幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

メダル取れる取れない  過酷な試練

2014-02-13 00:04:48 | ブログ

高梨沙羅選手は金メダル候補第一でしたが、4位とメダルが取れませんでした。2013年ワールドカップ13戦10勝の圧倒的な成績でしたが、メダルにさえ届きませんでした。沙羅選手のインタビューを聞いていると、取らせてあげたかったとしみじみ思いました。涙を流している姿が何とも言えませんでした。コーチが、いつもは言わない「勝ちたい」ことを言っていたそうです。勝ちたいと思う気持ちが自分を追い込んだのかもしれません。TV局が金メダル確実とか、沙羅選手に金メダルはとインタビューするとか大きくプレッシャーをかけたのも影響していたように思えてなりません。

ダン・ジャンセンはスピードスケートのトップにずっと君臨していながら、3度のオリンピックでメダルが取れずに、4度目の最後のリレハンメル500mでも取れず、もうメダルから見放されたかと誰もが思った、最後の1000mでようやく彼らしい滑りができ金メダルに輝いた。最初のオリンピックアルベールでは直近に姉の死が知らされるなどの不運からオリンピックが始まった。以下のWebサイトに詳細が掲載されています。

http://paonyan.com/olympic/jansen.htm

ハーフパイプでは、平野選手、平岡選手が銀、銅を取りました。1位が確実されていた、ショーン・ホワイト選手は沙羅選手と同じ4位でした。ホワイト選手はインタビューで「今日は僕の日ではなかった。平野選手は15歳、驚き。彼は早く引退しないと」とユーモアで話していました。とても悔しかったと思います。

競技なので仕方がないのかもしれませんが、喜びの中にも多くの涙、口惜しさが伝わって来ます。メダル取ることも大きなことだと思いますが、メダル取れなかった、高梨沙羅選手、上村愛子選手たちはメダル以上の感動を与えてくれたと思います。

沙羅選手にとって、今回の厳しい結果が、沙羅選手の今後の選手生活において、大きな意味があったのだといつか思える日がくることを願わずにおられませんでした。


「ネルソン・マンデラ自伝 自由への長い道」 仲間創りと対話

2014-02-12 00:11:32 | ブログ

 ネルソン・マンデラ自伝 自由への長い道」 ネルソン・マンデラ著より一部抜粋

 すべての囚人にとって、とくに全ての政治犯にとっての課題は、どうやって刑務所になじまずにいられるか、どうやって意欲の衰えない状態で出所するか、どうやって自分の信念を保ち、それをさらに強化していくかという点にある。そのためには生き延びるために何をすべきかを正確に学ぶことだ。刑務所には、人間の意気をくじき、決心を打ち砕くように作られている。

 仲間とともにいれば、決心を強化される。わたしたちはたがいに支え合い、たがいに力を与え合った。知っていること、学んだことをすべて共有し、そうすることによって、各人の持っている勇気を倍加させた。

 刑務所と政府は手を組んで、囚人ひとりひとりから尊厳を奪い取ろうとする。しかし、尊厳のために、そして尊厳があればこそ、人間は生き延びていけるのだ。わたしは、どんな代価を支払っても、どんな圧力を受けても、尊厳を手放す気はなかった。

 永遠に刑務所を出られないという可能性を、私はけっしてまともに受け止めなかった。いつかふたたび土を踏み締め、太陽の下を自由民として歩ける日が来ると、わたしはいつも信じていた。

 わたしは絶望に身をまかせようとは思わなかったし、そうはできなかった。それは敗北と死に至る道だったからだ。

 交渉相手を失墜させようと思ったことは一度もない。相手のその組織での立場が弱くなれば、交渉の基盤も弱くなるとの現実的な理由からである。敵とのあいだに平和を実現するには、敵と力を合わせなくてはならない。そうすれば、その敵は仕事仲間になる。

感想

ネルソン・マンデラ氏は終身刑を受けていました。反逆罪で死刑になる可能性もありました。そして、27年間の獄中生活を過ごしました。絶望と思える状況においてもその状況の中で生きる目的を持ち、生きる意味を見出し、その意味への意志を日常に実践しました。

ヴィクトル・フランクルがナチの強制収容所で意味を見出したのと重なりました。ネルソン・マンデラ氏が居ることが大きな支えであり、多くの違った活動グープがまとまって行ったのだと思いました。

共産主義のグループ、活動に武器を持とうとするグループなどいろいろなグループがあり、また政府の国民党と、対立する中で新しい南アフリカの姿を諦めずに話し合うことを進めました。

対立する相手と話し合うことでその相手が仲間になりました。諦めずに話し合い、対立しても話し合い、それを続けて行くことがいかに大切かということが伝わって来ました。


駅の匂い/音 意識すると様々な情報が見えて来る

2014-02-11 00:29:24 | ブログ

駅の構内を歩いていたら、めん汁の鰹節の匂いがしてきました。うどんとお蕎麦屋さんが。もう少し行くとバターの匂いがして来ました。ステラおばさんのクッキー。様々な匂いがあります。また様々な音もあります。前に弱視の人と池袋駅に向かっていたら、まだ改札口が見えないところで、弱視の人が改札口はこっちの方とか言われ驚いたことがありました。遠くから改札口のパタパタの閉じる音がわかるそうです。周りは大きな音で私にはわかりませんでした。

E&C(共用品推進機構)プロジェクトに前に数年参加していました。それはバリアフリー化を進める活動で、障がいのある人と障がいのない人が一緒に協力して進めていました。E&Cプロジェクトには10幾つものグループがあり、私は取扱説明書班に属していました。弱視の彼女と同じグループでした。シャンプーとリンスの容器が同じで区別がつかないことで、シャンプーにぎざぎざを付けることを提案したのが、このE&Cプロジェクトでした。花王が最初に採用し、続いて他の会社も採用しました。

たくさんの匂いや音があっても、人はそこから選択しているようです。騒音の中でも話ができるのは、相手の言葉だけを選んで聞いているからできるようです。

シーザー(ユリウス・カエサル)の言葉

人間なら誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は見たいと思う現実しか見ていない」

見えているものは、一部なのかもしれないと自分を客観的に観る心も大切なのでしょうね。ロゴセラピーではそれを自己距離化と呼んでいます。


受験/不安と共に 運不運をどう受け入れるか

2014-02-10 00:40:30 | ブログ

飯田橋の駅を降りたら、東京理科大と法政大学の入学試験の会場案内の人が立っていました。受験なんだと思って周りを見渡すと受験生らしい人がいました。先日も駅に中学受験の予備校の先生が立っていて受験生を応援していました。

自分の受験を思い出しました。田舎の高校で、浪人はしたくないとの思いが強く、願書を私立に5校、国立に2校(当時は一期校と二期校)出しました。この私立に落ちたら、ここを受けるなど、いかに浪人しないかを考えました。

国立入試の前日に見た英語の発音記号の問題集に類似の問題ができ、いつも取れない点が取れました。物理はどの分野の問題が出るかで出来が左右しますが、幸い得意な分野がでました。大学院の試験では有機化学の1問がまったくわかりませんでした。ある化合物の構造がわからないので解けませんでした。その後の授業の期末試験で出された問題は大学院の有機化学の試験問題の候補だったが採用されなかったものでした。その問題はクラスで一人だけ解けました。

試験には運不運が大きいです。もちろんある程度の実力があった上でのことですが、試験問題の運不運で人生も変わって来ます。

モーグルの上村愛子選手は素晴らしい滑走でしたが、残念ながら今回も前回に引き続いて4位でした。5年連続オリンピック出場自体が素晴らしいことですし、さらに5年連続入賞も立派な結果です。最後の選手が滑る前までは3位でした。その選手が失敗していればメダルが取れていました。そのモーグルでも準決勝1位の選手は決勝に進めませんでした。他の種目でも予選トップの点数で決勝進出した選手が二回とも失敗して入賞もできませんでした。その選手の予選の点数は金メダルを取った選手の点数を上回っていました。

本番で力を発揮しメダルを取ることはとて難しいことなのだと思います。心配事があるとそれで体調を崩してしまう場合もあります。不安を自分で考えれば考えるほど不安がさらに大きくなり、それに押しつぶされてしまう場合もあります。戦う前に自分で負ける道を結果として選択しています。心配や不安をいかに大きくしない方法を身に付けることも生きる上では必要なのだと思います。

一番大切なことは、その結果を受けて今どうするか、これからどうするなのだと思います。そうすればマイナスだと思った結果が、大きな意味を持っていたことになり、より良い結果を得るのではないかと思います。「神様はその人の将来のために、その人が耐えられる試練を与えている」との見方もあります。その見方はまさにロゴセラピーの考え方でもあります。ロゴセラピーは、人生にYesと言って状況を受け容れ、その中で価値を創って行くことだとフランクルが言っています。


スティーブ・ジョブズ 2005年6月スタンフォード大学卒業式での演説

2014-02-09 00:10:09 | ブログ

 「リーダーシップの旅」 野田智義 金井尋宏共著にアップルのスティーブ・ジョブズ氏の2005年6月にスタンフォード大学卒業式の演説が紹介されていました。

「自分が死と隣り合わせであることを忘れずにいること、それは、私が知る限り、人生の大きな決断を助けてくれるもっとも重要な道具だ。なぜなら、ほとんどすべてのこと、他人からの期待やプライド、恥をはくことや失敗することに対することに対する様々な恐れ、これらのことは死を前にして消えてしまうからだ。そして本当に大切なことしか残らない。いつかは死ぬと意識していることが、何かを失うのではないかという思考のワナに陥ることを避ける、私が知る限りの最前の方法だ。君たちはすでに素っ裸だ。自分の心のままに行動しない理由など何もない。」 

「君たちの時間は限られている。だから自分以外の人生を生きて無駄にしてはいけない。ドグマのワナに絡め取られてはならない。それは、他人が考えたことの結果に従って生きることだ。他人の意見に、自分自身の内なる声をかき消されてはいけない。そして、最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気をもつことだ。心と直感はどういうわけか、君たちが本当になりたいものをすでに知っている。その他すべては、二の次だ。」

 

楽天の三木谷浩史氏が会社を辞め楽天を始めたのは、 

「一度きりの人生で、やってする後悔とやらないでする後悔だった」

「ラーメン屋の親爺をやって失敗した場合と、興銀の頭取になった場合と、どっちが最後、満足感を得られるか」。

やりたいことをやって失敗するかもしれない選択だったそうです。

 

私は38歳で胃がんで胃を2/3切除しました。幸いその後転移もなくいのちをいただいています。直ぐには考え方は変わりませんでしたが徐々に、時間は有限だということ、やりたいことは今しないと将来できるとの保証はない。他人の目よりも自分の心の目を大切にしたいと思うようになりました。

60歳で退職したのも、自分のやりたいことをやってみたいと思いました。遅い年齢でしたが、今が一番若いのですから。スティーブ・ジョブズ氏と三木谷浩史氏の言葉を自分に言い聞かせています。