幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

佐村河内氏と新垣氏のゴーストライターについて

2014-02-08 03:44:02 | ブログ

皆さんはどう思われたでしょうか?

私は何故今なのだろうかと思いました。高橋大輔選手のショートプログラムの曲になっています。日本音楽著作権協会(JASRAC)は佐村河内氏の曲の使用を急遽停止したとのことです。弁護士がTVでJASRACが停止しているのに使うと著作権法に抵触する恐れがあるとのことでした。ただ、新垣氏の会見で著作権は放棄していることから、佐村河内氏に著作権があるようです。

様々なニュースで、ゴーストライターがいることは音楽や書籍などでも言われています。また、音楽では合作もあるとのことです。有名な人の名前を使って世に出すことはやられているようです。有名人の名前を使うことで販売が増えるからでしょう。ただ、その場合はゴーストライターとして最後まで名前を出すことはありませんが。

記者会見で新垣氏は最初は軽い気持ちで、自分の作曲した曲が人々に聞いて貰えると思ったとのことですが、ゴーストライターとして自然な気持ちでもあるように思いました。ではなぜ今公表したのかですが、佐村河内氏が自伝を出し、明からに嘘を言っていることにこれ以上このままでいることに良心の呵責に耐えられなかったとのことでした。聞こえているのに聞こえないと偽って現代のベートーベンと言われている、交響曲第一番HIROSHIMAは元々違うタイトルで作曲依頼があり作ったら、別のタイトルで原爆被爆を騙ったものになっているなどどこまで嘘の上塗りが行くのかの不安に耐えれなかったこと、佐村河内氏のやることにこれ以上加担することが出来なかったとのことでした。

新垣氏は勇気を持って公表したと思います。著作権法は佐村河内氏が著作権を持っているようで問題なさそうです。詐欺罪の適用はなかなか難し点もあるとのことでした。ただ、TVでの弁護士のコメントでは民事での損害賠償はあるとのことでした。CDの販売停止・回収、佐村河内氏の記事のあった雑誌の販売停止、コンサートの中止・チケット払い戻しがあり、損害費用は数億になるのではないかとのことです。

新垣氏はもうこれ以上国民を騙すことはできないとのことで佐村河内氏に伝えた来たが、理解して貰えずに週刊文春での公表になりました。雑誌が出るとわかり、佐村河内氏の代理人が公表しました。

どこかの段階で少しづつ実態に合わせることはできなかったのかと思いました。もっと早い段階で合作で両者の名前で発表するとか。曲の構成は佐村河内氏がデザインされていたので、両者の作品と思いました。佐村河内氏が新垣氏の公表の意志が固いと判断し、今回の結果を招く前の準備、即ち雑誌でのインタビューは断る、コンサートは体調不良など理由に控えるなどしてから公表するなどができなかったのかと思いました。高橋選手の演技の前であり、その影響が心配でもあります。JASRACが演技前に使用許諾を早く判断して欲しく思います。

人は間違いを犯します。最初は小さなことだったことから始まることも多くあります。今回のようにそれがだんだん大きくなっていくと、どの段階で正すかは難しく勇気が要ります。それを早い段階で正すこと、それを行う勇気が必要です。早い段階で正さないとどんどん嘘のための嘘が増えて来ます。

チャップリンは、「人生に必要なのは、勇気と希望と少しのお金」と言いました。新垣氏は苦しくても勇気を持って自分の胸の内を公表しました。佐村河内氏にもきっとそうなった背景があったと思います。勇気を持って公表することが、佐村河内氏のこれからの人生に必要なのではないかと思いました。


心を幸せにする些細な行為  できることから

2014-02-07 00:29:22 | ブログ

大宮駅の改札を出たら、白杖を突いた方が自動改札口の側を横切って歩いていました。目の不自由な方が通常歩いている通路とは違っていました。通常は点字ブロックの上か近辺を歩かれています。

前に視覚障がい者の方に朗読ボランティアをやっていたこともあり、視覚障がい者の方と一緒に行動したり、旅行したことがありました。そこでいろいろ話を聞いたり、ガイドヘルプをしたり、ガイドヘルプ時の注意事項を教えて貰ったりしました。一緒にお風呂に入ってガイドヘルプもしました。

視覚障がい者の方から、阪神淡路大震災の時に声をかけてくる人や手を引っ張る方が増えたと聞きました。声かけはよいのですが、突然手を引っ張られると怖いとのことでした。白杖を突く右手が目に相当するので、右手を引っ張られると怖いとのことでした。よいヘルプは声をかけて、何かヘルプが必要か尋ねて貰うことだと言われていました。

それ以降、白杖を突いている方を見かけると、暫く様子をうかがうことにしています。道を逸しておられるのかそれともわかって歩いておられるのかを見るようにしています。前に池袋駅の改札出たら、白杖の杖を突いてちょっとウロウロされている女性の方を見かけました。きっと、道を逸しておられると思い、声をかけました。やはりそうで、東武デパートの受付案内まで行きたいとのことでした。そこで彼女の左側に周り右腕を貸しました。白杖とは逆の手でガイドヘルパーの右腕を掴みます。東武デパートの受付まで案内しました。デパートでは視覚障がい者のために買物案内サービスがあります。

大宮駅の改札を白杖を突いて横切っている方に声をかけました。東武野田線に乗りたいとのことでした。案内しましょうかと声をかけるとお願いしますとのことで200mくらいガイドヘルプをしました。段差がある時には手前で段差があることを伝えました。手前の階段を使うか奥の階段を使うか尋ねました。エスカレーターに乗る手前で少し立ち止まりエスカレーター乗りますよと伝えました。改札口まで案内しました。

時間にして5分くらいでしょうか。案内したことでささやかな心の満足を頂きました。きっと、それは私の身体に幸せホルモンが分泌されたのでしょう。瀬戸内寂聴さんがよく言われる”亡己利他”(もうこりた)、己を亡くし、他を利するの精神なのだと思います。本当の幸せを求めるなら、この4文字の実践ですと。

ガイドヘルプの経験があるからできるのだと思います。先日も白杖を突いた方が電車に乗って来られました。目が見えないと席が空いていてもわからない、そんな時、「席が空いていますがどうされますか?」と声をかけて貰えるとありがいたと聞いていました。尋ねると席に座りますと言われたので、席まで案内しました。

「世界を変えよ」 グループ;ハート to ハート

“時の流れは変えられないし 誰にも季節は変えられない
だけど誰かの心を変えれば そこから世界は変わっていく
あなたから家族友達 少しずつ変えよう世界を
あなたにも世界を変えることができる さあ始めよう

川の流れや雨は止められない 太陽の光も消せないけれど
微笑むことはあなたにもできる 小さな愛から世界は変わる
あなたから家族友達 少しずつ変えよう世界を
あなたにも世界を変えることができる さあ始めよう“

マザーテレサの言葉

私たちには大きなことはできません。
ただ、小さなことを大きな愛を持ってするだけです。


大きな障害に出くわしたら ロゴセラピーから

2014-02-06 02:33:02 | ブログ

皆さんは大きな障害に遭ったら、どうされるでしょうか?「夜と霧」の著者ヴィクトル・フランクルが始めたロゴセラピーの観点から考えてみたいと思います。

ヴィクトル・フランクルはナチスの収容所での体験は、まさに自分が考え出したロゴセラピーの有用性を自ら試す機会になりました。

ロゴとはギリシャ語で意味と言う言葉です。キリスト教では言葉との意味です。ヨハネ福音書に初めに言葉があった。とありますが、その言葉はLogosなので、初めに意味があった。との解釈もできます。

1942年フランクル一家(両親、妻、フランクル)はチェコのテレージエン・シュタット強制収容所に送られました。1943年父ガブリエルはそこで栄養失調で亡くなります。1944年フランクルはアウシュビッツの収容所に送られることになりました。母エルザとの別れでした。フランクルが送られた後、母は亡くなりましたが、フランクルは戦争が終わるまで母の死は知りませんでした。フランクルが移送されると知った時、妻ティリーはどこまでもフランクルに付いて行きたいと思い、フランクルの反対を押し切って一緒に行きます。ティリーは軍需工場で働いていたので留まっていれば、2年間はいのちの保証があったのですが・・・。アウシュビッツに着くと男女は別にされました。フランクルは、1945年4月27日当時収容されていたテュルクハイム強制収容所で解放されました。その後しばらくして母と妻の死を知りました。「フランクルの生涯とロゴセラピー勝田茅生著より抜粋。

ユダヤ人は600万人殺害されたそうです。フランクルがその死の恐怖の中で、生きようと思った目的は、母と妻に再会することでした。もう一つがロゴセラピーの考え方を伝えることでした。

フランクルは収容所で頑強な人でも「もうだめだ」と思った人が早く体調を崩しガス室に送られるを見て来ました。どんな過酷な環境においてさえ、そこで生きる目的を持つこと、即ち自分の生きる意味を見出した人は最後の最後まで生きようとしているのを見ました。

大きな障害に出くわすと、その障害に遭っても意味を見出すことができるかが重要になります。障害の先に目的があったと思います。その目的が大切なものであれば、障害があっても何とかしようとします。しかし、目的が脆弱なものであれば、障害により諦めます。その目的は所詮それだけのものだったのかもしれません。意味(障害の先の目的)への意思があって初めて障害に逃げずにその場で取り組んで行くのだと思います。

何とかしたいとの思いがあれば、何とかなって行きます。時間がかかる場合もあります。そのための努力が必要なのだと思います。

私の体験ですが、結婚の時、相手の両親に反対されました。家内は結婚したいけど、両親の反対を押し切ってまで結婚することの不安でどうしようもできないでいました。両親に結婚を認めて欲しいと手紙を出しました。母親からはがきで断りの返事が来ました。行書の達筆で読めませんでした。ただ、何となく断りだなと理解しました。読めなかったのが良かったのかもしれませんが。両親に会いに行きましたが、門前払いで家にもあげて貰えませんでした。

どうするか。諦める。諦めない。その時は自分が好きな人との結婚を反対されると、これから何か大きな障害が起きると直ぐに諦めてしまうのではないかと思い、逆に何とかしようと思いました。両親と私の我慢比べだと思いました。客観的に観てもそこそこの収入があり、次男だし当時の結婚で男性に求める条件としては良かったと思うのですが、両親は医者と結婚させたいようでした。

反対されてから、家内の不安を和らげるように努めました。そうしていると2か月後、両親が認めてくれ逆に早く結婚したらよいとまで言われました。ある雪の多い日に電車で2時間かけ家内に逢いに行きましたが、家内は雪が多くて実家から駅まで車が出せません。結局逢えませんでした。泣きながら雪かきしたと聞きました。必死に雪かきしている娘(家内)の姿を両親が見ていたのかもしれません。鎌田實諏訪中央病院名誉院長は”頑張らないけど諦めない”生き方を推奨されています。諦めないということは、障害が私の人生に遭っても、その障害にYesと受け容れ何か意味を考え、価値を創っていくことなのだと思います。ロゴセラピストは他のセラピストと違って、先ずは自分がロゴセラピストとして自分の人生にYesと受け容れ価値を創りながら生きて初めて他の方にロゴセラピーを伝えることができます。

インド独立の父ガンジーの次の言葉が好きです。

”誇りは、自分から投げ捨てない限り、誰もあなたから奪うことはできない”

ロゴセラピーの考えを加えると次のようになるように思います。

”人生は、自分から投げ捨てない限り、最後まで人生に意味を見出せる”


三匹の子ぶたのお話 元の話は厳しい(グリム童話) 

2014-02-05 00:11:26 | ブログ

「異文化時代の国語と国文学」  井上英明著 ニュージーランドと英国で12年

この本の中に三匹の子ぶたの話がありました。

皆さんは、三匹の子ぶたのお話はどのように覚えていますか?私は、一番上が藁の家、二番目は木の家、三番目はレンガの家を造りました。狼が来て、藁の家は吹き飛ばされ、一番目の子ぶたは二番目の木の家に逃げ込みます。狼は木の家を同じように吹き飛ばしてしまいます。二匹はレンガの家に逃げ込みます。狼はレンガを吹き飛ばそうとしますが、家は壊れません。狼は煙突から入ろうとしました。煙突の下には熱湯の鍋があり、狼はやけどを負い逃げて行きました。しっかりした家を建て(何かをするには努力を積み重ねて)なければとの教えでした。

グリム童話に載っている最初の話では、一番上と二番目の子ぶたは狼に食べられてしまいます。レンガの煙突から入った狼は熱湯で釜茹でされ死んでしまい、狼は料理され三番目の子ぶたに食べられてしまいます。この話での教訓は多様性だそうです。狼という大きな環境変化が子ぶたに襲ってきました。三匹はそれぞれ違った多様性で暮らしていました。二匹は殺されてしまいましたが、一匹は残りました。多様性が生き残る秘訣だとの教えです。三匹が一緒にくらしていると家は藁の部分、木の部分、レンガの部分でできた家になります。狼は藁か木の部分から侵入し三匹とも食べられてしまいます。離れて違って居ることで生き残ります。

生物にはオスとメスに分かれて生殖しているものが多くあります。それは精子と卵子が結合することにより、様々な遺伝子を持った子孫が誕生します。多様な遺伝子を持っていると、何か大きな環境変化や病原菌/ウイルスがあっても生残るものが存在します。様々な遺伝子を持った子どもが生まれるのは人が生き残るために必要なのです。

微生物やウイルスなども薬で殺されますが、生き残るものが存在し、それがその薬に耐性を持つようになります。そして生残って行きます。

いろいろな人がいます。いろいろな人がいることが素晴らしいことなのです。一人ひとり違います。違っていることが素晴らしいのです。人と比較して一喜一憂するのではなく、自分の自分らしさを大切にしていくことが素晴らしいことなのだと思います。違っているこの私を慈しみたい。


キング牧師に見るリーダーシップ 「リーダーシップの旅」 野田智義 金井尋宏共著

2014-02-04 01:25:36 | ブログ

「リーダーシップの旅」 野田智義 金井尋宏共著に、

キング牧師が1963年8月28日に「仕事と自由のためのワシントン大行進」の演説で繰り返した有名なフレーズ「アイ ハブ ア ドリーム(私には夢がある)」から、リーダーシップについて述べられており、興味深かったので紹介します。

http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-king.html より一部引用

私には夢がある。

それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。

 

私には夢がある。

それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。

私には夢がある。

それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。

私には夢がある。

それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。 

キング牧師は私はと一人称で演説しました。私たちとしていたらインパクトはどうだったでしょうか?最初は一人で始まり、そして人々が付いてきて私たちになります。先ずは自分が始めることがリーダーシップの旅であるとのことです。

キング牧師は最初一人で人種差別に声を上げました。それに賛同する人々が付いてきました。

本より;

リーダーシップの旅

1.リード・ザ・セルフ(自らをリードする)

2.リード・ザ・ピープル(人々をリードする)

3.リード・ザ・ソサエティ(社会をリードする)

例;映画「フォレスト・ガンプ」

 恋人に振られ一人で走り始める。その内一緒に走りたいと言う人が出て来る。TVでも放送され社会に認知される。先ずは一人が始める。

先ずは、

私がどうするかなのですね。私がどうしたいかなのですね。