<後悔はどのように起こるのか。後悔しない人間とはどんな人たちか。最新の学術研究と大規模な調査プロジェクトを基に、後悔のプロセスに迫る>
仕事、学業、恋愛、結婚......たいていの人は、人生のさまざまな局面で後悔をする。「あの時、ああしていれば――」そんなふうに思った経験がない人は、まずいないだろう。
だが「後悔」という感情の正体は、実はあまり知られていない。後悔する動物は人間だけなのか。後悔しない人間がいるとしたら、どんな人たちなのか。後悔は一体どのように起こるのか。
世界のトップ経営思想家を選ぶ「Thinker50」の常連であるダニエル・ピンクが、人間だれしもがもつ「後悔」という感情に立ち向かった。
最新の学術研究と、ピンクが自ら実施した大規模な調査プロジェクトから分かったのは、
後悔とはきわめて健全で、欠かせないものであること。後悔とうまく付き合えば、よりよい人生を送る手助けになると説くピンクの著書は話題を呼び、世界42カ国でベストセラー入りしている。
このたび刊行された日本版『
The power of regret 振り返るからこそ、前に進める』(かんき出版)から一部を抜粋・再編集して掲載する(この記事は抜粋第2回)。
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「タイムトラベル」と「ストーリーテリング」
人が後悔を感じるプロセスは、人間の精神だけに備わっている二種類の能力とともに始まる。ひとつは、脳内で過去と未来を訪ねる能力、そしてもうひとつは、実際に起きていないことをストーリーとして語る能力である。
私たち人間は、熟練のタイムトラベラーであり、有能なストーリーテラーでもあるのだ。この二つの能力が絡み合い、言ってみれば精神の二重らせん構造をつくり出し、それが後悔という感情に生命を吹き込んでいる。
たとえば、次のような後悔を打ち明けた人がいる。これは、「ワールド後悔サーベイ」に寄せられた何千もの体験談のひとつだ。
大学院の学位を取得すればよかったと思っています。当時の私は父親の願望を受け入れて、大学院を中退してしまったのです。学位を取得していれば、私の人生の軌跡は違うものになっていたでしょう。もっと満足感と充実感、そして達成感を味わえたはずです。
このバージニア州の五二歳の女性は、短い言葉のなかで素早く頭を回転させている。彼女は自分の現状に満足できず、脳内で過去に立ち戻った。何十年も前、まだ若かった頃に、学業と職業の進路を検討していた日々にタイムトラベルしたのだ。
そして、実際に起きたこと(父親の望みに従ったこと)をなかったことにし、それとは別のシナリオを思い描いた。そのシナリオでは、父親の望みではなく自分の望みを尊重して大学院で学ぶことを決める。
そのあと、再びタイムマシンに乗り、現在へ一足飛びで戻る。ただし、過去をつくり変えたので、今回経験する現在は、ほんの少し前にタイムマシンで過去へ旅立つ前とはまるで違うものになっている。この新しい世界では、満足感と充実感と達成感を味わえるのだ。
こうしたタイムトラベルとストーリーテリングの能力は、人間だけがもっている「超能力」と言ってもいいだろう。ほかの動物がこれほど複雑な活動をおこなうことは、とうてい想像できない。海を漂うクラゲが詩をつくったり、アライグマがフロアランプの配線をやり直したりできないのと同じことだ。
ところが、私たち人間は、この超能力をいとも簡単に活用できる。この能力は人間という存在に深く刻み込まれているのだ。その能力をもっていないのは、まだ脳が十分に発達していない幼い子どもと、病気や怪我により脳がダメージを受けている人だけだ。
たとえば、発達心理学者のロバート・グッテンターグとジェニファー・フェレルによる実験では、子どもたちに、あるストーリーを読み聞かせた。それはこんな物語だ。
ふたりの男の子、ボブとデーヴィッドは近所同士です。二人とも、毎朝自転車で通学しています。学校があるのは、池の反対側。学校に行くためには、池の左側を回ることもできるし、右側を回ることもできます。距離はどちらもまったく同じ。どちらかの道がデコボコしていて走りにくいということもありません。毎日、ボブは右側の道で学校に通い、デーヴィッドは左側の道で学校に通っています。
ある朝、ボブはいつもどおり、右側の道で学校に向かいました。ところが、夜の間に木の枝が道に落ちていました。自転車がその枝にひっかかり、ボブは自転車から投げ出されてしまいました。ボブは怪我をして、学校に遅刻しました。この日も、左側の道はいつもと同じように通ることができました。
同じ朝、デーヴィッドは、いつも左側の道を通っているのに、今日は右側の道を通ることにしました。そして、自転車が木の枝にひっかかり、自転車から投げ出されて怪我をし、学校に遅刻しました。
研究チームは、子どもたちに尋ねた。「この朝、右側の道を通ろうと決めたことを残念に感じているのは、どっちの子でしょう?」。それは、いつもその道を通っているボブなのか。それとも、その日に限ってその道を通ったデーヴィッドなのか。あるいは、二人とも感じ方は同じなのか。
8歳の子どもにも「後悔」はある
この実験では、七歳の子どもたちは、「大人とほぼ同様に、後悔の感情について理解していた」という。七歳児の七六%は、デーヴィッドのほうが残念に感じていると答えたのだ。
それに対し、五歳の子どもたちは、後悔という概念をあまり理解していないようだった。五歳児のおよそ四人に三人は、ボブもデーヴィッドも同じように感じているだろうと答えたのである。
後悔を感じるためには、脳内のブランコを上手に漕いで、過去と現在、そして現実と想像の間を行き来できなくてはならない。幼い子どもがそのために必要な脳の力を身につけるまでには、数年を要する。そのため、ほとんどの子どもは、六歳くらいまで後悔を理解できない。
ところが、八歳くらいになると、自分が将来いだく後悔も前もって予測できるようになる。こうして、思春期になる頃には、後悔を感じるために必要な思考のスキルが完全に発達する。後悔をいだくことは、健全で成熟した精神をもっていることの証なのだ。
後悔は、人間の発達と密接な関係があり、人間の脳が適切に機能するうえで欠かせない要素だ。大人になっても後悔を感じない場合は、深刻な問題が潜んでいる可能性がある。認知科学者たちによる二〇〇四年の重要な研究がその点を明らかにしている。
その研究では、実験参加者たちにシンプルな賭けのゲームをプレーさせた。コンピュータを使ったルーレット風のゲームである。プレーヤーは、二つのルーレットのいずれかを選ぶ。そして、ルーレットのどの場所に矢が止まるかによって、お金を受け取るか、お金を失うかが決まる。
賭けに負けてお金を失った実験参加者は、残念に感じた。この点は意外でない。しかし、お金を失ったあと、もうひとつのルーレットを選んでいれば、賭けに勝ってお金を手にできていたと知った人たちは、いっそう残念に感じた。この人たちは後悔を感じたのである。
後悔を感じないのは脳が損傷しているから
ところが、別の選択肢を選んでいればもっとよい結果になっていたと知っても、残念な思いがとくに強まらない人たちがいた。それは、脳の眼窩前頭皮質と呼ばれる部位が損傷している人たちである。
「(この人たちは)後悔をまったく感じないように見える」と、この実験をおこなったナタリー・カミーユらはサイエンス誌に寄稿した論文で記している。
「後悔という概念が理解できないのである」
つまり、後悔を感じないこと─―それはある意味で「後悔しない」主義が理想とする状態なのだが─―は強みではないのだ。それは、脳が損傷している証拠なのかもしれない。
神経科学の研究によると、同様の傾向は、ほかの脳の病気でも見られる。いくつかの研究では、実験参加者に、たとえば次のような直接的な問いを投げかけた。
マリアは、ひいきにしているレストランで食事をしたあと、体の具合が悪くなった。アナは、はじめて行くレストランで食事をしたあと具合が悪くなった。二人のうち、より深く後悔するのはどちらだと思うか。
たいていの人は、アナのほうが深く後悔するとすぐに答える。しかし、遺伝性の神経変性疾患であるハンチントン病の人は、この点を当然とは考えない。
問いの答えを推測しようとする。その結果として、大半の人たちと同じ答えに行き着く確率は、あてずっぽうで答えた場合と変わらない。この点は、パーキンソン病の人も同様だ。あなたがおそらく一瞬で直感的に到達するのと同じ結論にいたらないケースが少なくないのである。
こうした傾向は、統合失調症患者の場合、とくに際立っている。この病気を患っている人は、ここまで述べてきたような思考がうまくできず、論理的推論を十分におこなえないため、後悔の感情を理解したり、経験したりすることが難しい。
後悔する能力の欠如はさまざまな精神・神経系の病気の主たる特徴と位置づけられており、医師たちはそれをより深刻な問題を発見するための判断材料に用いている。後悔しないことは、精神的健康の鑑(かがみ)とはとうてい言えないのだ。むしろ、深刻な病気が潜んでいる場合が少なくない。
ここまで述べてきたように、後悔のプロセスを牽引するのは、時間旅行をする能力と、過去の出来事を書き換える能力だが、そのプロセスが完了するまでには、さらに二つのステップを経なくてはならない。その二つのステップが後悔とほかのネガティブな感情の違いを生む。
感想;
PART3 後悔とどのように向き合うか(本の目次より)
第12章 過去の行動の取り消しと「せめてもの幸い」思考
第13章 後悔を認めることからはじめる
第14章 未来の後悔を予測する
”後悔”の意味は「後になって失敗を悔やむ」ことです。
この本の訳語で使っている”後悔”は過去を受け容れ、そこからの学びを得て、これからに生かす意味のようです。
過去をこれからに生かせるかどうかなのでしょう。
その気持ちで前を向いて一歩一歩歩むことなのでしょう。
過去は変えられないけど、過去に対する解釈は変えることができる。
これからの人生には自分が選択する権利がある。
まさにお釈迦さんが言われている「過去も未来もない。あるのは今だけだ」です。
ところが今に使いたい大切な時間を、過去を悔やみ、未来を心配することに使っているのではないでしょうか。
と言ってもなかなか難しいですが。
エジソンの言葉「失敗はない。できないということがわかっただけ」
失敗から学ぶことも大きいです。
下記のサイトに失敗から学ぶ関係の本など紹介しています。