初めて会ったのは紅白歌合戦の審査員で。私が(サワコ)が舞台から落ちそうになったら、米倉さんが後ろから抱き着いて守ってくれた。なんてステキな人だと思った。
1975年生まれ。視聴率女王。最後の朝
個人事務所。去年4月。タレントは私だけ。17歳からモデルで。「Drsafio(事務所名)」、スペイン語で挑戦するとの意味。これまで楽ちんさせてもらっていた。同じレールに乗っていることが負担。期待を裏切るのが怖くなった。事務所の仕事も自分でしている。今増えて3人になった。
全部失敗したくない。お給料の計算がどういったのが普通なのかもわからない。
福利厚生をいくら持たないといけないといけないのかなど。
記憶に残っている1曲目 プリンセス プリンセス「M」
中学生の時から好きな曲。幼少期からバレーをずっとやっていた。
谷桃子さんにも師事した。
大人になったらこんな風に思うのかなと思っていた。
父はホテルマン。母も元々はホテルマンで専業主婦。
バレーを続けてたので、家計は大変だったかと。
22歳までバレリーナを目指していた。CMのモデルをしたら全国をツアーで回ることになり、バレーのお稽古にいけなくなった。稽古場にいていいんだろうかと思うようになった。
23歳で女優宣言をした。
自分に陰の部分が多いと思っていた。どちらかというと根暗。
背は小さいときから大きかった。
私は小さくていつも一番前(サワコ)。それで先生に言ったら、アイウエオ順にしてくれた。
でもアガワで一番前。
私は背だと一番後ろ、アイウエオ順だと米倉なので「渡辺」さんがいない限り並ぶと一番最後。いつも余っている感じ。
バレーでもそう。前にいくというのができなかった。
後ろから2番目くらい。
「自信がない」。
誰も信じていない(サワコ)。
24歳くらいの時に、思ったことを口にするんだと決めた。
そうしないと主役も取れない。
ミュージカル「CHICAGO」の主演。
この舞台に立ちたいと。(思い出しながら涙目に)
あこがれのミュージカルに立ち会えることが幸せ。
そのレッスンが辛かった。演出家などすべて海外から。
「だれかの真似をしないで」。しごかれた。
大変だったけど、よい思い出。
バレーやっていたから。努力しないと身に付かないとわかっていたから。
本場ブロードウエイに出たいと思った。
冷たく思う人もいたし、温かい日ともいた。
言ったら、心を開いてくれる人もいた。
一週間の公演。
2012年7月。当時36歳。日本人が主役を務めるのは54年ぶりの快挙。
2012年、2017年、2019年と三度も。
わーと出た後は記憶がない。
頑張れて良かったとならなかったので続けておられる。
初めては後悔だけだったので、再度やろうと思った。
台詞を忘れないように、ずっと聞いていた。
自分の声や下手な歌を聞くのは嫌だった。
でも友達が増えた。嬉しい。
やっぱり「自信がない」
学校にもう一度通い直した方がいいのかも。
小さいときから「ダメだ!」と鍛えられたから。
陰口で「よくあそこに立っているね」とか言われているかも。
70%の人は私のこと嫌いではないだろうか。
スカッとはしている。
おじさんから可愛がられているのでは?
岸部一徳、西田敏行さんからも可愛がられていると思う。
西田さんとはLINEをよくやっている。
手術シーン大変。上手いと言われているが?
練習している。
最初は本当に医者だった。
代わっていたが、自分でやった方がよいので。
2曲目 CHICAGOより「All That Jazz」
私が歌っている歌ではないが。
アベンチャーズ映画「ブラック・ウィドウ」の吹き替えやっている。
「9年半やってきた。私の力不足もあったかと。全てのスタッフに感謝します。私も年を取りました。『徹子の部屋』に負けました。泣かないよ」
感想;
サワコの朝が終わったのがとても残念です。
Panasonicの単独スポンサーでした。
Panasonicの社長が変わったからとか。
サワコさんより、綾瀬はるかさんに絞られたのか。
とかいろいろ言われていますが・・・。涙
他にスポンサーに名乗りする企業はなかったのかな?
いろいろな方のこれまでの人生を知るのはとても楽しみでした。
また、教えられることも多かったです。
阿川佐和子さん「サワコの朝」(視聴メモ&感想)
1975年生まれ。視聴率女王。最後の朝
個人事務所。去年4月。タレントは私だけ。17歳からモデルで。「Drsafio(事務所名)」、スペイン語で挑戦するとの意味。これまで楽ちんさせてもらっていた。同じレールに乗っていることが負担。期待を裏切るのが怖くなった。事務所の仕事も自分でしている。今増えて3人になった。
全部失敗したくない。お給料の計算がどういったのが普通なのかもわからない。
福利厚生をいくら持たないといけないといけないのかなど。
記憶に残っている1曲目 プリンセス プリンセス「M」
中学生の時から好きな曲。幼少期からバレーをずっとやっていた。
谷桃子さんにも師事した。
大人になったらこんな風に思うのかなと思っていた。
父はホテルマン。母も元々はホテルマンで専業主婦。
バレーを続けてたので、家計は大変だったかと。
22歳までバレリーナを目指していた。CMのモデルをしたら全国をツアーで回ることになり、バレーのお稽古にいけなくなった。稽古場にいていいんだろうかと思うようになった。
23歳で女優宣言をした。
自分に陰の部分が多いと思っていた。どちらかというと根暗。
背は小さいときから大きかった。
私は小さくていつも一番前(サワコ)。それで先生に言ったら、アイウエオ順にしてくれた。
でもアガワで一番前。
私は背だと一番後ろ、アイウエオ順だと米倉なので「渡辺」さんがいない限り並ぶと一番最後。いつも余っている感じ。
バレーでもそう。前にいくというのができなかった。
後ろから2番目くらい。
「自信がない」。
誰も信じていない(サワコ)。
24歳くらいの時に、思ったことを口にするんだと決めた。
そうしないと主役も取れない。
ミュージカル「CHICAGO」の主演。
この舞台に立ちたいと。(思い出しながら涙目に)
あこがれのミュージカルに立ち会えることが幸せ。
そのレッスンが辛かった。演出家などすべて海外から。
「だれかの真似をしないで」。しごかれた。
大変だったけど、よい思い出。
バレーやっていたから。努力しないと身に付かないとわかっていたから。
本場ブロードウエイに出たいと思った。
冷たく思う人もいたし、温かい日ともいた。
言ったら、心を開いてくれる人もいた。
一週間の公演。
2012年7月。当時36歳。日本人が主役を務めるのは54年ぶりの快挙。
2012年、2017年、2019年と三度も。
わーと出た後は記憶がない。
頑張れて良かったとならなかったので続けておられる。
初めては後悔だけだったので、再度やろうと思った。
台詞を忘れないように、ずっと聞いていた。
自分の声や下手な歌を聞くのは嫌だった。
でも友達が増えた。嬉しい。
やっぱり「自信がない」
学校にもう一度通い直した方がいいのかも。
小さいときから「ダメだ!」と鍛えられたから。
陰口で「よくあそこに立っているね」とか言われているかも。
70%の人は私のこと嫌いではないだろうか。
スカッとはしている。
おじさんから可愛がられているのでは?
岸部一徳、西田敏行さんからも可愛がられていると思う。
西田さんとはLINEをよくやっている。
手術シーン大変。上手いと言われているが?
練習している。
最初は本当に医者だった。
代わっていたが、自分でやった方がよいので。
2曲目 CHICAGOより「All That Jazz」
私が歌っている歌ではないが。
アベンチャーズ映画「ブラック・ウィドウ」の吹き替えやっている。
「9年半やってきた。私の力不足もあったかと。全てのスタッフに感謝します。私も年を取りました。『徹子の部屋』に負けました。泣かないよ」
感想;
サワコの朝が終わったのがとても残念です。
Panasonicの単独スポンサーでした。
Panasonicの社長が変わったからとか。
サワコさんより、綾瀬はるかさんに絞られたのか。
とかいろいろ言われていますが・・・。涙
他にスポンサーに名乗りする企業はなかったのかな?
いろいろな方のこれまでの人生を知るのはとても楽しみでした。
また、教えられることも多かったです。
阿川佐和子さん「サワコの朝」(視聴メモ&感想)