石川啄木の詩では、よく下記を思い出します。
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」
「 はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」
上野駅にも石川啄木の詩「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」のモニュメントがあります。
啄木のような才能ある人でも、そう思うのだ、凡人の私なら当然いろいろと思ってしまうと自分を納得させることがあります。
前の会社近くに啄木終焉の地があります。これまでは”石川啄木終焉の地のプレート”だけでしたが、そこに”石川啄木顕彰室”ができ、図書館に行くついでに寄って来ました。
啄木の詩は幾つか知っていましたが、終焉の地もあり、どんな人か興味を持ちました。
啄木は日記を残しています。死ね時に家族に「燃やして欲しい」と伝えましたが、家族は残しています。
生活は苦しく借金していますが、貸す方も返して貰えないとわかっていて貸しています。友だちが朝日新聞の校閲の仕事を紹介してくれましたが、休みがちで、とうとう辞めています。啄木には地道に働くことがきつかったのでしょう。
有名な ”一握の砂” の詩集は啄木が亡くなってから出されました。出す準備をしていましたが、それを見ることができませんでした。
情熱的な方のようで、高校生の時から、妻になる女性とデートしていました。高校を退学して上京していますが、それからの人生は波乱万丈でした。
啄木の妹さんが、終焉の地の家の状況を語っています。二間ほどの家だったみたいです。そこは、数ヶ月住み、亡くなりました。
その最後の住まいはもう取り壊されていますが、そこに”石川啄木顕彰室”が設けられました。
あの人の人生を知ろう~石川啄木
上記に石川啄木の生涯と代表的な詩が紹介されています。
周辺には”小石川植物園”(園庭内に小石川療養所後の井戸、銀杏の精子発見の木など”、”徳川慶喜終焉の地(当時の大銀杏の木あり)”、”徳川家康の母、於大の方(伝通院内)”などがあります。
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