幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

全国いのちの電話の広報誌一覧(HP掲載分)+サマリタンズ翻訳

2021-03-28 04:28:04 | 社会
英国 サマリタンズ 翻訳ページ
コロナ禍の相談状況が掲載されています。
埼玉いのちの電話・よみもの「サマリタンズのホームページより」第27号 (saitama-id.or.jp)
http://www.saitama-id.or.jp/yomimono/samaritans/honyaku27.html


全国いのちの電話広報誌HP掲載一覧
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/inochinokoho.html


ほとんどのセンターが広報誌を出しています。
その多くがWebサイトにも広報誌を掲載しています。
それぞれのセンターのHPまでいかないと広報誌を見ることができません。
そこで、一覧のページを作成し、そこから閲覧できるようにしています。

いのちの電話は英国のサマリタンズが最初です。
埼玉いのちの電話のWebサイトにサマリタンズの広報誌を定期的に翻訳されて掲載されています。
全国のセンターの広報誌一覧にサマリタンズも加えました。

阿川佐和子さん「サワコの朝 米倉涼子さん」 ”自信がない”

2021-03-27 12:33:12 | 生き方/考え方
初めて会ったのは紅白歌合戦の審査員で。私が(サワコ)が舞台から落ちそうになったら、米倉さんが後ろから抱き着いて守ってくれた。なんてステキな人だと思った。
1975年生まれ。視聴率女王。最後の朝

個人事務所。去年4月。タレントは私だけ。17歳からモデルで。「Drsafio(事務所名)」、スペイン語で挑戦するとの意味。これまで楽ちんさせてもらっていた。同じレールに乗っていることが負担。期待を裏切るのが怖くなった。事務所の仕事も自分でしている。今増えて3人になった。
全部失敗したくない。お給料の計算がどういったのが普通なのかもわからない。
福利厚生をいくら持たないといけないといけないのかなど。

記憶に残っている1曲目 プリンセス プリンセス「M」
中学生の時から好きな曲。幼少期からバレーをずっとやっていた。
谷桃子さんにも師事した。
大人になったらこんな風に思うのかなと思っていた。

父はホテルマン。母も元々はホテルマンで専業主婦。
バレーを続けてたので、家計は大変だったかと。
22歳までバレリーナを目指していた。CMのモデルをしたら全国をツアーで回ることになり、バレーのお稽古にいけなくなった。稽古場にいていいんだろうかと思うようになった。
23歳で女優宣言をした。

自分に陰の部分が多いと思っていた。どちらかというと根暗。
背は小さいときから大きかった。
私は小さくていつも一番前(サワコ)。それで先生に言ったら、アイウエオ順にしてくれた。
でもアガワで一番前。
私は背だと一番後ろ、アイウエオ順だと米倉なので「渡辺」さんがいない限り並ぶと一番最後。いつも余っている感じ。
バレーでもそう。前にいくというのができなかった。
後ろから2番目くらい。
「自信がない」。
誰も信じていない(サワコ)。

24歳くらいの時に、思ったことを口にするんだと決めた。
そうしないと主役も取れない。

ミュージカル「CHICAGO」の主演。
この舞台に立ちたいと。(思い出しながら涙目に)
あこがれのミュージカルに立ち会えることが幸せ。
そのレッスンが辛かった。演出家などすべて海外から。
「だれかの真似をしないで」。しごかれた。
大変だったけど、よい思い出。
バレーやっていたから。努力しないと身に付かないとわかっていたから。
本場ブロードウエイに出たいと思った。
冷たく思う人もいたし、温かい日ともいた。
言ったら、心を開いてくれる人もいた。
一週間の公演。
2012年7月。当時36歳。日本人が主役を務めるのは54年ぶりの快挙。
2012年、2017年、2019年と三度も。
わーと出た後は記憶がない。
頑張れて良かったとならなかったので続けておられる。
初めては後悔だけだったので、再度やろうと思った。
台詞を忘れないように、ずっと聞いていた。
自分の声や下手な歌を聞くのは嫌だった。
でも友達が増えた。嬉しい。

やっぱり「自信がない」
学校にもう一度通い直した方がいいのかも。
小さいときから「ダメだ!」と鍛えられたから。
陰口で「よくあそこに立っているね」とか言われているかも。
70%の人は私のこと嫌いではないだろうか。
スカッとはしている。

おじさんから可愛がられているのでは?
岸部一徳、西田敏行さんからも可愛がられていると思う。
西田さんとはLINEをよくやっている。
手術シーン大変。上手いと言われているが? 
練習している。
最初は本当に医者だった。
代わっていたが、自分でやった方がよいので。

2曲目 CHICAGOより「All That Jazz」
私が歌っている歌ではないが。

アベンチャーズ映画「ブラック・ウィドウ」の吹き替えやっている。

「9年半やってきた。私の力不足もあったかと。全てのスタッフに感謝します。私も年を取りました。『徹子の部屋』に負けました。泣かないよ」

感想
サワコの朝が終わったのがとても残念です。
Panasonicの単独スポンサーでした。
Panasonicの社長が変わったからとか。
サワコさんより、綾瀬はるかさんに絞られたのか。
とかいろいろ言われていますが・・・。涙
他にスポンサーに名乗りする企業はなかったのかな?

いろいろな方のこれまでの人生を知るのはとても楽しみでした。
また、教えられることも多かったです。

阿川佐和子さん「サワコの朝」(視聴メモ&感想)

「人はなぜ物語を求めるのか」千野帽子著 ”人間の思考を解き明かす、ふたつのなぞなぞ”

2021-03-26 19:26:26 | 本の紹介
・人間の思考を解き明かす、ふたつのなぞなぞ
1)ある国の、ある村には、伝統的な雨乞いの踊りがある。
  それをやると100%雨が降る、と村人は口を揃えて言う。
  さて、それはいったいどんな踊りか?
2)ある男がその息子を乗せて車を運転していた。すると車はダンプラ―と激突して大破した。
  救急車で搬送中に、運転していた父親は死亡し、息子は意識不明の重体。
  救急病院の手術室で、運び込まれた後者の顔を見た外科医は息を呑んで、つぎのような意味のことを口にした。
  「自分はこの手術はできない、なぜならこの怪我人は自分の息子だから」
  それはいったいどういうことか。

・高橋喜久晴詩集「日常」
 馴れた階段をふみはずす
 何故?
 何故
 と問うときには
 すでに日常の階段をふみはずしている。

・人間を含む動物は、ラッキーなことよりアンラッキーなことを強く記憶に刻みます。チャンスを期待する以上にリスクを恐れて生きています。つまり僕らは、よくないことに注意が偏る生き物だということです。この傾向を「ネガティヴィティバイアス」と言います。

・「公正世界という誤膠」
自分のあれが悪かったとか、前世のおこないがとか、そういうストーリーになってしまうこともあります。

・<なぜ?>と問うてはいますが、ほんとうは、理由が知りたいのではなく、意味が知りたいのではないでしょうか?

・「がっかり」は期待しているときにだけ出てくる希望まみれの言葉 枡野浩一

・『夜と霧』のふたりの強制収容者はなぜ絶望していたのか。それは彼らが(知らずして)人生に期待していたからです。期待していたからこそ、極限状況が不本意(=苦)としてたちあらわれてきたのです。
フランクルは彼らに、<生きる意味についての問いを百八十度転換する>という可能性を示唆しました。
<わたしたちが生きることからなにかを期待するかでなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ>
ドイツ語でも日本語でも、<期待>する(erwarten)の<待>は、待つ(warten)ということです。フランス語なんて、「期待する」も「待つ」も同じattendreです。
すると、ひとりの被収容者は外国で自分を待っている子どもがあることを思い出しました。もうひとりは研究者で、何冊か刊行した段階でまだ未完の仕事が自分を待っているということを思い出しました。
<自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ>
ふたりの被収容者は、自分が人生に期待することをやめたのですから。そして以後は逆に、人生が自分に何を期待しているか、なに(だれ)が自分を待っているかを考えるようになったのですから。
フランクルは『死と愛 実存分析』およびその増補改訂版『人間とは何か 実存的精神療法』のなかで、責任と言う概念を重視しています。責任とは、どうやら、問に答えることらしいのです。

・ギリシアのストア派哲学者エピクテトス
<出来事が君の欲するように起こることを望まぬがいい、むしろ出来事が起こるように起こることを欲し給え、そうすれば君はゆとりを持つことになるだろう>

・高橋和巳医師は、被虐鬱の臨床体験から著した『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』のなかで、幼児期の虐待を経て成長した人を<異邦人>と呼びます。
<異邦人>が抱える生きづらさの根源には、彼らが幼少期に形成した世界観があります。彼らは、自分が主人公である人生物語を、悲観的・自虐的にしか構成できなくなるのです。
彼らは生きづらさを抱えているのです。

・アルバート・エリスの「A・B・C」
A  activating event(きっかけとなったできごと)
B belief(信念)
C consequence(結果)
できごとが人にある感情を抱かせるのは、そもそもその人があらかじめある種の信念を持っているからだというのです。

・<人々を不安にするものは事柄ではなくして、事柄に関する考え方である>(エピクテトス)

・「自分がそれを知らないということ」を自発的に知ることは可能か⇒難しい

・僕らは未知を恐れ、毎日惰性で石橋を叩いている

・<人が捨て去ることのできる最高にして究極のものとは、神のために神を捨て去るということである>『エックハルト説教集』

・<仏に逢ったなら仏を殺せ>『臨済録』

・『大きらいなやつがいる君のためのリベンジマニュアル』豊島ミホ著

感想
どうストーリー(物語)を作っていくか。
まさに自分は自分の人生の脚本家なのでしょう。
不幸なストーリーを作らない。
そのためにどうしていくかがまさに自分に問われているのだと思います。

「自分力を高める」今北純一著 ”肩書に頼らない”

2021-03-25 00:06:46 | 本の紹介
・見失った道を気づかせてくれた1冊の本
『方法序説』デカルト著
森の中で道に迷った旅人は、あちらこちらぐるぐるさまよい歩いてはいけない。もちろん、一か所にとどまってもいけない。めざす方角をいったん決めたら、いつも同じ方角に向かってまっすぐ進め。そうすれば、たとえ自分が出たい場所ではないにしろ、とにかく森の外に出ることはできる。

・エアー・リキード社では上級幹部のポジションにありました。
定年まで勤めあげれば、退職の年棒の7割の年金が死ぬまで支給され、本人が死亡した場合は、その50%が残された妻または夫に死亡時まで支給される契約になっていまいした。私はCVAに移る時に、この権利を放棄して退職しました。
さらなる成長を求めて、居心地のよりエア・リキード社から飛び立つことを、53歳になって決断したのだと思っています。

・都立西高校⇒東大の大学院⇒旭硝子⇒ハーバード大学(旭硝子休職)⇒旭硝子⇒オックスフォード大学⇒バッテル研究所⇒ルノー⇒エア・リキード社⇒CVA社
旭硝子を飛び出したのは自分の意志でしたが、他の転職は、いずれもスカウトによるものでした。

・どんな職場でも、どんな仕事でも、「いいことばかり」なんてあり得ない。これははっきりしています。それともう一つ。「転社」はしてもいいけれど、「転職」はしない方がいいです。

・自分力は、「自立」「個性」「能力」などを総合したもの。自分力とは、その名の通り、自分で身につけ、自分で高めていくものです。

・大切なのは「自分の宇宙」を持つこと。

・私が「若い頃に身につけていたら、今の仕事がもっと楽だったのにな」と思うのは、速記の技術です。もう一つ、習っておけばよかったと思うのは書道です。

・人間というのは、何かで失敗をして死ぬほど嫌な思いをすると、その障害をどんなことをしてでも乗り越えようという前向きな意欲がそこから生まれ、そのための努力を惜しまないものです。

・スティーブ・ジョブズ
“Stay hungry, stay foolish”(ハングリーであれ、愚直であれ)

・「妥協」というのは、やれることを何もやらず、現状に甘んじてしまうことです。

・リスクを取らないことが一番のリスク

・二種類の成長の道筋
1) 日々の勉強や仕事を続ける中で、徐々に能力が上がっていくことです。
2) 何か本質的な変化が起こることによって、一気に能力のステージが上がってしまうもので、比喩的に「量子的跳躍」と呼ばれます。
私にとって最初の「量子的跳躍」は、旭硝子を辞めてオックスフォード大学に行ったことで実体験しました。

・MVP(ミッション、ビジョン、パッション)で夢をかなえる。
「個」が確立すれば、「自分はこれがやりたい」という目標を見出すことができます。

感想
東大⇒旭硝子⇒オックスフォード大学
これで十分な肩書が得られたと思ったが、次の就職口がなかなか見つからなかったそうです。
それで肩書よりも”自分力”を高めないといけないと実感されたそうです。
バッテル研究所では1年1年が勝負だったそうです。
実績が上がらないと簡単に首になったそうです。

確かにぬるま湯に浸かっていると、出たくなくなります。
しかし、”茹でガエル”になってしまうリスクもあります。

捨てることはリスクが大きいですが、何かを掴むチャンスにもなるのでしょう。

「年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声-」吉川ばんび著 ”貧困の連鎖は自己責任なのか?”

2021-03-24 02:48:02 | 本の紹介
・厚生労働省が2015年に行った『国民生活基礎調査』では、日本の相対的貧困率は15.7%。

・目次
1)「見えざる貧困」ワーキングプア     最終学歴    年収  
 ・「トランクルーム難民」         短期大学    100万円
 ・「超激安ネットカフェ」         高卒      110万円
 ・「ゴミ屋敷に暮らす生活保護受給者」   大学      150万円(生活保護)
 ・「軽自動車に住む男」          中学校     55万円
2)「貧困層に落ちる」元サラリーマン
 ・「転職漂流者」             短期大学    150万円(生活保護)
 ・「中年マクドナルド難民」        専門学校    110万円
 ・「社内漂流者」             大学      450万円 
 ・外国労働者の受け入れでクビ」      大学      100万円
3)不法行為に手を染める「暴走中年」  
 ・「暴走あおり運転者」          高卒      210万円
 ・「空き家、不法侵入生活」        工業高校    90万円
 ・「引きこもり中年」           大学      ゼロ
 ・「新型コロナで失職した男」       専門学校    300万円
4)搾取され続ける「貧困女性たちの絶望」
 ・「元専業主婦の悲哀」          短期大学    120万円
 ・「稼げない五十路風俗業」        中学      110万円
 ・「婚活難民女子」            大学      400万円
 ・「貧困娘の一日」            高校中退     72万円

・生活保護受給の相談に市役所を訪れたこともあった。しかし職員は「親族に援助してもらってください」の一点張りで、結局、受給に至らなかった。

・貧困に陥っている人にとって支援を受けることは、以外にもハードルが高い。

・厚生労働省の調査によると、2015年の生活保護の不正受給率は0.45%だった。

・日本にはまだ家族同士で助け合いができない人たちを救う仕組みは事実上、存在しない。

・「マクドナルドはWifiも使えるし、充電もできる。日中はここに座って、携帯電話で日雇いバイトを検索します。

・社員の不満度が高い職場には必ずと言っていいほどに、「大人のいじめ」が存在した。

・40~64歳の引きこもり数は全国で推計61万3千にんになる(内閣府の調査)。

・「どうにか一命をとりとめたけれど、医者がいうには『貧困病』とも呼ばれる栄養失調『ウェルニッケ症候群』だって」。栄養のあるものを食べるには、お金がいる。

・2019年の「ジェンダー・ギャップ指数」において、日本は前年の110位からさらに順位が下がり、153か国中121位という悲惨な結果に終わった。

・「漂流する16人の叫び」を紹介した。その全員が今、深刻な貧困に陥っている。彼ら、彼女らが転落した理由は、果たして自己責任なのだろうか。

・私の父と母もまた、生まれ育った家庭が貧しかった。それぞれ中卒と高卒で働き始めて20代で結婚し、ほどなくして1990年に男児を、1997年に女児の私が鵜案れ、家を購入した。
すべてを崩壊させる出来事が起きる。1995年1月17日に発生した、阪神・淡路大震災だ。家は全壊に近い半壊で、このまま住み続けることは不可能だった。
新しい住まいと家具家電一式、生活用品をすべて新しく買い揃えた結果、一家の貯金は底をついた。
退職と転職をくり返す父親の無職の期間がどんどん長くなり、起きている間中朝から晩までアルコール漬けで家庭に一切関わろうとしなかったし、母親はそんな夫の収入分をカバーできるほど体が強いわけでもなく、特別秀でた職能があるわけでもない。
毎日のように「死にたい」と母は泣きながら私に訴えたりするようになった。
当時中学生だった。私立高校に進学する選択肢などなかったため、学費の安い効率高校に合格するべく、強迫観念に取りつかれたように勉強に励んだ。無事に受験を追えて進んだのは県立の進学校だっただ、私には大学に進学する気はまったくなかった。
高校3年の夏になって、進路指導の面談で、「300人以上いる同級生のうえで、就職を希望しているのはあなだたけだ」と知らされたのだ。
私は結局、母と決裂しながらも奨学金を上限まで借りて大学進学することに決めた。入学後はアルバイトを3つか4つ掛け持ちして、早朝のアルバイトが終わったあと学校で授業を受け、夕方また別のアルバイトへ行って終電で家に帰り、土日も休まずに働いた。なんとか4年で大学を卒業することができた。
大学を卒業し、数百万の借金を抱えた私が行き着いた「安全な場所」は、会社が住宅として所有していた防音の概念が存在しない1Kの安っぽいアパートだった。
母は私が東京の会社に就職することを強く反対した。父が家庭にまった不干渉で、兄は家庭内暴力で手がつけられない、そんな環境でいつしか母は私に病的に依存するようになり、私が支配下からいなくなってコントロールできなくなるのを極度に恐れていたのだ。
半ば無理矢理家を飛び出したものの、母親に対して罪悪感を覚えていた私は生活が厳しいならがも、せめてもの罪滅ぼしで毎月仕送りすることにした。当時、私の手取り給料は会社から自己負担分の家賃を惹かれて11万円ほど。その中から生活費、通院費や奨学金の返済などをやりくりすると手元にはほとんど残らなかったが、対価として安全な場所を手に入れられたと思えば、さして気になることはなかった。
唯一の問題点は、就職した会社がブラック企業だったことだ。おまけに激務ときているから、毎年15人ほど採用される新入社員が、1年経つころには2人か3人残っていれば「いいほう」だという。
当然のように残業代は出ないにもかかわらず、毎日夜遅くまで残らなければ仕事が割らないほど人手不足で、たとえ仕事をすべて終わらせていようと、提示で帰ることは「悪」だとされていた。休日出勤が義務付けられているのに休日手当はつかないし、理由はわからないが、有給を取れば一日あたり5000円を給料から差し引かれた。
同じころ、会長の息子である役員男性からの性的な誘いを断ったことで不興を買った私は、パワハラのターゲットにされてしまった。
仕事を辞めれば、会社名義で借りているアパートを追い出されてしまう。月々の余剰はほとんど仕送りに回しているため、貯金もわずかしかない。
当時の私には「会社を辞める」といった選択肢は存在しなかった。
ある朝、激しい吐き気とめまいに襲われた。この日から急激に体調を崩した私は、とても激務をこなせる体ではなくなっってしまった。とうとう、会社を辞める決断をせざるを得なくなったのだ。

・努力すれば貧乏にならない」論者によってその責任の所在が「貧困に陥っている当事者個人にある」と片付けられてしまう状況は看過してはならない。貧困問題や格差問題について国民が「自己責任論」を唱えている状況は、国にとって最も都合のいいことだ。
不平等や格差の仕組みに気づかず、政府に対して不平不満を叫ぶわけでもなく、貧困の当事者から小さな声が上がったとしても、ただただピラミッドのの下層の国民同士が買ってに責任を押し付け合って声をかき消してくれる。
これ以上に都合がよくて、従順で、飼いならしやすい国民あるあろうか。

・貧困問題について自己責任論を唱えるのは、いつも決まって貧困ではない、無知な人たちだ。ほんの少しでも知識があれば、少しでも興味や関心があれば、絶対に「貧困は自己責任だ」なんて結論になるはずはない。
「生まれついた家庭が貧しかったこと」は、本当に自己責任だろうか。固定化された格差から這い上がれないのは、努力が足りないせいだろうか。あなたが今、生活に困窮していないのは、本当にすべてが、「あなた個人」の努力の賜物だろうか。
それでもあなたはまだ、誰かを「自己責任論」で殺そうと思うのだろうか。

感想
貧困の連鎖が言われています。
貧困だから、子どもを大学に行かせることができない。
どうしても、教育を十分受けていないと仕事の選択肢も狭くなり、低い収入になっていく。
米国では、黒人やヒスパニック系の貧困を減らすために、州立大学などでは、人種の比率に合った大学の合格者を決めているところもあります。

生活保護が最後のセキュリティと菅首相は発言されましたが、それが最後のセキュリティになっていないのが今の現実です。
生活保護の人は年収150万円に対し、それよりも低い賃金で生活をしている人が多くいます。
今回紹介された人もほとんどがそうです。

個人で頑張れる人も確かにいます。
しかし、それは並大抵の努力ではないのです。
東大の学生の親の収入が高いことは知られています。
東大生の親の6割以上は年収950万円以上

筆者は奨学金とたくさんのバイト掛け持ちで、大学卒と数百万円の借金を抱えました。
奨学金は低利子のローンなのです。

若者の正規雇用が減っていること、ブラック企業が増えていることなども、貧困を増やしているのでしょう。
現場労働に派遣もOKになったことで、ますます正規雇用の場が失われ、不安定な環境に追い込まれている人が増えています。
まさに政治が貧困層を減らす方向ではなく、貧困層を増やす方向に舵を切っています。

奨学金と言われていながら、低利子ローンです。
国は教育にお金をかけて来ていません。
教育のお金をかけないことは将来の種蒔きもしていないことになります。

貧困は著者が訴えておられるように、個人の努力の問題ではなく、国の考え方/政策なのです。
貧困を助長している国の政策を変えていく必要があるのではないでしょうか。

先進国30ヶ国中、貧困率が4番目に高い日本

「最下層女子高生 無関心社会の罪」橘ジュン著 ”風俗も最後の砦にならなくなりつつある!”

「ルポ貧困女子」飯島裕子著 ”本人の問題以上に政策の問題”

「女子大生風俗嬢」中村淳彦著 ”学生の貧困と学業の狭間で”

7年前、橋下徹に恫喝されたあの"女子高生"が声をあげた! 橋下が放った冷酷な言葉、そして今、大阪に起きていること