目次
第一章 「コンステレーション」
第二章 「物語と心理療法」
第三章 第一部「隠れキリスタン神話の変容過程」
第二部「『日本霊異記』にみる宗教性」
第四章 「物語のなかの男性と女性-思秋期の生と関連して-」
第五章 「アイデンティティの深化」
・「自己実現の過程をコンステレーションする」
・コンステレーションというのは星座です。
・マイヤー先生という人は何もしないんです。・・・ただ聞いているだけなんです。・・・けれども、マイヤーさんに会っていると、自分の心の底から深いものが動き出すわけですね。非常に深いものが動いて、今まで考えもしなかったようなことが、あるいは夢にも見なかったようなことが浮かび上がってくる。それを話し出すと、マイヤーさんがうんうんとついてきてくれるわけですね。ついてきてくれるなら行きましょうということになるわけですが、マイヤーさんは私が行くのをずっと見てくれている。
・その人が言われることを、一生懸命聞いていたらいいんです。一生懸命聞いていると、その人は心の中で一番大事なことを話されるわけです。
・先生に易を信じるかどうか聞きに来たんですと言われました。
こういうときに、易に対してすぐ答えないというところがわれわれの特徴なのです。
「易は益ないことです」とか、そういうことは言わないんですね(笑)。
真実とか信じないとか、そういうことじゃなくて、易ということを契機に、これほどの不安を起こすということは、何がコンストレートしているのかと考える。ただし、そのときに、その方に何がコンステレートしていますかとは決して言わないですね。何をするかというと、その人が言われることを一生懸命聞いていたらいいんです。一生懸命聞いていると、その人は心の中で、一番大事なことを話されるわけです。
・意味を見出すということ
コンストレーションという考え方は、どういう意義を持っているのかということになります。何かに意味を見出すということがすごく大きいんじゃないかと思います。
先ほどの例で言いますと、例えば高島易断を見て、飛行機が落ちると思ったときに、そんなばかなことを考えるなとか、あるいは易なんていうのは当たるんだか、当たらないんだとか、そんな議論じゃなくて、それを見て不安に感じた自分にとっての意味、その意味は何かということですね。
・私がよく思うのは、何が理由かというときに、なるべく「私」という人間を理由にしない。おまえが理由だと言われると大変なことになりますから。
・『ブタヤマさんたら、ブタヤマさん』長新太作
・物語と星座とは関係があるでしょう。あんな星を七つか八つ、ぱっと見ただけで、あれが物語を生み出してくるわけです。人間の心というものは、このコンステレーションを表現するときに物語ろうとする傾向を持っているということだと私は思います。
・「語る」という場合は、たとえば「昔を語る」とかいう場合に、話をする私がなにかそのことについて筋みたいなものをもっている。
・「語り」の場合は、「私」がそこに組み込まれてきているというところがだいじではないかと思います。
・心理療法としてのミソ・ドラマ(神話劇)
非行少年の子どもたちが集まってきて、初めはちょっと名前を言い合ったり、お菓子を食べたりしてだんだんやっていくのです。一番大事なところはリラクゼーションするということです。・・・。もし私がセラピストだとしますと、私が話をするのです。その話が神話的な話なのです。・・・。みんながものすごく乗ってくるんだそうです。・・・
私はすごく感激しまして、「ミソ・ドラマというのはいい名前をつけましたな、日本人にとってミソというところがミソなんです」(笑)
・『落窪物語』
『とりかえばや物語』
『源氏物語』
・『切支丹時代』遠藤周作著
「キリシタン時代とは日本と西洋の正面衝突である」
・初めは、もちろんザビエルは日本語ができませんから、ヤジロウたちが通訳するんですが、布教するときに、ゴッドというと、「大日」と訳していた。(ヤジロウはもともと真言宗なんです。真言の中心の仏さんが大日如来です。華厳でもそうですね。)・・・
「大日は・・・」という話をすると、みんなクスクス笑うんですね。「こんな真面目な話をしているのに、何であんな卑しい笑い方をすのか」とザビエルが聞くので、「実は申しわけないけれども、こういうわけ(隠語で女性の性器を意味)がありまして・・・」というと、ザビエルがカンカンになって、「大日はやめろ!」と怒るところがあるんです。
それでどうなったかというと、もう日本語はやめた、大事な言葉は原語でいこう、と決まるんです。
・『日本霊異記』は、しょうもない話が書いてあるようでありながら、参考になるところがある。
・それでわれわれには一体どんな生き方があるのか、どういう死後の世界とつながるのかということに対しては、おそらく誰にもあてはまるような便利な答えはなく、個々人が努力してそれを発見してゆく、その過程こそがその人のかけがえのない人生だということになるのでしょう。そのときに、あんがい『日本霊異記』のような古い物語を読んでみるのも参考になると思います。
・自分でも途方もないことをようやったなというほどやったときというのは、大体恋愛のときだと思われませんか。まだ経験のない方は非常に残念ですが、そのうちにあると思います。ありすぎて困っている方もありますが、そういうなんともいえん心の動きというものを魂の問題としてとらえようとします、・・・
私は・・・魂は、命ということとすごく関係が深いように思います。
・「性」は魂にかかわる
これは私の会いましたある女の子の場合ですが不特定多数の男の子と性的な関係のあった高校生であるその子が非常にうまいことを言いました、先生が怒って「不純異性交遊だ」と言ったのに対してその子は「先生、何で私が不純ですか。好きな男の人ができるから、その人とセックスの関係があるんです。これは純粋だと思う。先生のように、好きでもないのに奥さんと関係あるのは、これは不純じゃないですか」と。先生がなるほどと思ってしまったので(笑)、どう説明していいかわらないからというので私のところに来たことがあります。・・・
性というのは、ちょうど心と体のあいだにあるといってもいいぐらいで、魂の問題なのです。性的な関係はわれわれを一種の融合する状態にもっていく、あるいはわれわれの通常の意識を相当揺すぶる。
・その方は身心的なところが多くありましたから、「これは先生、心のほうが原因なんですか、体のほうが原因なんですか」と私に聞かれたらしい。私は覚えていないんですよ。しかし聞かれた私は「あなたの問題は、心が悪いのでもないし、体が悪いのでもないです」といったらしい。その人が「何が悪いんですか」とたずねたら、私が「あなたは魂が腐ってますから」と答えたらしい。で、その人は、「ああ、腐っている魂の掃除をするんだったら、これは大変なことが起こる」と、そのとき覚悟した。
「だからその後は魂の洗浄をやっているのですから、大変なことが起こってあたりまえなんです。大変なことが続きましたが、何とか生き抜いてこられました」。普通の人だったら、ほんとうに死んでいてもおかしくないと思います。
・このようにわれわれの心理学は、はじめはノイローゼの人を治療するという非常に現実的なことからでてきながら、結局は生きるということはどういうことなのか、あるいは生き方としてどういうことがあるのだろうか、という人間の根本問題にだんだん近寄らざるをえなくなる。何らかの意味で人間の人生全般について考えねばならなくなってくる。そのなかで、きょう申し上げますアイデンティティということが、非常にだいじなことばとしてでてきたわけです。
感想;
河合隼雄先生のカウンセリングなどの本を読んでいると、何かを意図的にされたというのではなく、自然とクライエントが癒されていくようなカウンセリングをされているように感じます。
コンストレーション(星座)、自分の人生で起きていることに意味を見出せると、本当の意味での幸せを感じるのかもしれません。
フロイトがクライエントから質問されました。
「私の悩みは解決できるでしょうか?」
フロイトは答えました。
「あなたの今悩んでいる小さな悩みは解決します。その後人生をどう生きるかという大きな悩みが襲ってきます」
心と体に魂という別の次元を持って来る。
まさにそれはロゴセラピーの心と体の上位に精神を持って来ているのと似ているように思いました。
ロゴセラピーは人が人生に意味を見出すと考えるより、人生から問いかけがありそれにどう応えて生きるか。
それに応えていることで、人生の意味を見出すと考えます。
まさに自分の物語を星座のように創りだすことなのでしょう。
第一章 「コンステレーション」
第二章 「物語と心理療法」
第三章 第一部「隠れキリスタン神話の変容過程」
第二部「『日本霊異記』にみる宗教性」
第四章 「物語のなかの男性と女性-思秋期の生と関連して-」
第五章 「アイデンティティの深化」
・「自己実現の過程をコンステレーションする」
・コンステレーションというのは星座です。
・マイヤー先生という人は何もしないんです。・・・ただ聞いているだけなんです。・・・けれども、マイヤーさんに会っていると、自分の心の底から深いものが動き出すわけですね。非常に深いものが動いて、今まで考えもしなかったようなことが、あるいは夢にも見なかったようなことが浮かび上がってくる。それを話し出すと、マイヤーさんがうんうんとついてきてくれるわけですね。ついてきてくれるなら行きましょうということになるわけですが、マイヤーさんは私が行くのをずっと見てくれている。
・その人が言われることを、一生懸命聞いていたらいいんです。一生懸命聞いていると、その人は心の中で一番大事なことを話されるわけです。
・先生に易を信じるかどうか聞きに来たんですと言われました。
こういうときに、易に対してすぐ答えないというところがわれわれの特徴なのです。
「易は益ないことです」とか、そういうことは言わないんですね(笑)。
真実とか信じないとか、そういうことじゃなくて、易ということを契機に、これほどの不安を起こすということは、何がコンストレートしているのかと考える。ただし、そのときに、その方に何がコンステレートしていますかとは決して言わないですね。何をするかというと、その人が言われることを一生懸命聞いていたらいいんです。一生懸命聞いていると、その人は心の中で、一番大事なことを話されるわけです。
・意味を見出すということ
コンストレーションという考え方は、どういう意義を持っているのかということになります。何かに意味を見出すということがすごく大きいんじゃないかと思います。
先ほどの例で言いますと、例えば高島易断を見て、飛行機が落ちると思ったときに、そんなばかなことを考えるなとか、あるいは易なんていうのは当たるんだか、当たらないんだとか、そんな議論じゃなくて、それを見て不安に感じた自分にとっての意味、その意味は何かということですね。
・私がよく思うのは、何が理由かというときに、なるべく「私」という人間を理由にしない。おまえが理由だと言われると大変なことになりますから。
・『ブタヤマさんたら、ブタヤマさん』長新太作
・物語と星座とは関係があるでしょう。あんな星を七つか八つ、ぱっと見ただけで、あれが物語を生み出してくるわけです。人間の心というものは、このコンステレーションを表現するときに物語ろうとする傾向を持っているということだと私は思います。
・「語る」という場合は、たとえば「昔を語る」とかいう場合に、話をする私がなにかそのことについて筋みたいなものをもっている。
・「語り」の場合は、「私」がそこに組み込まれてきているというところがだいじではないかと思います。
・心理療法としてのミソ・ドラマ(神話劇)
非行少年の子どもたちが集まってきて、初めはちょっと名前を言い合ったり、お菓子を食べたりしてだんだんやっていくのです。一番大事なところはリラクゼーションするということです。・・・。もし私がセラピストだとしますと、私が話をするのです。その話が神話的な話なのです。・・・。みんながものすごく乗ってくるんだそうです。・・・
私はすごく感激しまして、「ミソ・ドラマというのはいい名前をつけましたな、日本人にとってミソというところがミソなんです」(笑)
・『落窪物語』
『とりかえばや物語』
『源氏物語』
・『切支丹時代』遠藤周作著
「キリシタン時代とは日本と西洋の正面衝突である」
・初めは、もちろんザビエルは日本語ができませんから、ヤジロウたちが通訳するんですが、布教するときに、ゴッドというと、「大日」と訳していた。(ヤジロウはもともと真言宗なんです。真言の中心の仏さんが大日如来です。華厳でもそうですね。)・・・
「大日は・・・」という話をすると、みんなクスクス笑うんですね。「こんな真面目な話をしているのに、何であんな卑しい笑い方をすのか」とザビエルが聞くので、「実は申しわけないけれども、こういうわけ(隠語で女性の性器を意味)がありまして・・・」というと、ザビエルがカンカンになって、「大日はやめろ!」と怒るところがあるんです。
それでどうなったかというと、もう日本語はやめた、大事な言葉は原語でいこう、と決まるんです。
・『日本霊異記』は、しょうもない話が書いてあるようでありながら、参考になるところがある。
・それでわれわれには一体どんな生き方があるのか、どういう死後の世界とつながるのかということに対しては、おそらく誰にもあてはまるような便利な答えはなく、個々人が努力してそれを発見してゆく、その過程こそがその人のかけがえのない人生だということになるのでしょう。そのときに、あんがい『日本霊異記』のような古い物語を読んでみるのも参考になると思います。
・自分でも途方もないことをようやったなというほどやったときというのは、大体恋愛のときだと思われませんか。まだ経験のない方は非常に残念ですが、そのうちにあると思います。ありすぎて困っている方もありますが、そういうなんともいえん心の動きというものを魂の問題としてとらえようとします、・・・
私は・・・魂は、命ということとすごく関係が深いように思います。
・「性」は魂にかかわる
これは私の会いましたある女の子の場合ですが不特定多数の男の子と性的な関係のあった高校生であるその子が非常にうまいことを言いました、先生が怒って「不純異性交遊だ」と言ったのに対してその子は「先生、何で私が不純ですか。好きな男の人ができるから、その人とセックスの関係があるんです。これは純粋だと思う。先生のように、好きでもないのに奥さんと関係あるのは、これは不純じゃないですか」と。先生がなるほどと思ってしまったので(笑)、どう説明していいかわらないからというので私のところに来たことがあります。・・・
性というのは、ちょうど心と体のあいだにあるといってもいいぐらいで、魂の問題なのです。性的な関係はわれわれを一種の融合する状態にもっていく、あるいはわれわれの通常の意識を相当揺すぶる。
・その方は身心的なところが多くありましたから、「これは先生、心のほうが原因なんですか、体のほうが原因なんですか」と私に聞かれたらしい。私は覚えていないんですよ。しかし聞かれた私は「あなたの問題は、心が悪いのでもないし、体が悪いのでもないです」といったらしい。その人が「何が悪いんですか」とたずねたら、私が「あなたは魂が腐ってますから」と答えたらしい。で、その人は、「ああ、腐っている魂の掃除をするんだったら、これは大変なことが起こる」と、そのとき覚悟した。
「だからその後は魂の洗浄をやっているのですから、大変なことが起こってあたりまえなんです。大変なことが続きましたが、何とか生き抜いてこられました」。普通の人だったら、ほんとうに死んでいてもおかしくないと思います。
・このようにわれわれの心理学は、はじめはノイローゼの人を治療するという非常に現実的なことからでてきながら、結局は生きるということはどういうことなのか、あるいは生き方としてどういうことがあるのだろうか、という人間の根本問題にだんだん近寄らざるをえなくなる。何らかの意味で人間の人生全般について考えねばならなくなってくる。そのなかで、きょう申し上げますアイデンティティということが、非常にだいじなことばとしてでてきたわけです。
感想;
河合隼雄先生のカウンセリングなどの本を読んでいると、何かを意図的にされたというのではなく、自然とクライエントが癒されていくようなカウンセリングをされているように感じます。
コンストレーション(星座)、自分の人生で起きていることに意味を見出せると、本当の意味での幸せを感じるのかもしれません。
フロイトがクライエントから質問されました。
「私の悩みは解決できるでしょうか?」
フロイトは答えました。
「あなたの今悩んでいる小さな悩みは解決します。その後人生をどう生きるかという大きな悩みが襲ってきます」
心と体に魂という別の次元を持って来る。
まさにそれはロゴセラピーの心と体の上位に精神を持って来ているのと似ているように思いました。
ロゴセラピーは人が人生に意味を見出すと考えるより、人生から問いかけがありそれにどう応えて生きるか。
それに応えていることで、人生の意味を見出すと考えます。
まさに自分の物語を星座のように創りだすことなのでしょう。
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