1968年生まれ。1961年デビュー。ドラマにも多数出演。CM契約4本。
ドラマ「私の家政婦ナギサさん」出演。
キャイ~ンが先に売れて、食べさせてもらったりした。
21歳飛び込みで事務所「浅井企画」に行った。
バレーで、ハイ、ハイと返事することに鍛えられていた。
事務所の面接でハイ、ハイと言ってら、「お前返事が良いから」と採用された。
1曲目は渥美清さんの「男はつらいよ」
胸に沁みますね。
両親は公務員。夕方6時半には一家団欒。母親はママさんバレー。ブルーマー履いて料理作っていた。。ユニフォームにカレーの匂いが付いて、バレー仲間から「今晩カレーね」と言われていた。
妹と弟がいる。祖父母にとって私は初孫。祖父母から髪切っただけで「ハンサムだ」「すごいね歩くの上手だね」と言われた。泣けばすべて思い通りになった。わざと泣くことを覚えていた。
妹と弟ができてから「かずきは元気だ」としか言わなくなった。4歳の時デパートで買って欲しくて泣いていたら親父がそのまま家に帰って放り出された。その後、母親が迎えに来てくれたが、それ以来泣いても上手く行かないと思った。
野球が好きで将来プロ野球のヤクルトから、3位、4位で指名を受けると思った。
パセリやピクルスのような存在でいたいと思った。
家ではバラエティーを見ていた。タモリさんや、とんねるずさんも見ていた。
家族ですごく盛り上がっていたときに、「進学止めようと思っている。お笑い芸人になろうと思っている」と言ったら、母親が、「かずき~、無理でしょう!」と。親父が「好きなことやってよいんではないか」。そうしたら母親が「パパ~」と言っていた。
新ネタをサワコが要望。
眼鏡をはずしているとわからない。
”ずん”を結成した。空き家だった母の実家で芸人仲間で暮らしていたら、二人だけが残った。
二人のコンビをリンスとリンスと言われた。リンス同士だと泡立たない(笑いを取れない)だおろうと。
関根勤さんから「あせらずじっくりやれ」と言われた。
さんまさんからダメ出し。8人がネタやりそれぞれ5か所ダメ出し。それを覚えている。アドバイスがシンプルで的確だった。そのアドバイスで受けてやると受けた。
たまたま”いいとも”プロヂューサーが、関根さんとのやり取りが面白いとのことで、32歳で出るようになった。皆さん人気になってから出ているのに、知られてないのに出演した。
自分が信じている笑いしかできなかった。タモリさんが「受けているものを追いかけない。そうすれば時代が自分に合ってくることがある」
11年間交際してフラれた女性とテレビで再開して結婚した。
彼女は3回くらい結婚したいと思ってたけど、結婚する気があなたにないから仕事に切り替えたとのことだった。
失恋したら長距離を歩いて心の整理をした。三泊四日歩いて帰った。
別れてから1年後にとんねるずさんの番組を実家で撮影した。「別れている女性がいるだろう」と、突然彼女が出てきた。
両親には別れたとは言っていなかった。
両親の前で「結婚してください」と言ったら「はい」と彼女は言ってくれた。
母親は喜んでくれた。別れたときは母は「かずき~」。
彼女の結婚生活は「疲れたな」というと、「寝ろ!」 まるで警察権の訓練みたいです。
2曲目マイケル・ジャクソン「We Are The World」
好きですね。すごいメンバー。
若い頃ウケなかったのが今ウケるのは?
わからないですね。ずっと続けていたので根負けしたのでしょうかね。
感想;
普段の話し方自体が、笑いになっているようです。
そしていつもニコニコとされています。
見ていて気持ちがよいです。
先輩の教えは流石と思いました。
ドラマ「私の家政婦ナギサさん」出演。
キャイ~ンが先に売れて、食べさせてもらったりした。
21歳飛び込みで事務所「浅井企画」に行った。
バレーで、ハイ、ハイと返事することに鍛えられていた。
事務所の面接でハイ、ハイと言ってら、「お前返事が良いから」と採用された。
1曲目は渥美清さんの「男はつらいよ」
胸に沁みますね。
両親は公務員。夕方6時半には一家団欒。母親はママさんバレー。ブルーマー履いて料理作っていた。。ユニフォームにカレーの匂いが付いて、バレー仲間から「今晩カレーね」と言われていた。
妹と弟がいる。祖父母にとって私は初孫。祖父母から髪切っただけで「ハンサムだ」「すごいね歩くの上手だね」と言われた。泣けばすべて思い通りになった。わざと泣くことを覚えていた。
妹と弟ができてから「かずきは元気だ」としか言わなくなった。4歳の時デパートで買って欲しくて泣いていたら親父がそのまま家に帰って放り出された。その後、母親が迎えに来てくれたが、それ以来泣いても上手く行かないと思った。
野球が好きで将来プロ野球のヤクルトから、3位、4位で指名を受けると思った。
パセリやピクルスのような存在でいたいと思った。
家ではバラエティーを見ていた。タモリさんや、とんねるずさんも見ていた。
家族ですごく盛り上がっていたときに、「進学止めようと思っている。お笑い芸人になろうと思っている」と言ったら、母親が、「かずき~、無理でしょう!」と。親父が「好きなことやってよいんではないか」。そうしたら母親が「パパ~」と言っていた。
新ネタをサワコが要望。
眼鏡をはずしているとわからない。
”ずん”を結成した。空き家だった母の実家で芸人仲間で暮らしていたら、二人だけが残った。
二人のコンビをリンスとリンスと言われた。リンス同士だと泡立たない(笑いを取れない)だおろうと。
関根勤さんから「あせらずじっくりやれ」と言われた。
さんまさんからダメ出し。8人がネタやりそれぞれ5か所ダメ出し。それを覚えている。アドバイスがシンプルで的確だった。そのアドバイスで受けてやると受けた。
たまたま”いいとも”プロヂューサーが、関根さんとのやり取りが面白いとのことで、32歳で出るようになった。皆さん人気になってから出ているのに、知られてないのに出演した。
自分が信じている笑いしかできなかった。タモリさんが「受けているものを追いかけない。そうすれば時代が自分に合ってくることがある」
11年間交際してフラれた女性とテレビで再開して結婚した。
彼女は3回くらい結婚したいと思ってたけど、結婚する気があなたにないから仕事に切り替えたとのことだった。
失恋したら長距離を歩いて心の整理をした。三泊四日歩いて帰った。
別れてから1年後にとんねるずさんの番組を実家で撮影した。「別れている女性がいるだろう」と、突然彼女が出てきた。
両親には別れたとは言っていなかった。
両親の前で「結婚してください」と言ったら「はい」と彼女は言ってくれた。
母親は喜んでくれた。別れたときは母は「かずき~」。
彼女の結婚生活は「疲れたな」というと、「寝ろ!」 まるで警察権の訓練みたいです。
2曲目マイケル・ジャクソン「We Are The World」
好きですね。すごいメンバー。
若い頃ウケなかったのが今ウケるのは?
わからないですね。ずっと続けていたので根負けしたのでしょうかね。
感想;
普段の話し方自体が、笑いになっているようです。
そしていつもニコニコとされています。
見ていて気持ちがよいです。
先輩の教えは流石と思いました。