・「人は物を作ることによって何者かになる」という意味です。
・この本で読者に身に付けてもらいたいことは、「一日一発見」や「二元性一元論」や「三性の理」や「念・忘・解」などだけれど、一言で言えば「智慧の目で物事を見ること」かもしれないな。
・「おにぎり」は一度食べてしまえばそれで終わりでしょ? でも「柿の種」は、まけば育ち、やがて実がなります。ゆくゆく何年もおなかを満たすことができます。
・「為楽」(楽しみと為す)/寂滅為楽(じゃくめついらく)
・「大多数の工学者と森先生を決定的に分けるのは、工学者としての早い段階から、異分野の方々と仕事をされたことだと思います」
・100の約数は「1,2,4,5,10,20,25,50,100」の9個です。
96の約数は「1,2,3,4,6,8,12,16,24,32,48,96」と12個あります。
・「森先生の授業でいまでも覚えているのが、名鉄の社員の話なんです。ある時、名鉄が経営している喫茶店の売り上げを上げるように命令を受けた時に、その社員が何をやったかというと、ペンチ一本を持って店のエアコンの吹き出し口の風の向きを変えたというんです。どうやったか。エアコンの吹き出し口を出入り口の方向に向けたんです。そうすると、喫茶店の外を歩いている人は、誘わなくても、ひとりでに涼しい風が来るから喫茶店の中に入る。中に入ると涼しくないから長居をせずに短時間で出て行く。当然、客の開店がよくなって、売り上げがあがった」
・「仏教経典の『大智度論』の中に、命がけで精進する雉の話があるんです。山火事が起きた時、その雉は、疲れも苦にせず、何度も水中に飛び込んでその羽毛をぬらしては、火の上に飛んでいって羽ばたき、水滴をかけて消そうと懸命になっていました。もちろん山火事のような大火が、小鳥が振りかける滴で消えるわけがありません。その時、帝釈天が来て、雉に「その程度のことで家事は消えないではないか」と問いかけました。しかし雉は「私はこの森を、その中の生き物たちの世話になってきたので、死ぬまでこれをやり続けます」と答えたところ、その命がけに感動した浄居天が火を消してくださり、その後、その森から火災が出ることはなかった、という話です」
・「退歩返照」 自己を深く省察し、真実の自己に立ち返ること
・意識と無意識の調和が本物の創造を生む
・「三性の理」
使い方によって、善になったり悪になったりするのであって、物そのものには善も悪もない、すなわち「無記」であるという“ものの見方”。
・大学の講義での湯川秀樹博士の口ぐせである。
「そうかもしれん。そうでないかもしれん、ようわからん」
ああでもない、こうでもない、と思いを巡らすプロセスこそが重要であることを湯川博士は学生に伝えたかったのだろう。
・「教師の四タイプ」(ウィリアム・アーサー・ワード)
凡庸な教師はただしゃべる
よい教師は説明する
優れた教師は自らやってみせる
そして、偉大な教師は心に火を点ける
・「能捨(のうしゃ)」
研究などで一歩先に進みたかったら何かを捨てなければならない。
・「最小不満足」
9案をA案からI案としましょう。参加者がそれぞれプラス5点とマイナス5点を持って、一つ一つの案に持ち点を投じるのです。この方法でやると、参加者の誰もが「まあこれでいいね」と思うことに落ちつくのです。
・「唯識」
・意見を聞く時ゃ頭を下げな、下げりゃ意見が上を越す(聞き流したいとき)
・「あのね生田君、言葉というのは『言の葉』だからね。葉っぱなんだ。葉っぱだから飛んでいくんだ。気にしなくていいんだよ」(森先生)
・「随所作主」
・そうでありながら、そうでないものになる
・先生でありながら、弟子になる
・在家でありながら、出家する
・「即非の論理」
いわゆる□□を透脱したものこそ本当の□□である
・「不気味の谷」
感想;
新しい発想は、異文化との交流や宗教や哲学などの考え方により生まれてくるのでしょう。
「物作りは者つくり」、なるほどと思いました。
何かやることで学び成長するのでしょう。
数学の問題をああでもない、こうでもないと頭を巡らせて解くことが勉強になったように思います。
大学1年の数学の試験が5問ありました。2時間で解きます。
1問目見てわからない。2問目見てもわからない。5問ともわかりません。
0点だ、必須の単位を落とす! どうしよう?
仕方がないのであれこれ考えていると1問解けました。
そうしたら全部解けました。
成績は”優”でした。
小学校の時に、鶴亀算、出会い残、植木算、水道算、ニュートン算などをああでもないこうでもないと考える勉強をしたのが良かったようです。
・この本で読者に身に付けてもらいたいことは、「一日一発見」や「二元性一元論」や「三性の理」や「念・忘・解」などだけれど、一言で言えば「智慧の目で物事を見ること」かもしれないな。
・「おにぎり」は一度食べてしまえばそれで終わりでしょ? でも「柿の種」は、まけば育ち、やがて実がなります。ゆくゆく何年もおなかを満たすことができます。
・「為楽」(楽しみと為す)/寂滅為楽(じゃくめついらく)
・「大多数の工学者と森先生を決定的に分けるのは、工学者としての早い段階から、異分野の方々と仕事をされたことだと思います」
・100の約数は「1,2,4,5,10,20,25,50,100」の9個です。
96の約数は「1,2,3,4,6,8,12,16,24,32,48,96」と12個あります。
・「森先生の授業でいまでも覚えているのが、名鉄の社員の話なんです。ある時、名鉄が経営している喫茶店の売り上げを上げるように命令を受けた時に、その社員が何をやったかというと、ペンチ一本を持って店のエアコンの吹き出し口の風の向きを変えたというんです。どうやったか。エアコンの吹き出し口を出入り口の方向に向けたんです。そうすると、喫茶店の外を歩いている人は、誘わなくても、ひとりでに涼しい風が来るから喫茶店の中に入る。中に入ると涼しくないから長居をせずに短時間で出て行く。当然、客の開店がよくなって、売り上げがあがった」
・「仏教経典の『大智度論』の中に、命がけで精進する雉の話があるんです。山火事が起きた時、その雉は、疲れも苦にせず、何度も水中に飛び込んでその羽毛をぬらしては、火の上に飛んでいって羽ばたき、水滴をかけて消そうと懸命になっていました。もちろん山火事のような大火が、小鳥が振りかける滴で消えるわけがありません。その時、帝釈天が来て、雉に「その程度のことで家事は消えないではないか」と問いかけました。しかし雉は「私はこの森を、その中の生き物たちの世話になってきたので、死ぬまでこれをやり続けます」と答えたところ、その命がけに感動した浄居天が火を消してくださり、その後、その森から火災が出ることはなかった、という話です」
・「退歩返照」 自己を深く省察し、真実の自己に立ち返ること
・意識と無意識の調和が本物の創造を生む
・「三性の理」
使い方によって、善になったり悪になったりするのであって、物そのものには善も悪もない、すなわち「無記」であるという“ものの見方”。
・大学の講義での湯川秀樹博士の口ぐせである。
「そうかもしれん。そうでないかもしれん、ようわからん」
ああでもない、こうでもない、と思いを巡らすプロセスこそが重要であることを湯川博士は学生に伝えたかったのだろう。
・「教師の四タイプ」(ウィリアム・アーサー・ワード)
凡庸な教師はただしゃべる
よい教師は説明する
優れた教師は自らやってみせる
そして、偉大な教師は心に火を点ける
・「能捨(のうしゃ)」
研究などで一歩先に進みたかったら何かを捨てなければならない。
・「最小不満足」
9案をA案からI案としましょう。参加者がそれぞれプラス5点とマイナス5点を持って、一つ一つの案に持ち点を投じるのです。この方法でやると、参加者の誰もが「まあこれでいいね」と思うことに落ちつくのです。
・「唯識」
・意見を聞く時ゃ頭を下げな、下げりゃ意見が上を越す(聞き流したいとき)
・「あのね生田君、言葉というのは『言の葉』だからね。葉っぱなんだ。葉っぱだから飛んでいくんだ。気にしなくていいんだよ」(森先生)
・「随所作主」
・そうでありながら、そうでないものになる
・先生でありながら、弟子になる
・在家でありながら、出家する
・「即非の論理」
いわゆる□□を透脱したものこそ本当の□□である
・「不気味の谷」
感想;
新しい発想は、異文化との交流や宗教や哲学などの考え方により生まれてくるのでしょう。
「物作りは者つくり」、なるほどと思いました。
何かやることで学び成長するのでしょう。
数学の問題をああでもない、こうでもないと頭を巡らせて解くことが勉強になったように思います。
大学1年の数学の試験が5問ありました。2時間で解きます。
1問目見てわからない。2問目見てもわからない。5問ともわかりません。
0点だ、必須の単位を落とす! どうしよう?
仕方がないのであれこれ考えていると1問解けました。
そうしたら全部解けました。
成績は”優”でした。
小学校の時に、鶴亀算、出会い残、植木算、水道算、ニュートン算などをああでもないこうでもないと考える勉強をしたのが良かったようです。