幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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アンネの義姉「重荷だった」 日記に書かれなかった苦難 ”ヒトラーの命令に逆らえなかった”

2015-09-20 10:55:05 | 社会
http://digital.asahi.com/articles/ASH5R6VPYH5RUHBI02L.html ロンドン=玉川透 2015年6月11日

 「アンネの日記」で知られるアンネ・フランク(1929~45)の「影」と呼ばれたユダヤ人女性がいる。同い年の友人で、後に義理の姉となるエバ・シュロスさん(86)。アンネはナチスの強制収容所で命を落としたが、エバさんは生還した。戦後70年の今、義妹アンネへの複雑な思いと激動の半生を語った。

 「アンネには、少女とは思えない、どこか近寄りがたいオーラがあった」

 ロンドン市内の自宅で4月、エバさんはアンネとの数奇な縁を語り始めた。

 エバさんは1929年5月、ウィーンで製靴工場を営むユダヤ人中流家庭に生まれた。両親と3歳年上の兄との穏やかな暮らしに暗雲が垂れこめたのは33年、エバさん4歳の頃。隣国ドイツにヒトラー政権が誕生し、ユダヤ人排斥のうねりは欧州に広がっていた。

 10歳になった39年、第2次大戦が勃発。一家は追われるように、オランダのアムステルダムに移り住んだ。近所に住んでいたのが、同い年のアンネ・フランクだった。

 「アンネはファッションやヘアスタイル、男の子にも興味があった。うぬぼれも強く、おしゃべり。私とは正反対だった」と、当時を振り返る。アンネは「友人の一人」に過ぎなかった。その後、2人の人生が複雑に絡み合うことなど予想もしなかった。

 まもなく、オランダにも独軍が侵攻。エバさん一家は抵抗組織の助けで、隠れ家に潜んだ。同様に身を隠したアンネに会うこともなくなった。潜伏生活が2年余り続いたある朝、「密告」を受けたナチス親衛隊に踏み込まれる。

 一家は拷問にも等しい取り調べを受け、ポーランド南部のアウシュビッツ強制収容所へ。最愛の父と兄から引き離され、エバさんは母のエルフリーデさんと共に近くのビルケナウ強制収容所に入れられ、飢餓と過酷な強制労働でやせ衰えていった。シャワー室に入れられるたびに「毒ガス」におびえ続ける日々。便所はバケツ1個。5人が一つのコップで奪い合うようにスープをすすった。家畜のような扱いに何度も高熱を出し、生死の境をさまよった。

 収容から約8カ月後の45年1月27日、ソ連軍が収容所を解放。エバさんは九死に一生を得た喜びをかみしめる間もなく、父と兄の悲報を知る。「兄は終戦の約1カ月前、父はわずか3日前に力尽きた。私と母が無事なことも知らずに」

 アンネも独北部の収容所で命を落としたが、生き延びたアンネの父オットーさんが戦後、エルフリーデさんと再婚。エバさんはアンネと義理の姉妹となった。

 「重荷だった。その後の私の人生は、まさに『アンネの影』だった」

嫉妬を捨て「日記」の続編

 「アンネの日記」がオランダで初出版されたのは終戦直後の47年。その後、世界中に広まったが、そこには父オットーさんの熱心な「宣伝」があったという。

 「オットーは、アンネを救えなかった自分を責め続けた。アンネが残したメッセージに救いを求めた」と、エバさんは考える。

 だが、当時のエバさんの心に、アンネの言葉は「響かなかった」。アンネが日記の中で「人間の本性は善だと信じている」と吐露するが、エバさんは「収容所での経験をする前に書かれたものだから」と思わずにはいられなかった。収容所には冷酷なナチス将校だけでなく、生き残るためには他人を顧みない収容者もいた。極限状態の「人間の本性」を見せつけられた。

 エバさんの憎悪は、ナチスの残虐行為を止められなかった「世界」にも向けられた。アンネに執着する継父オットーさんへの複雑な思いもあった。心の中に渦巻くどす黒い感情。「この世にいないアンネばかり注目され、生き残った私は苦しみを抱えて生きている。それが許せなかった」

 救いの手を差し伸べたのは、他ならぬオットーさん。「人を憎めば自分を惨めにするだけだ」とエバさんに諭し続けた。いてついた心はぬくもりを取り戻していった。「私はアンネに嫉妬していたのです」

 エバさんは収容所体験を人前で語ろうとはしなかった。終戦直後、世間に過去を振り返る余裕はなかった。「数十年たって世間に心の準備ができた時、元収容者の多くは偏見を恐れて過去を語りたがらなかった。子どもたちに重荷を背負わせたくなかった」

 転機は40年以上たった86年。ロンドンで「アンネの日記」のイベントに招かれ、促されるままに収容所体験を初めて告白した。聴衆は衝撃を受け、「アンネの続編」を書いて欲しいという依頼が殺到。迷った末、受け入れた。「アンネの日記は素晴らしいが、収容所のことは書かれていない。それだけでは真のホロコースト(ユダヤ人らの大量虐殺)を伝えることはできない」と考えたからだ。

 エバさんは戦後、しばしば悪夢に襲われた。自分と母が、ガス室に送られる「死の選別」を受ける場面だが、「収容所体験の話を人前でするようになって、悪夢はとまった」と言う。

 戦後70年の今年、エバさんは各地のイベントや学校で講演している。終戦記念の5月8日の前後には、ドイツのテレビ特番にも出演した。

 ナチスの残虐行為について「ヒトラーの命令に逆らえなかった」と釈明する将校もいるが、エバさんは「多くの人が当時、残虐行為に喜んで手を染めていた」と憤る。一方で、ドイツ人の若い世代に、こう諭す。「祖父母のしたことに罪の意識を感じることはない。ただ歴史を学び、それを忘れないでいてほしい」(ロンドン=玉川透)
     ◇

 〈アンネの日記〉 アンネ・フランクはナチスのユダヤ人迫害から逃れるため、アムステルダムの隠れ家に家族とともにこもった。44年に逮捕され、ドイツの強制収容所で15歳の生涯を閉じた。隠れ家での生活、戦争や家族への思いをつづった日記は世界的ベストセラーになり、60以上の言語に翻訳されている。

感想;
ヒトラー一人で、ユダヤ人600万人を殺害することはできませんでした。
ヒトラーを支援した人、命令に従った人も多くいました。
ミュンヘンの大学でヒトラーのやっていることを非難したビラを撒いた女子学生は裁判で死刑になり処刑されました。
「国民の戦意を損ねた」が罪でした。
ヒトラーが実権を握ってしまうと誰も阻止することができなくなってしまいました。
ドイツはワイマール憲法という素晴らしいものを持っていましたが形骸化されて行きました。

麻生副総理が「ヒトラーに学んでワイマール憲法を形骸化したみたいに、日本もやればよい」と発言し批判をあびました。
憲法解釈を内閣で変更する、まさに麻生副総理の言った通りになってしまいました。

「無残な政治」「自立大切」 安保法成立で芸能界も発信 ”米国との約束優先!”

2015-09-20 10:33:33 | 社会
http://digital.asahi.com/articles/ASH9M4S0NH9MUTIL011.html2015年9月20日

 安保関連法が成立した19日までの数日間、著名人も様々な反応を示した。
タイムライン安保審議

 俳優の仲代達矢さん(82)は19日、東京・有楽町であった映画「NORIN TEN 稲塚権次郎物語」公開初日のあいさつで、「戦争を経験し、食糧難で農業の大切さを痛感しています。ここ最近、きな臭い出来事が多い中で、この作品を皆さんがどう見てくれたか知りたいです」と話した。演じるのは、世界の食糧危機を救う小麦を生み出した男だ。「最後にひとこと申し上げたい。戦争法案が通過しました。与党、野党含めて政治家の皆さんにこそ、ぜひこの映画を見ていただきたい」

 「男はつらいよ」シリーズで知られる映画監督の山田洋次さん(84)は19日、「この国の政府が誠実に国民の声に耳をかたむけ、真剣に国民の幸福と世界の平和について考える政府であったならば今回の強行採決という目を覆うような無残な政治はなかったはずです。今日は日本人としてとても悲しい日です」とのコメントを発表した。

 ツイッターでの発信も相次いだ。元プロレスラーの高田延彦さん(53)は18日、採決強行を見込み、「立憲主義の破壊ですか?」「米国とはパートナーの関係とは程遠い親分子分の主従関係だもの。使いっぱ法案ですな」などと、政府与党の姿勢を批判。一方、タレントのつるの剛士さん(40)は19日、「家族を愛して、自分を愛して、そんな自分が生まれ育った国を愛する気持ちさえブレなければ、僕は右も左も中立さえも関係ないと思っています。先(ま)ず大切なのは自立ですね」とつぶやいた。
     ◇

■安保法成立前後の著名人の発言(敬称略)

茂木健一郎(脳科学者)

違憲の安保法案、「形式的に」成立。しかし、今後、違憲訴訟続出。賛成議員の落選運動活発化。安倍さん、自民党、公明党、歴史に汚点を残してしまったね。もうとりかえしはつかない。しかし、自業自得だ。(19日、ツイッター)

尾木直樹(教育評論家)

こんな成立のプロセス 国民の意志とは 方法論も違いますね… 育った ・戦争反対 ・憲法守れ ・民主主義守れ 大きく 大きく 日本列島 包んでいますよ 空洞化した国会で 可決しただけ 民意 高まり 一人一人の平和への意識の高さ

素晴らしいです(19日のブログから抜粋)

ビートたけし(タレント、映画監督)

法律で決めなきゃいいのに。日本は商人なんだから、「へえ、へえ、へえ」って、「法律で決まってませんよ」って言いながらも、そーっと裏できたねえことしてた方が日本らしいなと思うんだよな。「法律で決まってんだ」って言ったって、そううまくいかないよ。(19日、TBSの番組「新・情報7daysニュースキャスター」。番組冒頭で安保法成立の話題を受け)

為末大(元プロ陸上競技選手)

安保法案は、現状がどうであれ最高の選択をするべきだという価値観と、現実から考えてまだマシな選択をするべきだという価値観の対立に見える。(19日、ツイッター)

つるの剛士(タレント)

家族を愛して、自分を愛して、そんな自分が生まれ育った国を愛する気持ちさえブレなければ、僕は右も左も中立さえも関係ないと思っています。先(ま)ず大切なのは自立ですね☆(19日、ツイッター)

高須克弥(医師)

政治はリアリズム。これで中国の拡張にストップがかかる。とにかくめでたい。(19日、ツイッター)

坂上忍(俳優)

武器持たないで憲法9条持ってりゃいいんじゃないの。だって被爆国なんだから。被爆国にしかできないことってあるわけで、僕、今だからこそ武器持たない日本でいて欲しいなっていうのは、強い思いですかね、どちらかというと。(18日、フジテレビの番組「バイキング」。安保法案への賛否を問われて)

鈴木奈々(タレント)

私は反対です。やっぱり、0.1%でも戦争に巻き込まれると思うと、そうなる確率が増えると思うと、すごく不安で怖くて、決まって欲しくないなっていう気持ちですね。だから、選挙で私たちも巻き込んで、選挙して決めて欲しいという気持ちですね。(同上)

エスパー伊東(お笑い芸人)

戦争なんか利益の奪い合いによる殺人だから良くない。だからと言ってただ「戦争反対」と言い続けるのが解決法とは思えない。他国が侵略攻撃して来ないように抑止力、歯止めをかける必要がある。しかし、昨日の国会を見たら安保法案を強行可決した感があり、ゴリ押しだ。(18日のブログから抜粋)

高田延彦(元プロレスラー)

数いりゃナニやってもOK、これ民主主義じゃあないですよ、独裁、独裁政治です。(17日、ツイッター)

三村マサカズ(お笑い芸人)

安保とか俺なんにもわかんないけどこんなに揉(も)めてるならなんかおかしいんじゃないの。俺の望む日本って、ケンカしたらつよいけど絶対しない。これが格好いい。(17日、ツイッター)

感想;
政府に反対意見を述べるのは勇気が要ることです。タレントだと番組に呼ばれない可能性があります。
特に、フジテレビ、日本/読売テレビ、NHKは安倍首相よりですので。
自民党議員も問題点を述べると次期選挙で公認されないので、発言ができません。

米国に8月までに成立させると約束したので、それを守ることが、日本の将来を皆で考えるより優先しているのでしょう。
来年の参議院選挙での投票結果が、今回の自民党、公明党の強行したことに対しての選挙での国民の意思表示なのでしょう。

阿川佐和子さん 「サワコの朝 ピーターさん」  "裸の付き合い 一緒にジャグジーに!”

2015-09-19 08:18:48 | 生き方/考え方
すっぽんぽんを見られた人。ピーターさんのジャグジーに入った。
地唄家元 人間国宝 吉村雄輝の長男として生まれ、小さい時から踊りを習って舞台に立った。
「夜と朝のあいだに」が レコード大賞新人賞受賞。 黒澤明監督の映画「乱」に出演した。
断捨離をして、終活かと言われた。これから生きるために行ったのに。

還暦を過ぎて、昭和27年生まれ。阿川さんは28年生まれ。
男性なのか?女性なのか? 雑誌がインタビューしても女言葉で書かれた。
女になりたいと思わなかった。中性の仕事をしていた。オックスのメンバーに似ていると言われた。中性的な先駆け。
初めて観たミュージカルの曲、サウンドオブミュージックの中の曲「アメリカ」
遠い記憶が蘇ってきた。ラテン系が好き。自分は西日本。

7歳で両親が離婚。家で2回。母の実家鹿児島に行った。母のために一所懸命勉強した。ラサール中学に入った。レールに敷かれるのが嫌だった。家からとにかく離れたかった。大阪に行ったが、父に見つかると思って、そして東京まで行った。平凡パンチの情報だけ。15歳で渋谷の表参道に行ったそこでチラシを見て、原宿でゴーゴーダンスの募集がありそこで働いた。給仕をして合間に踊っていた。お客さん出来ていたある女性から尋ねられ、「吉村流のの家元の子ども」と言ったら、その人は踊りの関係者で父に伝わって、その時父は歌舞伎座に出ていた。思いがけない父との再開になった。大阪で父と暮らすことにした。桃山学院高校に入った。10年振り父との生活。日本舞踏を押しつけられた。踊りにブランクがあり、父は跡取りにと慌てた。それが嫌でまた家出した。
結婚する気は全然ない。仁科亜希子さんを好きだった。仲が良かった。芸能界に入ったことで諦めた。芸能人は汚れる。芸能人と結婚したくない。親が芸能の仕事をしていて一緒に食事にできない。父の愛情に飢えていた。父は6歳で貰われた。子どもにどう接してよいかわからなかったかと思う。父は息子に厳しかった。父のようになるのが怖いと思った。自分が家庭を持って子どもにじゃまされるのは嫌だし、結婚には向いていないと思った。子どもに寂しい思いはさせたくない。父に対してコンプレックスはなかった。父とは親しくした。3つの名前で仕事をしていた。父から「それぞれ100%でなく300%やらなあかんで」と言われた。
高輪会を開催していた。芸能界のパイプ役、ゴルフやった後、矢作さん、ピーター、サワコさん 3人でお風呂に入った。私(ピーター)は2人の緩衝材になってよいでしょう。矢作さんは私の方を見なかった。高輪会も幕を閉じた。熱海に家を建て、葉山にも家を建てた。海に近いところに住みたかった。お酒飲まなかったのでそれを家に注ぎこんだ。60代を迎えて考えたこと、やりたいことが100個くらいある。それをやりたいと思って整理した。物を持つことの罪悪感があり、棄てることにした。断捨離した。そうしたら、周りから終活ですか?と言われた。かってに終わりにするな!と思った。
キャンピングカーを買って日本全国回りたい。60歳を過ぎると億劫になる。
ジャンプするために沈むでしょう。今は力を蓄える時期。ずっと幸せ。嫌なこともあって。
こういうことを言える相手が欲しい。
「Youd Be So Nice to Come Home To」
阿川さんと2歳違い。 大人っぽい感じ。ずーと自分のことを思ってくれている人が欲しくはない?
自分のことを思ってくれている人は欲しい。でも一緒に暮らしたくない。一緒に食事したり、一緒にいたりして、一緒にいたい時にいてくれる人が欲しい。阿川さん「そんな人はいるかい」。(笑)

鴻池氏「これは強行ではない」 採決、野党は猛反発  ”鴻池氏の思う強行とは?”

2015-09-18 02:24:24 | 社会
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e9%b4%bb%e6%b1%a0%e5%a7%94%e5%93%a1%e9%95%b7%e3%80%8c%e3%81%93%e3%82%8c%e3%81%af%e5%bc%b7%e8%a1%8c%e3%81%a7%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%84%e3%80%8d/ar-AAephTq?ocid=spartandhp#page=2朝日新聞デジタル

 採決に反対する野党の怒号が飛び交うなか、安全保障関連法案が17日、参院特別委員会で可決された。与党は審議は十分尽くされたとして参院本会議での成立を急ぐが、民主党など野党は「可決は認められない」と強く反発。安倍内閣不信任決議案の提出などで徹底抗戦の姿勢を強めている。

 自民党の鴻池祥肇(よしただ)・特別委員長は可決後、記者団に「審議はほぼ尽くされたという風に感じた。いい時期だと思ったので、ああいう形で採決に至った」と語った。採決はこれまでの審議を締めくくる総括質疑を省略し、反発する野党議員が委員長席に詰め寄るなかで行われたが、鴻池氏は「これは(採決の)強行ではない」と強調。自民、公明両党に加え、次世代の党、日本を元気にする会、新党改革の3党が賛成に回ったことを理由に挙げた。

参院特別委で自身の不信任動議が否決され、委員長席に戻る鴻池祥肇委員長=17日午後4時28分、国会内、西畑志朗撮影© 朝日新聞 参院特別委で自身の不信任動議が否決され、委員長席に戻る鴻池祥肇委員長=17日午後…
 次世代の和田政宗幹事長も「今回の法案は不測の事態に備えるために重要だ」と採決の正当性を強調した。

 公明の山口那津男代表は可決後の議員総会で、混乱の中での採決になったことについて「決して国民が望むべき姿ではないと思うが、この議会で結論を出す進め方としてやむを得なかった。こうしたことが今後、起きることは望ましいことではない。これを教訓にして、しっかり議会制民主主義のあり方をきちんと正常な機能に戻していかなければならない」と語った。

 さらなる審議を求めてきた野党は猛反発している。

 民主党の枝野幸男幹事長は「これをもって可決されたとするならば、到底許されない暴挙だ。他の野党とも連絡をとって、最大限これに抗議し、戦っていく」と批判。維新の党の松野頼久代表も「いきなりの採決は言語道断だ」と反発。同党は一時、与党との修正協議を進めていたが、「全く無視された形だ。あの時間は何だったのか」と憤った。

 安保関連法案については、多くの憲法学者が「違憲」と指摘しており、共産党の井上哲士参院幹事長は「法律自身が憲法違反だが、このやり方自身が本当に民主主義を壊すやり方で断じて認められない」。社民党の福島瑞穂氏も「安倍政権は議論するほど問題点が明らかになり、反対が広がるので、国民の声を恐れて強行採決を急いでやった」と批判した。

生活の党と山本太郎となかまたちの山本太郎氏も、総括質疑を省略して採決に入ったことを問題視し、「現在の国会の中に民主主義はないということだ。この国に生きている人にこの状況をしっかり見てもらいたい」と話した。

感想;
公明党の山口代表は適切ではなかったと発言されています。自民党との連立、しいては選挙協力を維持されたのでしょう。
次世代の和田政宗幹事長は「今回の法案は不測の事態に備えるために重要だ」と発言されていますが、まさに集団自衛権は不測の事態を招く法案になるのです。

選挙で過半数を得たからと言って、全てを任せたのではありません。国民の声を聴きながら政治を行うことが民主主義ではないでしょうか。それにしても、沈黙の自民党議員はどう思っているのでしょう。選挙の時にどう説明されるのでしょう。

安部首相の独裁を止めるのは、支持率低下と来年の参議院選挙で議席数を下げることなのでしょう。
日本人は熱さをすぐに忘れると言われていますが、忘れないことだと思います。


 

福島第一原発事故で小児甲状腺がん急増 ”安部首相の原発責任は?今は戦争を招こうと”

2015-09-17 03:32:00 | 社会
http://www.sting-wl.com/fukushima-children6.html

福島県小児甲状腺がん及び疑い患者数
西暦 男 女
2011年 5人 10人
2012年 21人 35人
2013年 12人 30人
2014年 11人 14人
合計 49人 89人
男女総計 138人

感想;
第一次安倍内閣の時、共産党議員の大震災時の原発の対応について質問され、「対応する」と言っていながら、何もしなかった結果、福島原発の今を迎えています。
http://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/c0e5e428cc34e875e5a9417fa3f08740
それについて、安倍首相は当時を振り返っていません。
また福島第一原発は世界に向けて "Under Control" と発信していながら、"Out of Control"状態です。
汚染水の流出は続き、汚染土壌は流出、炉心融解は今だに把握できていません。

そして今、集団自衛権を米国との約束を守るために、集団自衛権は国民の安全を守るためと言って、日本国民を戦争リスクにさらそうとしています。
戦争に巻き込まれた時の責任は、福島第一原発の時と同じように、何の責任も取られないのでしょう。

各地でデモが行われ、80%が今慌てずに成立させなくてよいと言っているのに強行採決しようとされています。
安部首相一人の問題ではなく、自民党、支援する公明党の問題でもあります。

強行採決されたら、来年の参議院選挙でNoをつけつけられなければ、日本は戦争に再び巻き込まれてしまいます。
まさに国民一人ひとりが問われているのだと思います。

美輪明宏さんが、集団自衛権に賛成なら、真っ先に戦争に行く、息子を戦地に向かわせればよいと。
その覚悟があって賛成ならそれはそれで確固たる考えなのでしょう。

米国でベトナムやイラクの戦地で闘った兵士が精神的な疾患にさいなまれ、自殺している人が多く、米国では大きな課題です。 注)
そのため、自国の国民をこれ以上戦地に行かせられないとの判断で、日本に一部代行を求めているのです。
自分が、息子が戦地で死亡するかもしません。
無事帰って来ても殺人者になった精神的な苦痛に苦しむのです。
自殺するかもしれません、
そして、家族は大きな悲しみを抱くことになります。
その時になってからでは遅いのです。

安部首相が共産党議員の質問があった2006年に、適切な対応をされていれば、福島第一原発の事故はなかったのです。
日本の安全を強調されていますが、日本を、世界を放射能汚染にされたお一人ではないでしょうか?
急増している小児甲状腺がんは防げたのです。

注)「帰還兵はなぜ自殺するのか」 デイヴィッド・フィンケル著
アフガニスタン/イラクに派兵された兵士およそ200万人。
そのうち50万人が、PTSD(心的外傷後雨トレス障害)とTBI(外傷性脳損傷)に苦しんでいるという事実があきらかなになった。そして残された問題は、精神的な傷を負った兵士たちをどのように治していくのか、果たして治せるのか、というものだった。
毎年240人以上の帰還兵が自殺を遂げているという事実は(自殺を企てた者はその十倍と言われている)、限りなく重い。なぜ、帰還兵は自殺し続けるのか。

日本においても、イラク支援のため、2003年から2009年までの五年間で、延べ約一万人の自衛隊が派遣された。2014年4月16日に放映されたNHK「クローズアップ現代」の「イラク派遣 10年の真実」では、イラクからの帰還後に28人の自衛隊員が自殺したことを報じた。自殺にいたらないまでも、PtSDによる睡眠障害、雨トレス障害に苦しむ隊員は全体の1割から2割にのぼるとあれる。非戦闘地帯にいて、戦闘に直接かかわらなかった隊員にすらこのような影響が出ているのである。