幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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1回1万円で売春し自殺未遂…どん底の名門・女子校生「ヨーロッパの大学へ進学」奇跡の実話 ”自分の未来のために生きる”

2023-02-23 19:18:18 | 社会
自殺について相談した真菜のSNS上のやりとり(一部加工しています)
家庭での虐待が原因で、3回にわたって児童相談所に一時保護された山岸真菜(仮名)。 なぜ彼女はそのまま施設で保護されることなく、家庭に戻されたのか。

中学1年で最初に一時保護された真菜は、自ら施設を出て家に帰ることを決断した。 家庭での暴力は明らかに度を過ぎていた。だが、12歳の少女にしてみれば、苦労して入学した名門校をたった数ヵ月で辞め、刑務所のような施設で自由を奪われて暮らすことが受け入れがたかったのだ。 自宅に戻った真菜は、自分自身を殴って傷つけたり、自殺を試みたりするようになった。虐待による自己否定感が高まり、生きていくこと自体が嫌になったのだ。建物から飛び降りる寸前までいったこともあれば、市販のヘリウムガスを吸って自殺未遂をしたこともあった。 

「私を買ってくれる相手を探して」 
 中学2年からは、携帯電話をつかって売春をはじめるようになった。ツイッターでハッシュタグを入れて「死にたい」とか「家にいたくない」と書き込むと、それを見た男たちが一斉にダイレクトメールを送ってくる。優しい言葉をかけ、肉体関係を迫ってくるのだ。彼女はそうした男性と1回につき1万円で売春した。 真菜は言う。 「家にいたくなかったんです。でも、中学生だからどうしようもできない。それで私を買ってくれる相手を探して、ホテルに泊まらせてもらったりしました。それ以外でも、なんだかいろんなことが嫌になって休日の昼間とか、放課後とかにやったこともありました」 虐待を受けている少女は、愛情飢餓の中で異性を求めたり、自暴自棄になって自分を傷つけたりすることがある。それが性非行として表れるのだ。 児童相談所による2回目の一時保護は、それから3年後の高校1年の時だった。真夜中に父親から家を追い出され、彼女は夜の街を彷徨った。翌日、行く当てもなく、彼女は追い出された格好のまま学校へ行って事情を話したところ、再び児童相談所に保護されることになったのである。 彼女は一時保護所に2週間いた後、自立支援施設に4ヵ月弱住まわされた。そこは一軒家であり、5人の保護された少女が住んでいたが、1回目と同様に学校に通うことは認められず、送られてくるプリントを解くだけの日々だった。 真菜は言う。 「自立支援施設は外出禁止だったので4ヵ月くらい監禁状態でした。つらかったのは、1日3時間くらい施設の掃除をさせられることですね。午前はほぼすべて掃除で終わっちゃう。その後、学校から送られたプリントで勉強するんですが、自主学習なのでぜんぜんわかりません。なんで私が悪くないのに掃除ばかりさせられ、勉強までついていけなくなっちゃうんだろうって思うとつらかったです」 
 進学校で学んでいた彼女にとって、4ヵ月も授業を受けられず、勉強が遅れることは受け入れがたいことだった。 
 そしてここでもケースワーカーから1回目の保護と同じことを言われる。施設で暮らす代わりに私立校を中退して転校するか、父親のいる家にもどって今の学校に通いつづけるかの二者択一だ。父親の暴力は耐えがたいけど、高校を辞めて不自由な施設で暮らすことは受け入れられなかった。 「家に戻ります」 彼女は再び家に帰ることにした。 3度目の一時保護は、それからわずか半年後だった。この時も同じように父親の不条理な逆鱗に触れ、寝巻のまま家を追い出されたのである。 

寝巻きのまま彷徨い大学生と…… 
 真菜は夜の街を寝巻のまま彷徨い、声をかけてきた大学生の家に泊めてもらった。もちろん、セックスと引き換えである。 翌日、真菜は寝巻のまま高校へ行った。高校の先生は事情を察して児童相談所へ連絡を入れた。 この時は1週間ほど前回と同じ自立支援施設にいたが、結論がわかっていたので、親の怒りが収まるのを待って帰ることにした。もはや保護してもらうこと自体に希望を見いだせなくなっていたのだ。 
 彼女は言う。 「私の意思としては、すぐにでも家から出て、安全なところで暮らしたかったです。親の虐待から逃れられるのなら、多少不便なことも我慢するつもりでした。けど、学校まで辞めることは受け入れられなかった。それは私が何を言っても変わらない児童相談所のルールなんです。なら、保護してもらっても何も変わらない。そんな気持ちになっていたと思います」 真菜が施設から家に帰っても、家族からはまったく見向きもされなかった。誰一人として「お帰り」も「大丈夫?」も言わず、よそよそしい態度を取るだけなのだ。 これは売春をして数日ぶりに家に帰った時も同じだった。親も姉妹も何かあったと察しているはずなのに、絶対にそれについて言及しようとしない。お互いが距離を置き、無関心を装うことが、家族の形をなんとか保つ方法だったのだろう。 そんな真菜に転機が訪れるのは、3度目の一時保護の後だった。クラスの担任の若い女性教師が真菜に対して親身に向き合ってくれたのだ。その教師はこう言った。 「家の問題には介入することはできない。でも、何でも話を聞くし、できることはする。だからいつでも相談してね」 その教師は「今」を語るのではなく、「未来」を語った。真菜と2人きりになって、大学に入って何をしたいか、いかなる未来を切り開きたいか、どんな社会に暮らしたいか……。前を向かせたのである。 真菜は話をしているうちに次第に家のつらい状況でなく、自分の夢について目を向けるようになった。当時彼女が抱いていた夢。それは日本を飛び出し、外国の大学へ行き、国際協力の仕事に就くことだった。 内戦地帯には自分よりはるかに困難な状況にある難民のような子供たちがいる。それに対して何かをしたい。そんな気持ちが芽生えていたのだ。 

「『運』で片付けられる社会が許せない」 
 幸か不幸か、彼女はそれまで売春で稼いだ金を貯め、高校卒業後の自立や留学の資金として用意していた。家から離れ、世界で活躍できるような人間になりたい。そんな未来を見据えた時、真菜の心は楽になったのである。 それから3年後の今、真菜は日本を離れ、ヨーロッパのある国の大学に在籍している。専攻は国際協力だ。 そんな真菜がなぜ、私に自分から連絡をし、自身の体験を語ったのか。
 彼女は次のように話す。 
「虐待を受けている人はたくさんいます。その中で、私はたまたま良い先生に出会え、家庭から逃れることができました。でも、そうじゃない人の方が圧倒的に多いだろうと思うんです。ずっと家庭から逃げられず、売春や自殺をしている人はたくさんいるはずなんです。そういうのが『運』で片付けられてしまう社会のあり方が許せなかった。それで体験を話したいって思ったんです」 
 真菜の目には、日本の児童福祉の何が問題だと映っているのか。それを問うと、彼女はこう答えた。 
「私は児童相談所がダメだと言うつもりはありません。あの人たちはあの人たちなりのルールの中で一生懸命にやってくれています。ただ、そのルールに問題があると思うんです。 今のルールでは、虐待した親でなく、虐待された子供が施設へ送られて自由を奪われなければなりません。あるいは、私立校へ通っている子供はそこを中退し、公立校へ移らなければなりません。それっておかしくないですか。これ以外にもいろいろあります。 中1の最初の保護の時に、もしこれらのルールが違っていれば、私は父親からの虐待から逃れることができたはずなんです。そんなことで運命が変わってしまうのってどうなんでしょう」 
 たしかに真菜が最初の一時保護で施設へ行っていたら、自殺未遂をくり返したり、売春をしたりせずに済んでいた可能性はある。 私自身も真菜同様に、児童相談所を批判するつもりはない。私は仕事の関係で個人的にいろんな形でかかわらせてもらっているが、児童相談所の人たちの献身的な仕事への向き合い方には本当に頭が下がるばかりだ。 ただし、彼女が指摘するように、システムの側に問題があるのならば、そこは直していかなければならないだろう。少なくとも真菜の例を見る限り、そのシステムが必ずしも子供の立場に立って作られているとは言い難い。 一時保護のシステムは、本当に子供のためのものになっているのか。そのことをもう一度考え直す必要があるだろう。 
*児童養護施設から私立校へ通うことは可能だが、諸条件があり、真菜の場合は当てはまらなかった。 
取材・文・撮影:石井光太 77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困』『遺体』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『格差と分断の社会地図』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。

感想

児童相談所は親のためでも、相談所のためでもなく、子どものために会って欲しいです。
子どものためにと努めていおられると信じたいですが、子どものためになっていないケースも多々あるようです。

変えていく勇気がなく、”慣性の法則”に従っていた方が無難との気持ちがあるのかもしれません。

「裸で泳ぐ」伊藤詩織著 ”性被害からどう生きて行くか、葛藤と苦しさの中で今「生きている」”

2023-02-23 18:06:36 | 本の紹介
・The Things I Wanna Do Before I Die
1)インドでボランティアをする
2)サバンナに行って動物たちを助ける
3)チリの新聞社でインターンをする
4)コスタリカでウミガメを保護する
5)カザフスタンで自分そっくりな人を見つける
6)エベレストのハイキングに挑戦
7)イラリア・ナポリにある青の洞門で泳ぐ
8)死海で泳ぐ
9)ニューヨークで暮らす
10)リオのカーニバルで踊る
11)ヨガをする、できればインドで、そして毎日の生活習慣にする

・入院生活では、パジャマのまま通える「院内学級」に通っていた(中学)。そこで、本当に様々なかたちで「生きる」と毎日直面している子どもたちと机を並べることになった(ほとんど机なんてなかったような気もするけど)。「生きているだけでいい」「私は私」。そう日々の中で退官したことで、いま思うと、ふにゃふにゃの心を包んでくれる皮ができたような気がする。

・多動で集中力に欠ける、ADHD傾向のある自分が、苦手なことも或る程度うまくできるよう、最近、一日のルーティンを何とか確立しようとしていた。

・初めて出会ってから、もう四年が経つ。2017年5月に、私が性被害を自分の言葉で公にしてすぐ、ロンドンから救いの手を差し伸べてくれたのが田中明美さんだった。誹謗中傷、賞賛、脅迫、無関心=会見の後、それまでのように日本で生活が出来なくなっていた私の状況を想像して、代理人を務めていた西廣弁護士に連絡をくれたのだ。「イギリスに来てください、としおりさんに伝えて」

・私に呼吸する場所を与えてくれた明美さんは、それから私の「イギリスのお母さん」になった。

・「被害届を出したら、これまでの努力も水の泡ですよ。業界では働けなくなるでしょう」
捜査員はそう言った。

・荻上チキさんをはじめとするリサーチチームの調査に基づいて、ネット上での誹謗中傷について裁判を始めると会見で話してから、ちょうど一年が経っていた(当時の調査によれば、70万件を超える書き込みのうち名誉棄損的なものは3万件、グレーなものは5万件あった)。

・ここ(ペルー南部)ではコカ栽培が盛んだ。・・・。
そしてここで生まれ育った子どもたちはコカインをつくる。
少年たちは「決してコカインには手を出さない」と口を揃えた。どんなに有害なものを入れているか知っているからだという。

・三年間同棲した彼は、初めて家族以外にできた家族だった。被害に遭った直後、警察から何度か、彼氏はいるのかと聞かれた。彼と別れてちょうど一年くらいのことだった。「いません」と答えると「そうですか、良かったですね。彼がいたらつらいでしょうし」と言われた。私がつらいのか? 彼がつらいのか? その言葉の真意を理解できなかった。

・マラリアは早い段階で治療すれば治る病気だが、医療へのアクセスが充分でない地域では、いまだに悪魔のように恐ろしい病気とされている。2020年4月20日時点で、新型コロナの死者数は世界で16万5千人を超えた。一方、今も年間40万人以上がマラリアで命を落としている。・・・
2020年の1月にFGM(女性器切除)の取材のため、私はシエラレオネに戻り、そこでマラリアの洗礼を受けた。・・・
従来は儀式でFGMが行なわれ、それが終わって初めて「一人前」の女性とされてきた。ところが今回、新たな試みとして、身体の安全のためにFGMを行なわずに、形だけ伝統の儀式を挙行することになった。森に入ったら外界に一歩も出ない、携帯電話などで外部とコンタクトをとることは禁止、身体を拭く以外、髪も洗ってはいけない-儀式を仕切る村のおばあさんたちに従い、伝統を守るというルールのもの、私も儀式に参加した。二年ほどかけて連絡をとってきたので、ついに取材の許可が下りたことがうれしかった。・・・
 そんあ集団生活も半ばに差し掛かったころ、私は急に寒気に襲われ、やがて立つこともままならなくなった。一週間、森の外にでてはいけないというのがルールだったで、おばあさんに事情を伝えると、マラリアの簡易テストを持ってきてくれた。検査結果は彼女たちの予想通り陽性だった。病院に連れて行ってほしい、そう伝えたものの、寝起きしていた納屋とは別の小屋に連れて行かれ、外から鍵をかけられた。「儀式中に外に出ると悪魔に襲われ死ぬ」ということらしい。・・・
儀式の終了まであと二日。・・・
逃げるようにして村を出て、一番近くの病院で血液検査を受けたところ、やはりマラリアだった。・・・

・FGMやマラリア治療、それにまつわるあらゆる慣習や伝統は、遠い国の出来事のように聞こえるかもしれない。でも「~するべき」という刷り込みはどこにでも存在する。私たちの社会で似たようなおこtが起きていないか? と考えてしまう。

・性被害を受けたあと、何度も死にたいと思った。死にかけて、生き続け、生かされて、そして多くの「今日が最後の日だと思って生きよう」を繰り返してきた結果、今ここにいる。そうやって、「今を楽しむ」「今を生きる」ことが最近、すこし上手にできるようになったと思う。

・どれほど大声で事実を語っても、閉ざされた扉の中で行われた行為は、結局、その当事者がどのくらい信頼できる人物なのかによって判断され、裁かれる。しかも、その「信頼「」とは人間性に対するものだけではない。社会的ステータス、出身大学、役職、家柄・・・まるで日本にも見えないカースト制度があるかのように。

・結審が終了し、あとは、高裁判決を待つだけとなった。
裁判所の入り口では、囲み取材のために記者の人たちが待っている。外へ出る前に呼吸を整えようとトイレに入り、ドアを閉めてしゃがんだ途端、涙があふれた、声もあふれた。めまいと痺れの渦で、頭と心が居場所を失いぐるぐるとさまよっているあいだ、いま自分が何をどう感じ、質問に答えられるのか、その前に自分の足で立てるか、不安になった。

・彼は言った。
「何か引っかかることがあったら、すぐに聞くべきって教えてくれたのは詩織だよね」
かれは優しい面をもつ人だった。
裁判前後、私が体調を崩すと傍らで看病してくれた。何があったら安心できるかを、いつも考えてくれていた。
 でも、目の前にいるその人は、私を疑っている。理解できそうで、まったできなかった。

・あさみ(いつもバレンタインや誕生日を一緒に祝える友人)いわく「変に正義感強くて、体力のある」私は七年間、走りすぎたのだ。・・・
私が自殺未遂を起こしてしまったときは、「苦しいと思うけど、あさみはこの世界にいるから、わたしのために生きて」って言ってくれた。あさみのためなら生きるしかなかった。
 大切な人のためなら頑張れる。そう、思わせてもらって、私は生かされた。

・私は自分の性被害について、偶然、事故に遭ったのだと考えたかった。・・・
 偶然に見えることも、結局すべては、重ねられた(無意識であれ)選択の上に起こる出来事なのだろうか。
そうかもしれない。ただ、私はその相手も出会あなかったらと願わないことはない。
でもその人に出会わず、この事件が起きていなかったら、いまや私の人生に欠かせなくなった人々とも出会えていなかっただろう。そのことに思いを巡らせると、混乱して心が潰れそうになる。たぶん、このエッセイを書くこともなかったはずだ。

・「生きのびる」から、だた「生きる」に、自分が置かれている環境がはっきりと変わったことがわかった。・・・
 この七年間、私は生きのびることに必死だった。

・時間が癒してくれる。そんな言葉でなだめられるのが嫌で、これまで噛みついてきたけど、時間の中でゆっくりと進んでいくことは確実にあるのだ。・・・
(ここまで生きてきた私に、そしていま、自分の人生を生きている私に喝采を!)

・NHKで2022年2月13日、「声をあげて、そして」というドキュメンタリーが放送された。同世代のディレクターたちが2017年から、何度も社内で企画を跳ね返されながら、時には自費で取材を続けてきて、今年ついに早朝の番組枠で形にすることができたのだ。
 NHKは、これまで私自身に起こった性暴力事件について報道していなかったので、ここまで来られたのは、ディレクターたちの奮闘の賜物だった。

・コンゴ民主共和国の東部ブカヴに病院を設立し、性暴力で傷ついた女性たちの治療に携わってきたムクウェゲ医師は、「レイプは最も安い兵器である」と言っていた。それは、傷つけらえた人の土台だけでなく、その周りや家族も破壊してしまう恐れがあるからなのだと思う。

・当時、私が懇願してもデートレイプドラッグの検査は存在しなかった。今ではその使用が疑われる際、検査を行ない、証拠保全を徹底するよう警察庁から通達が出されている。時代は確実に前進している。

・ジュディス・L・ハーマンの『心的外傷と回復』は迷子だった感情の合流先を示してくれた。

・裸で泳いだその瞬間が、私として生きていると感じた時間だった。

感想

 詩織さんが勇気を出して性被害を訴えました。
そして彼女を支える人がいる社会、それにホッとしました。
それは自分にも問われているように思いました。

山口敬之氏準強姦の逮捕を停止する指示を出す人、それに従う人。
詩織さんを枕営業とネットで言って裁判で負ける人。
そういう人が首相?だったり、刑事局長だったり、国会議員だったりしている日本。
一方、詩織さんを支える肩書のない人。
自分の生き方が問われているのでしょう。

詩織さんはとてもピュア―な真っすぐな方のように思いました。
病気で入院、そして院内学級経験。
そしていろいろなことにチャレンジ。
仕事を広げるために、山口氏に会われたようです。
山口氏のレイプドラッグ?など使わずに、詩織さんに好かれる選択肢もできたのですが、所詮そういう人でなかったのでしょう。
女性の人格を無視しても気にならない方だったようです。

海外に留学したいと親に言ったら、反対しないけど自分のお金で生きなさいと言われ、アルバイトをしたとのこと。

彼から「あったことを正直に言って欲しい」と言われたことがとてもショックだったようです。
話を聞いて真偽を確認したい彼の気持ちが、詩織さんに伝わったのでしょう。
話を聞かなくても、「詩織さんを信じる」ことが出来なかったのでしょう。

世界が敵に回っても、詩織さんを信じることが出来なかったのでしょう。
しかし、知らなかった人が詩織さんを信じて支援された人もいらっしゃいました。

自分を無条件で受入れそして信じてくれる人が一人でもいるのは大きいですね。
ガールフレンドのあさみさんはそのお一人のようです。

いま「日本の国公立大学」で起こっているパワハラ・大量解雇の「異常な実態」 まともな研究が不可能に ”研究する若者の未来を閉す!”

2023-02-23 03:08:28 | 社会

全国の大学では国による統制やトップによる独裁化が進み、弊害としてハラスメントの横行、非常勤教職員の大量解雇などの問題が起きている。背景にある大学政策と、大学崩壊の現状をレポートする。

大学・学生の自由が奪われている現状を紹介した前編『日本の最高学府の「大崩壊」が始まった…京大ほか国公立大で起きている「ヤバすぎる事態」』に引き続き、まずは文科省OBの結城章夫氏が学長を務めている山形大学で、立て続けに起こったトラブルの内情を紹介しよう。
雇用破壊の「最前線」
'16年に設置したリチウムイオン電池の研究開発拠点「山形大学xEV飯豊研究センター」では、センター長による複数の職員に対するパワハラが明らかになった。しかしセンター長への処分は減給約1万円と軽かった。

米沢市に'11年に開所した工学部有機エレクトロニクス研究センターでも、教授によるパワハラが発覚した。国が求めるベンチャー企業の立ち上げに山形大学も参加し、実績を出そうとしていたが、実態はずさんなものだった。同センターの関係者が証言する。

「教授は着任したスタッフにいきなりベンチャーを立ち上げろと指示します。けれども、資金を出すわけではありません。スタッフに個人的に多額の借金をさせた上でベンチャーを立ち上げるように強要するのです」

ある研究員はパワハラ被害に遭いながらベンチャーを設立したにもかかわらず、次年度の雇用を断られたという。

'20年6月には、センター3階の研究室で火災が起きた。山形県警は翌'21年3月に、火災の数日後に自死していた男性スタッフA氏を現住建造物等放火未遂の疑いで容疑者死亡のまま山形地検に書類送検した。本件で大学は公式な説明をしていないが、前出の関係者はパワハラの疑いを指摘する。

「自殺したAさんは多くの仕事を背負わされていた。火災が起きる半年ほど前から苦しんでいる姿を見ていました」

多くのスタッフがパワハラを受けていた実態を、被害者と山形大学職員組合が調査した。一方で、教授らによる国立研究開発法人などから獲得した研究費約3000万円の不正使用が明らかになった。不正への加担を拒否したスタッフもパワハラを受けていた。

山形大学は'22年3月にようやく不正使用を認めた。しかし、パワハラに関しては否定している。

調査に当たった教職員は「山形大学の執行部にはコンプライアンスの意識が欠如している」と憤る。これが天下り学長をいち早く受け入れ、予算の獲得に奔走した大学の実態なのだ。

多発する雇用止め
大学では、雇用破壊も深刻だ。前出の国立大学関係者が打ち明ける。

「'04年以降、運営費交付金が削減された国立大学だけでなく、私立大学も専任教員を減らしており、任期制の教員や非常勤講師の割合が高くなっています。今、その非常勤講師が切り捨てられる事態が進んでいるのです

'13年に労働契約法が改正され、有期雇用労働者が5年以上勤務した場合に無期雇用転換権を得られるようになった。

ただしすべての有期雇用者が5年で無期雇用転換権を得られるわけではない。特定のプロジェクトなどで雇用されている教員や研究者の場合は、無期雇用に転換できるのは10年後とする任期法や科学技術イノベーション活性化法など特例も存在している。

とはいえ、大学の非常勤教職員はこれらの法律で守られるようになるはずだった。だが、実態は真逆だ。転換権を得る5年や10年を迎える前に彼らは次々と雇い止めされているのだ。

'18年に非常勤職員が大量に雇い止めされたのが東北大学だ。試験を受けて合格すれば限定正職員になれるとしたが、1140人の非常勤職員のうち、3割近くは試験を受けられないか不合格となり大学を去った。1人が大学を提訴しているが、一審、二審で敗訴している。その後、限定正職員の解雇も始まっている。

さらに、今年3月末には特例の10年を迎える教職員160人以上が、雇い止めされる見通しだ。

また、大阪大学は非常勤講師の5年での無期転換を認めず、独自のルールで雇用期間は10年を上限としている。東海大学は、非常勤講師は5年ではなく10年を超えなければ無期雇用が認められないと主張。この主張自体法令違反の可能性が高い上、両大学とも3月末に10年直前の多くの講師を雇い止めする方針で、どちらも講師が訴訟を起こしている。

大学の混乱は、教育を受ける学生にも悪影響を及ぼしているのだ。雇用崩壊やトラブルで教育と研究がままならない大学や、教員不足で学生が希望する授業を受けられなかった大学も存在する。
まともな研究が不可能に
現在、政府による大学支配の総仕上げと疑われる事態が進行している。それが冒頭の国立大学関係者が明かした「国際卓越研究大学」の認定だ。

これは国が「稼げる大学」を支援するシステムで、政府が創設した10兆円ファンドの運用益を、認定した5〜7大学に分配する制度だ。
運用益は年間3000億円を見込み、昨年12月から募集が始まっている。ただし、大学運営のモニタリングは内閣総理大臣と財務大臣のほか、閣僚と財界関係者らで構成される内閣府総合科学技術・イノベーション会議が行う。

大学の最高意思決定機関も新たに設置され、大学法人のトップは文部科学大臣が任命する。大学が政財界に完全にグリップされることになるのだ。

「トップクラスの大学が軍事研究や経済安全保障に関係した研究などに誘導される危険性が高まっています。軍事や経済安全保障に少しでも関わる研究は、国際的な学術誌などに研究成果を公開することが制限される恐れもある。民主的な研究は行われなくなり、このままだと大学は崩壊してしまいます」(京都大学大学院の駒込武教授)

ここで触れたトラブルはあくまで氷山の一角だ。国策の失敗を認めることもなく、さらに大学という最高学府を機能不全に導く施策が推し進められようとしている。まさに国家の存亡にかかわる危機なのだ。

この愚行を、今すぐ止めなければならない。
「週刊現代」2023年2月11・18日合併号より
<文・週刊現代(講談社)>

感想
日本をますますダメにしています。
日本の将来の技術のシード研究をせずに、軍事研究など日本の将来への種蒔きをしていません。
科学がわからない首相が続いているので、日本の科学は死に絶えるのではないでしょうか。
この結果は10年後です。
いやもう忍び寄っているのかもしれません。
バカなトップが上に立つと、日本はおかしくなることの実験が始まっています。

韓国は過去10年で年収が3倍。
日本は5%減。
円安で差がまた開いています。