・「企業の目的は善行である」という私のスローガンは、倫理資本主義という提案につながる。それが単なる夢想ではないことは、最近の複数の事例からも明らかだ。
・経済と社会は同一でない
資本主義の特徴としてとりわけ重要なのが、私的領域の余地を残すころだ。なぜなら私的領域は買うこと、売ること、そして消費への新たな欲求を生み出す余地をつくるからだ。こうした欲求が資本主義の燃料になる。対照的に共産主義は、経済的検討の対象とならない社会領域がほぼ皆無になるほど、政治と経済の領域を融合させようとする。共産主義は資本主義ほど私的領域に関心がない。
・自由の価値は、平等や連帯の価値と結びついている。私たちの行動が他者を少なくとも自分と同じくらい自由にしないかぎり、私たちは自由ではいられない。人間の自由はどこまでも社会的なものだ。この重要な事実ののもっともシンプルな根拠は、人間がしたいと思うことのほどんどは他者と一緒でなければできあにということだ。私が書かなければ、みなさんが本書を読むことはできない。信じられないほど複雑な協力システムがなければ、私が本書を流通させることはできない。
・要するに私たちに必要なのは、民主主義の国民をまっぷたつに分断する、二極化の加速という風潮に抗うことだ。
・これに関して私は、人生の意味は相互扶助の能力に表れるという啓蒙思想本来の考え方を擁護する。自分たちの社会的自由を増やすためにお互いの支え合う道徳的能力こそ、私たちがここにいる理由、つまり近代的社会的形成の一員である理由だ。
・倫理資本主義は倫理を第一に考える。つまり市場の目的は、道徳的進歩に貢献することだと考えるのだ。ひとたび人間の基本的ニーズが満たされたら、社会ととの経済活動を構築する次のステップは、企業に社会的自由の増大を促すことであるべきだ。少なくとも生存に最低限必要なものを届けるという役割を果たしたら、すぐに経済が担うべき機能はこれだ。こうした理由から経済学を倫理的にアップデートし、経済的手段を通じた社会的自由への貢献として、道徳的進歩と矛盾のないものにする必要がある。
・私たちは他者が他者を助けるのを助け、その行動を通じて収入を稼ぎ、利益を得るために存在している。しかし収入や利益は私たちの存在の目的ではなく、そこから派生するものだ。
・倫理学として科学的分野があるとすれば、その目的は
①明白な倫理的事実を根拠のない懐疑から守ることそして
②道徳的進歩を促すため、部分的に隠れている道徳的事実を発見することだ。
・(コロナのパンデミックで)私には学校の閉鎖の多くは不要で、悪とさえ思えた。他に選択肢があるのに(疫学的にはほぼ閉鎖的な集団で、可能なかぎり有効なマスクを着用して授業をするなど)、積極的に子どもたちの通学を妨げるのは悪だ。リモート学習の措置がとられたという理由だけでは不十分だ。なぜならリモート学習は誰でもどこでも受けられたわけではなく、しかも身体的近接性を前提とする通常の社会的教育と比べて大幅に効果が低いことがわかっているからだ(訓練や学習には確実に社会的、身体的性質があるため)。
・語源的に考えると「プライベート」とは「公的ではない」という否定語である(ラテン語の「privare」は「奪う」という意味だ)。私的領域は公的領域の重要な一部だ。それは監視も保護もされない人間の活動で、それによって社会の機能そのものが維持される。だがもちろん私的活動とは、社会のルールに反するような個人の自由の行使ではない。
結論を言うと、他者は自分の実在的営みを制限する。だから、「地獄とは他人のことが」というジャン=ポール・サルトルの明言は間違っている。他者とともに存在することは、個人が望む価値のある自由を手にする唯一の方法だ。それゆえに自由と社会は、現実的にも概念的にもまったり対立しない。自由であるとはさまざまな選択肢から選べることであり、そうした選択肢のほとんどは他者が提供する。厳密な意味での反社会的、あるいは前社会的状態では、私たちは選択をしないし、できない。こうした理由から、自然状態というものは存在しない。人間は善でも悪でもなく、ただ本質的に自由である。つまり社会的自己意識という条件の下で、自らの具体的行動を決定できるのだ。
・私が人間の社会的経済的発展の次なるステージと考える倫理資本主義は、SDGsのあらゆる側面に投資する。それゆえにいかなる意味においても半資本主義的でもエコ社会主義的でもない。単なる短期的富の蓄積から、人間緒幸福から利益を得るために持続可能な人間の強制のあり方に関心を移すだけだ。
楽観的な姿勢で、積極的に未来を創っていこうとするかは私たち次第だ。人文科学と社会科学を社会の他の領域とリカップリングさせた高度な研究に根ざすその未来は、決して夢物語ではく、真の希望に満ちている。(『スター・ウォーズ』風にいえば)そこに新たなる希望がある。
・どうすれば他者の生活を改善することによって自らの生活を改善できるか、それによって人類の輪が複雑な相互補助のシステムを目指す未来志向のものになるか。読者が自らの社会的立場と文化的・個人的帰属意識に照らし、自らこの答えを見いだしてくだされば、本書の目的は達成されたといえる。私たちは道徳的進歩のための制度設計という目標を、それぞれが身を置くガバナンスモデルのなかで達成する必要があると私は考える。その前提となるのが自分たちの欠点をただ批判するのをやめ、既存の制度や社会経済的慣行の修正や改革という希望に見した積極的姿勢に変わることだ。人類に対するこのような希望的ビジョンがあるからこそ、本書はできるだけ多くの方々に届くように書いた。
感想;
「私たちの行動が他者を少なくとも自分と同じくらい自由にしないかぎり、私たちは自由ではいられない。人間の自由はどこまでも社会的なものだ。」
この言葉は、新しい視点でした。
自分だけ自由を得ようとすることは本当の自由が得られないということです。
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