック教会ではスキャンダルな作品と見る信者や神父は多かった。教会のミサではあの本を読んではいけないと信者に言う神父もいたし、尊敬していた仏蘭西人の神父から電話で叱責をうけた時はさすがにこたえた。こたえたが私は自分のあくまで信ずることに踏みきった。
・現実にその老年に近づいているのに、私はチャールストンを習い、ポルカの練習をしようとしている。ダンスだけではなくこの月には仲間とボウリング大会をやり、更に習い事としパステル画、俳画、茶、碁が月にそれぞれ三回はある。樹座の部隊が近くなれば、若い連中と歌わねばならない。
・むかし私は神というものがあるなら神は私たち人間になぜ苦しみを与えたのだろうかとよく考えた。しかしこの年齢になって、私は生活のなかに「しーん」(「人生の時間」)として人生の時ををもたらすのは幸福や悦びより苦悩のほうが多いことに気がついたようである。
我々が幸せな時には、自分の幸せに酔っていて、他の存在を忘れがちである。
しかしむかし病気をして苦しかった時、私はベッドから窓の外に見える一本の橡の木と話したものだ。その話は私が死んでも彼が生き残るだろうとわかった時からはじまった。その頃は樹も鳥も私に話しかけてくれた。私たちの間には幸せだった時にはない交流が成立していた。しかし病気が恢復してみると会話は少しずつ消えていった。私は自分以外のこれらの存在を忘れがちになっていたのだ。
日常生活のなかに「しーん」とした人生を挿入するのは苦しみである。そういう苦しみを多少でも持っている人間には、その多少に応じて、他の「しーん」としたもの、絵でも踊りでも音楽でもわかるのだろう。なぜならそれらは我々を酔わせるものではなく、ふたたび心を覚醒させるものなのだから。
・本当に心の底から愛しあった者が再会できない筈はないだろう。だから私は夫や子供をなくして悲嘆にくれている遺族に「いつか、会えるんですから」と言うことにしているのだが、それはその人たちへと同時に自分に言いきかせているようである。
・筑波大でのアンケート「あなたはお母さんをどう思いますか」の結果
1) 母は私のために苦労してくれた。
2) しかし自分は母にそれを報いてやれなかった。それが自分の悔いになっている。
3) 母は死んだあと、ますます美化されている。そして母にたいして一種の宗教的感情に似たものさえ持っている。
このアンケート回答を読んだ時、私は激しい衝撃をうけたように驚いた。なぜならそこには、人にはあまり公言しなかった、私個人のひそかに母への感情がそっくりその儘に書かれていたからである。(そうか、自分一人ではなかったのか)
母から「あなたは今は成績は悪いけれど、大器晩成なのよ」と言ってくれた。
(「芥川賞」受賞した時はすでに母がなくなっていた)
・わからずやの人間教育法
1) 私は教育とは親の人生観、幸福感なしには成立しないと思っています。
2) 自分のコンプレックスを子供に押しつけるな。
3) 子供のことが一番わかるのは親であって学校の先生ではない。
4) 食事の仕方の下品な子にするな。
5) けなすより、ほめろ。
6) 我が子のどんなマイナスにもプラスがあります。我が子のマイナスのなかにプラスをどう見つけるかが親の眼力です。
7) 好きこそものの上手なれ、という諺をわが子に適用せよ。
・シュタイナーは人生を三つにわけて、若い時は肉体の季節、中年は心の季節、そして老年は霊の季節だと言っている。
・こんなアンケートをしてみたい(五つ)
1) あなたは今の生活、今の人生にまったく満足していますか。それとも自分ではわけのわからぬ不満が心のどこかに滞っていますか。
2) あなたは今の自分の生活が本当の幸福であり、本当の生活だと思っていますか。それとも本当の幸福や生活はどこかにあって、それをあなたはまだつかめていないと思いますか。
3) あなたは今の自分が本当の自分だと思いますか。それとも今の自分はかりの自分で、本当の自分は別にあるとお考えですか。
4) あなたは死がこわいですか。
5) 死のあとは虚無だとお考えになりますか。それとも死のあとは別の(あるいは次元のちがう)世界が存在していると思いますか。
・キューブラー・ロス女史が日本で行った講演は短いながらも彼女の深い洞察を示した内容を持っている。私は大変、感銘をうけた。
女史は医者たちが死んだと思われて息を吹きかえした人々から話をきき、その体験は次のようなものだったと話しています。
(1)体と心とが分離する。
(2)分離したあとの意識はどこにでも自由に行ける。
(3)先に亡くなった愛した人に会える。
「その再会がすむと、人間では操作できない領域に入っていきます」
(4)光を見る。
以上の四つのプロセスがロス女史による臨死体験なのである。
感想;
「ひとりを愛し続ける」ということは、自分を知ることであり、自分が生きることが前提にあるように思いました。
遠藤周作氏の人生に対する生き方の本でもあるように思いました。
1) 嫉妬心の苦しみは根拠のない想像や妄想で起こることを知って、そういう想像をできるだけしないようにしよう。
2) 嫉妬心はあなたの顔を醜く歪めることを考え、嫉妬の時こそ醜くならぬようにしよう。
3) 嫉妬心はコンプレックスからきていることを承知しておくこと。したがって夫や恋人が最終的には自分に戻るという自信があれば、意外と嫉妬は深い傷はつけません。
・知られたら死にたくなる秘密
・正宗白鳥
「どんな人間にもそれを他人に知られるくらいなら死んだほうがマシだという心の秘密があるものだ」
・一つの顔だけ、一つのチャンネルだけを持って生きているのではあるまい。私のように三つも四つも顔を所有している人間もいる。遠藤周作/狐狸庵/作家/劇団「樹座」座長等
・道徳的に「罪」というものを犯しても、その心の奥には「現在の人生が私にとって本当の人生でない」という不満と不平がある。
・私は人間には救いと罪とが背中あわせになっていることを宗教文学から学んだが、しかしこの本を書いている途中で、ある機会から罪とはまった次元を異にした「激情」が我々の心の奥底にあることを読者の一人によって教えられた。
・フランスのマルセル・ブルートス(作家)
「安定は情熱を殺し、不安は情熱を高める」
・作品「沈黙」は文壇的には評判はよかったが、私もその一人であるカトリック教会ではスキャンダルな作品と見る信者や神父は多かった。教会のミサではあの本を読んではいけないと信者に言う神父もいたし、尊敬していた仏蘭西人の神父から電話で叱責をうけた時はさすがにこたえた。こたえたが私は自分のあくまで信ずることに踏みきった。
・現実にその老年に近づいているのに、私はチャールストンを習い、ポルカの練習をしようとしている。ダンスだけではなくこの月には仲間とボウリング大会をやり、更に習い事としパステル画、俳画、茶、碁が月にそれぞれ三回はある。樹座の部隊が近くなれば、若い連中と歌わねばならない。
・むかし私は神というものがあるなら神は私たち人間になぜ苦しみを与えたのだろうかとよく考えた。しかしこの年齢になって、私は生活のなかに「しーん」(「人生の時間」)として人生の時ををもたらすのは幸福や悦びより苦悩のほうが多いことに気がついたようである。
我々が幸せな時には、自分の幸せに酔っていて、他の存在を忘れがちである。
しかしむかし病気をして苦しかった時、私はベッドから窓の外に見える一本の橡の木と話したものだ。その話は私が死んでも彼が生き残るだろうとわかった時からはじまった。その頃は樹も鳥も私に話しかけてくれた。私たちの間には幸せだった時にはない交流が成立していた。しかし病気が恢復してみると会話は少しずつ消えていった。私は自分以外のこれらの存在を忘れがちになっていたのだ。
日常生活のなかに「しーん」とした人生を挿入するのは苦しみである。そういう苦しみを多少でも持っている人間には、その多少に応じて、他の「しーん」としたもの、絵でも踊りでも音楽でもわかるのだろう。なぜならそれらは我々を酔わせるものではなく、ふたたび心を覚醒させるものなのだから。
・本当に心の底から愛しあった者が再会できない筈はないだろう。だから私は夫や子供をなくして悲嘆にくれている遺族に「いつか、会えるんですから」と言うことにしているのだが、それはその人たちへと同時に自分に言いきかせているようである。
・筑波大でのアンケート「あなたはお母さんをどう思いますか」の結果
1) 母は私のために苦労してくれた。
2) しかし自分は母にそれを報いてやれなかった。それが自分の悔いになっている。
3) 母は死んだあと、ますます美化されている。そして母にたいして一種の宗教的感情に似たものさえ持っている。
このアンケート回答を読んだ時、私は激しい衝撃をうけたように驚いた。なぜならそこには、人にはあまり公言しなかった、私個人のひそかに母への感情がそっくりその儘に書かれていたからである。(そうか、自分一人ではなかったのか)
母から「あなたは今は成績は悪いけれど、大器晩成なのよ」と言ってくれた。
(「芥川賞」受賞した時はすでに母がなくなっていた)
・わからずやの人間教育法
1) 私は教育とは親の人生観、幸福感なしには成立しないと思っています。
2) 自分のコンプレックスを子供に押しつけるな。
3) 子供のことが一番わかるのは親であって学校の先生ではない。
4) 食事の仕方の下品な子にするな。
5) けなすより、ほめろ。
6) 我が子のどんなマイナスにもプラスがあります。我が子のマイナスのなかにプラスをどう見つけるかが親の眼力です。
7) 好きこそものの上手なれ、という諺をわが子に適用せよ。
・シュタイナーは人生を三つにわけて、若い時は肉体の季節、中年は心の季節、そして老年は霊の季節だと言っている。
・こんなアンケートをしてみたい(五つ)
1) あなたは今の生活、今の人生にまったく満足していますか。それとも自分ではわけのわからぬ不満が心のどこかに滞っていますか。
2) あなたは今の自分の生活が本当の幸福であり、本当の生活だと思っていますか。それとも本当の幸福や生活はどこかにあって、それをあなたはまだつかめていないと思いますか。
3) あなたは今の自分が本当の自分だと思いますか。それとも今の自分はかりの自分で、本当の自分は別にあるとお考えですか。
4) あなたは死がこわいですか。
5) 死のあとは虚無だとお考えになりますか。それとも死のあとは別の(あるいは次元のちがう)世界が存在していると思いますか。
・キューブラー・ロス女史が日本で行った講演は短いながらも彼女の深い洞察を示した内容を持っている。私は大変、感銘をうけた。
女史は医者たちが死んだと思われて息を吹きかえした人々から話をきき、その体験は次のようなものだったと話しています。
(1)体と心とが分離する。
(2)分離したあとの意識はどこにでも自由に行ける。
(3)先に亡くなった愛した人に会える。
「その再会がすむと、人間では操作できない領域に入っていきます」
(4)光を見る。
以上の四つのプロセスがロス女史による臨死体験なのである。
感想;
「ひとりを愛し続ける」ということは、自分を知ることであり、自分が生きることが前提にあるように思いました。
遠藤周作氏の人生に対する生き方の本でもあるように思いました。