幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書」東畑開人著 ”まずは居るだけでも十分!”

2021-03-14 00:14:44 | 本の紹介
・ハカセの骨太の方針
1) カウンセリングがメインの業務
2) 家族を養えるだけの給料
3) 地域は選ばない
(著者は京大の博士課程5年を修了し博士号を取得)
就職活動を始めてみると、まったく仕事がなかったからだ。
求人の大多数が「非常勤」の募集で、時給は1,500円あればいいいほうで、1,000円前後のものも多くあった。たまに常勤の募集があっても月収が20万円に届かないものがほとんどだった。
僕は当時すでに結婚していて、子どもまでいた。
精神科クリニック 常勤臨床心理士募集
 月給25万円、賞与6か月、沖縄
 業務内容;カウンセリング7割、デイケア2割、他雑務あり。

・サラリーマン心理士の最初の仕事は、「とりあえず座っている」ことだった。
みんなな二かしら働いていえ、「する」ことがあるのに、僕はただ、「いる」だけ。
いかん! このままただ座っていたら、おかしくなってしまう。

・「先生はどこの高校に行っていたの?」
「どこだと思いますか?」カウンセラーの必殺技で、個人情報を聴かれたら質問で返す。

・看護師は何かが起きたときに、まず動く。だけど、そういうときに、心理士は二呼吸遅れてしまう。「何が起きているのだろう」と考え、それから「どうしたらいいのだろう」と考えてしまうからだ。

・「おれは流罪にあっているのではあるまいか。博士号を取って、ハイエースで送迎をやっている臨床心理士なんて、日本中を探してもおれだけに違いない!」菅原道真のことを思い出す。そうか、流罪にあうとこんな気持ちになるのか、とシンパシーを感じる。

・メンバーさんと一緒に調理をし、皿洗いをする。掃除機をかけ、机や椅子を雑巾で拭く。どこかに出かけるならば、飲み物を準備し、必要なものをハイエースに運び込む。人数確認したら、運転する。メンバーさんと話をする。そして、デイケアで座っている。
仕事の9割が、まるで「お母さん」がやっているような素人仕事なのだ。

・メリメリメリメリメリメリ!と異常な音がする。
振り返る。リアガラス全面に大きなヒビが入っている。何かに衝突している。
「死んだかもしれない!」ヤスオさんが叫ぶ。
事故った。駐車エリアに飛び出していた丸太に向かって、バックで突っ込んだのだ。

・「人はなぜ物語を求めるのか」千野帽子著
物語というものの基本構造を「(平衡状態⇒)非常事態⇒あらゆる平衡状態」だと言っています。

・デイケアは退屈なのだ。本質的に、宿命的に退屈だ、逆にいえば、退屈はデイケアがデイケアであるために不可欠なことなのだと思う。退屈のないデイケアはデイケアではない。

・精神分析家のフェダーン(手を握ることで有名な看護師シュヴィングと一緒に統合失調症の治療をしていた人だ)は「自我境界」という概念を提唱している。それは自分と外界、あるいは自分と他者、そして自分の意識と無意識のあいだにつくられる境界膜のことだ。
自然境界って、じつは超大事なものだ。自我境界がきちんとしているから、自分の考えと人の考えを混濁しない。現実と空想を混濁しない。

・中井久夫は「統合失調症の人なら「退屈」したらだいぶ治ってきたといえる」と言っていたけど、退屈とは身を守る円が閉じたことを示す偉大な達成だ。

・「遊びの精神分析」を打ち立てたウィニコットは次のように言っている。
精神療法は二つの遊ぶことの領域、つまり、患者の領域と治療者の領域が重なり合うことで成立する。精神療法は一緒に遊んでいる二人に関係するものである。以上のことの当然の帰結として、遊ぶことが起こり得ない場合に、治療者のなすべき作業は、患者を遊べない状態から遊べる状態へ導くように努力することである。

・デイケアのプログラムに遊びが多いのは、決してただ暇つぶしをしているということではないのだ。それがデイケアの治療的仕掛けなのだ。

・社会的心理学者のリースマンが「援助者療法原理」という理論を語っている。簡単に言ってしまうと、誰かを助けることが、自分の助けになるということだ。

・パッチ・アダムス。ピエロの格好をして、患者を笑わせる医療を実践した精神科医だ。彼はもともと自殺企図のあるうつ病患者だったのだけど、精神科病院に入院しているときにほかの患者を笑わせ元気づけたことが回復のきっかけになる。だからパッチは医学部に入り直し、精神科医になって、患者を笑わせ、癒す、そして、そのことで自分もまた癒され続ける。

・哲学者の國分巧一郎氏は能動態でも受動態でもない「中動態」と呼んでいる。
能動態は自分の外側にあるものに作用を加える。「ソフトボールを投げる」といったら、僕の力はボールに加わる、僕が何かに働きかける。それが能動態だ。だけど中動態では、作用は僕の内側で働く。「生まれる」と言ったらら、作用の元も作用の対象も僕自身だ。内側で生じて、内側で作用する。それが中動態だ。

・ケアとは傷つけないことである
 ケアとはそのときどきのニーズに応えることである
 ケアとはやってあげる/支えることである

・セラピーとは傷つきに向き合うことである。
 セラピーとはニーズを変更することが目指される
 せらぴーとはやらせる/介入することである。

・「この地獄を生きるのだ」小林エリコ著

感想
姪が国立の大学院の心理学を修了し、臨床心理士の資格を取得ましたが、仕事はいくつかの非常勤の掛け持ちでした。
大学院修士まで行ってもななかな正規な常勤の仕事がないのだなと思いました。
著者も同じだったようです。

”仕事の9割が、まるで「お母さん」がやっているような素人仕事なのだ。”
著者は博士号まで取得かつ臨床心理士の資格を取ったので、それを生かした仕事をしたかったのでしょう。でもちょっと、お母さん仕事を軽く見ておられたようです。
クリニックのデイケアでのそういう仕事がベースになっています。
それを頭で知るのではなく、身体で体験することに意味があると思います。
私も大学院修士いて、かつ研究室に職員で1年いた後、製薬企業の製造所の検査部で試験を担当しました。試験に役立ったのは高校時代に学んだ化学でした。大学7年での学を生かす場はありませんでした。しかし、実際に試験したことでそれがその後とても役立ちました。
そういう仕事を体験することがいかに大切かだと思います。
結構大変です。

4年沖縄の精神科クリニックで仕事をして、疲れ果てて、恩師に頼んで新しい就職口を見つけてもらい転職されました。お給料は減りましたがセラピーが続けられたそうです。

就職に向いている学部学科があるようです。
それよりも就職に困らない資格が得られる学部学科を卒業する方が就職には良いようです。
でも、やはりやりたいことをしたいと思います。
やりたい人が多い仕事はお給料がどうしても少なく抑えられているようです。

ケアとセラピー、精神疾患は人を扱うので、切り離せられないものなのでしょう。
自分の心と身体のケアとセラピー(セルフカウンセリング)に参考にしたいです。

最後に、25万円と条件が良かったのは、離職率が高かったというからくりがあったそうです。