「78歳いまだまんが道を」を出版して、3年が経過したので、3年を追加しての自叙伝です。
富山で小学校の時に藤子F不二雄(藤本)さんとの出逢い、再開した。
そして、高校を卒業して2年後に藤本さんに漫画を職業にするために上京を誘われ、迷った末に上京した。
有名になってから、藤本さんから二人で活動していたのを別々に活動することにしたことで活躍の場面がさらに拡がった。
藤子不二雄A(安孫子)さんは高校を卒業してから、伯父が重役をしていた新聞社に勤めてデザインや漫画での情報提供をしていた。上京を誘われた時に、安定な仕事か、未知の仕事かさんざん迷った末に上京した。
断っていたら、きっと藤本さんも上京していなかっただろうと。一人は不安だったけど、二人なら何とかなるだろうとの根拠のない自信を持つことができた。
売れ出してから3年後くらいにたくさんの依頼があったのを、つい穴を空けてしまい、2年間仕事が貰えずに干されてしまった。その後は、その苦い体験を生かし、一度も穴を空けなかったと。
トキワ荘時代、手塚治虫、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄などライバルながら、一緒に助け合いながら、相手の幸せを喜びながら成長して行ったことが書かれている。
そして二人で活動していたのが、別個に仕事をすることになったことも大きかったようです。
富山で小学校の時に藤子F不二雄(藤本)さんとの出逢い、再開した。
そして、高校を卒業して2年後に藤本さんに漫画を職業にするために上京を誘われ、迷った末に上京した。
有名になってから、藤本さんから二人で活動していたのを別々に活動することにしたことで活躍の場面がさらに拡がった。
藤子不二雄A(安孫子)さんは高校を卒業してから、伯父が重役をしていた新聞社に勤めてデザインや漫画での情報提供をしていた。上京を誘われた時に、安定な仕事か、未知の仕事かさんざん迷った末に上京した。
断っていたら、きっと藤本さんも上京していなかっただろうと。一人は不安だったけど、二人なら何とかなるだろうとの根拠のない自信を持つことができた。
売れ出してから3年後くらいにたくさんの依頼があったのを、つい穴を空けてしまい、2年間仕事が貰えずに干されてしまった。その後は、その苦い体験を生かし、一度も穴を空けなかったと。
トキワ荘時代、手塚治虫、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄などライバルながら、一緒に助け合いながら、相手の幸せを喜びながら成長して行ったことが書かれている。
そして二人で活動していたのが、別個に仕事をすることになったことも大きかったようです。
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